第9話正常ナ思考

 事務所に戻り。銃を手に入れた事をアミーゴに伝えると、準備をして9階へ行くよう指示された。射撃場でもあるのだろうか。チキータから弾薬のおすそ分けを貰い、彼女にまた案内されて指定のフロアへ向かった。なし崩し的にチキータは俺の教育係になってしまった様だが、俺としては気を使わなくて済むので助かる。チキータの方も俺と一緒にいられる事を喜んでいてくれるみたいで、移動中はよく手を繋いでくる。

 相変わらず柔らかい彼女のお手てを満喫していると、エレベーターの扉が開いた。その瞬間、今までのお気楽ムードを後悔したくなる様なリアルに直面した。連れて来られたのは射撃場なんかではなく、『拷問フロア』だったのだ。地下の監獄とは違い鉄格子などはなかったが、血を洗い流す事を前提に造られた小部屋はタイル張りになっていた。

 俺たちが来る事は事前に知らされていたみたいで、黒人の大男が何も言わず手招いた。そこには一人の人間らしき物体が転がっていて、良く見るとまだ息をしている。耳と鼻は切り取られ、両目もくり抜かれ、手足はグニャグニャに曲がっていた。どれほどの拷問を受けたのか想像するのも億劫だが、何より残酷なのはこれらの傷が致命傷にならないって事だ。拷問が終わった後も、この人の苦痛は続いている。

 だが、これくらいの光景はDVDで予習済みだ。取り乱しこそはしなかったが、そもそも何でここに連れられてきたのか理解できずにいた俺に、チキータは何発かの弾を込めたマガジンを渡してきた。まさかとは思ったが、この人を殺せって事…??初めての射撃が対人とか気は確かか!?


「的を狙うのも人を狙うのも変わんないよ。どうせなら最初から人に向けてトリガーを引く練習をしたほうが効率的でしょ?」


 言われてみれば、俺は射撃の達人を目指しているワケではない。殺しのプロにならなければいけないんだ。いずれ必ず処女を切る日はやってくる。それが今日だったってだけだ。

 震える手でマガジンを受け取った俺は、チキータにレクチャーを受けながらスライドを引いた。これで初弾がコックされ、引き金を引けば弾が出る状況になると、手の震えが一層強まった。はっきり言って怖い。いざこの時になると、人の命を終わらせるプレッシャーで心が潰れていまいそうだ。ニワトリ殺すのとはワケが違う!トリガーに指を掛ける事すら躊躇っている俺を見かねて、チキータが助言を与えてくれた。


 この人の詳細など俺たちが知る必要はないが、おそらくドラッグか何かで組織のシマを荒らした事が原因でこうなっているらしい。この街で出回る薬物はBLACK MARKETが牛耳っている。それを知らずに新規参入しようとする輩は後を絶たず、見つけ次第ひっ捕らえて拷問を施しているのだとか。その一部始終を動画に収め、仲間に送りつける。さっさと手を引かないと次はお前らだぞ、という意思表示だ。

 拷問屋には拷問屋のノウハウがあって、いかに苦痛を与えるかがその焦点になる。言ってしまえば、簡単に死んでしまう様なら拷問にならない。だから彼らは致命傷にならない程度に最大限の痛みをお見舞いし、泣き叫ぶ姿が見る者の恐怖を助長するのだ。

 動画の撮れ高が満ちた時点で、拷問屋の仕事は終了。その後ソイツがどうなろうと彼らの知った事ではないが、放って置いても中々絶命しないので、地下の囚人と同じ様に『有効活用』される。


「もうこの人は生きてたってどうしようもないの。殺してあげた方がこの人の為だし、ひいては組織の為になるの。だからゼータが怖がる必要なんてないんだよ」


 一理も二理もあるチキータの言葉で少しだけ覚悟が沸いた俺は、もがき苦しむ彼に銃口を向け直した。照準は顔の中心に合わせていたと思う。まだ震えが止まらないせいで、狙いが定まってない事に気付いていない俺は、勢いに任せて引き金を引いてしまった。放たれた弾丸は俺の意図しない方へ飛んでいき、右の鎖骨辺りを貫いた。初めて撃った銃の衝撃よりも、無用な痛みを与えてしまった事への後悔が上回り、知らずの内に涙が流れ出した。


「それじゃあ全然ダメ。まだ覚悟が足らない。早くしないとかわいそうだよ」


 俺を慕ってくれる小さな女の子でも、殺しに関してチキータは妥協しない。厳しい彼女の言葉は、俺の甘さが如実に表れている事を明確にした。俺はまだ心の何処かで誰かが助けてくれるのを期待していたのかも知れない。だが、辺りを見回しても俺を助けてくれる人なんか誰一人としていない。それどころか、目の前で苦しんでいる人を助けてやれるのは俺しかいないのだ。

 離れた所から一撃で命を絶てる箇所なんか狙えるワケがない。俺はさっき初めて銃を触ったばかりなんだ。未熟な俺が確実に殺すには、銃の練度が関係なくなる距離まで近づかなくてはならない。覚悟を決めるんだ…!目の前の人を救うんだ…!俺は、殺し屋になるんだッ!!


「ぁぁぁぁぁあああああああッッッ!!!」


 俺は左手で彼の髪を掴みながら銃口を口に捻じ込み、やや下方向へ向けて引き金を引いた。ホローポイントと呼ばれる弾頭は彼の頸部をズタズタにして、首の後ろから大量の血液と共に抜き出た。左手に伝わる感触は彼の身体に一切の力が入っていない事を物語り、絶命を悟らせた。これでもうこの人は痛みを感じる事はない。苦しまなくていいんだ。

 そうやってポジティブな方に考えを誘導していたが、詰まる所俺がやったのは人殺しだ。どんな大義名分を掲げようと、他人の人生を終わらせた重圧から逃れる事はできない。こんな気持ちを抱えながら、チキータたちは仕事をしているのか…。

 漸く立てた殺し屋のスタートラインは、地獄の一丁目へと様変わりした。


「ゼータ、えらいよッ。よく頑張ったね」


 無意識の内にポロポロと流れ落ちていた涙は、チキータからの労いを皮切りに滝のごとく溢れ出した。情けない姿を晒しているにも関わらず自分を制御できなかった俺は、暫くの間チキータに抱きしめて貰った。それを受け止めてくれた彼女は、今までどれだけこんな思いをしたのだろう。


 やっとの事で落ち着いた俺は、この場にさっきまではいなかった人影を見つけた。清掃員の様な格好をした二人の女性だ。どちらも日本人ではない。彼女たちは『マザーズ』と呼ばれる死体処理係だと言う。組織によって旦那を殺された未亡人らしく、何のつもりか組織が雇っているのだとか。

 彼女たちと殺し屋は共存関係にある。殺し屋が死体を拵えれば、その分彼女たちも報酬を得られるシステムになっているのだ。


「仕事で人を殺せば、自分の為にも組織の人の為にもなるんだよ。だからターゲットは死んだ方がいい…。これがわたしたちの、正常な思考なの……」

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