8-2

 そのまま二人で、午前中をだらだらと居間で過ごしているうち、お昼になったので、ごはんを食べることにした。


 うちに買いだめしてあった乾麺を使って、私はラーメンを作った。

 具は、もやしにキャベツとにんじんで、あとは半熟卵を麺の上にのっけただけの、シンプルな味噌ラーメンだ。


 せっかくのお兄ちゃんとの食事なんだから、本当はもうちょっと手の込んだ料理を作るべきだったし、作りたかったんだけど、二人分でそれなりに食べれるものをつくるための材料が、こんなもんしかなかったのが悔やまれる。


 それでも、全然たいしたものじゃないのに、やっぱりお兄ちゃんは、おいしいおいしいって言いながらうれしそうに、ずるずると麺をすすっていた。


 相変わらずお兄ちゃんは、いい食いっぷりをしていて、そのようすを眺めながら食べるラーメンの味は、いつも通りの変わらないもののはずなのに、褒めちぎってくるその言葉に引っぱられているせいなのか、私もいつもよりおいしいような気持ちになったものだった。


 そしてこのとき、私はお兄ちゃんといっしょにラーメンをすすりながら、あることに気がつき、そして自分のことながらひどく驚いた。


 私は、人と一緒に食事をすることが、昔から好きじゃなかった。


 学校でのお昼休み、女の子たちはそれぞれ仲良しグループで集まって、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら食事を楽しむのが一般的だと思うんだけど、まずあれが苦手だった。


 別に嫌って言うほどでもないんだけどね、彼女たちの微笑ましいおしゃべりに耳を傾けながら食事をするのも、それなりに心温まるレクリエーションではある。

 それでも、自分一人だけでのんびりお昼が食べられたら、どんなに気楽でいいだろうなーとは、毎回思ってしまう。


 これはもしかしたら、私が(実質の)ひとりっ子として育ったからというのも、誰かと一緒の食事に息苦しさを感じてしまう原因かもしれなかった。


 食事のときくらい、気兼ねなく、他人のペースに合わせる必要なしに過ごしたい。

 そう思っちゃうのは、わがままだろうか?


 そしてその息苦しさを感じるのは、他人である友人たちとだけではなく、家族の食卓でもそうだった。


 もともと私たち家族は、そろって食事をする機会が少なかった。

 父は仕事が多忙で、晩ごはんの時間に帰宅できないことが多かったから…っていうのも理由としてあったけど、やっぱり家族みんなで食事をするのは、窮屈な気分だった。


 食事の間、いつも母はひたすらしゃべり続けた。

 それに対して、私と父は無言でいることが多かったけれど、特に気にしている素振りは見られなかったので、どうやら母は自分の話に特別の返答は求めていなかったようだ。


 当然、食事をしながら聞かされる、死んだ兄の話。


 それはあまり心温まるレクリエーションとは言えなかった。

 

 そんな、一向に心温まることのない家族団欒の食事を長年続けてきたせいか、誰かと過ごす食事の時間というものに、私はいつの間にか苦手意識を持っていたのだった。


 だからもう、このボロアパートで実質ひとり暮らしを始めるようになってから、あぁーひとり飯サイコー! という解放感たっぷりの食事タイムを繰り返してきたので、いつもだったら、こんなとき、誰かと一緒の飯だるいなぁ…って感じるのが当たり前だったはずなのに、私は今それをまったく感じていなかったのである。


 食事中、特に会話らしい会話もしていないのに、その沈黙が気にならない。

 (これが友人たちと一緒のときであれば、会話が途絶えてしまう度、誰かが何か気のきいたことを話し始めてくれないかな、と思って、空気がちょっとピリッとなる)


 むしろこの沈黙は、あたたかくすらあった。

 (両親とは、そろって会話をする機会なんてもともと、あんまりなかったけれど、私が覚えている家庭内の沈黙とは、空気が重みを持ち始めたんじゃないかと感じるくらい、しんどいものだった)


 この…いっしょに食事をしていてもストレスがまったく含まれない、穏やかな空気。

 これは、お兄ちゃんの…このひとだけの特殊能力なんだろうか。


 するりと冬場の布団の中にもぐりこんでくる猫みたいに自然で、何の違和感なしに、気づいたら近くにいてくれている。

 それは押し付けがましさのない、穏やかなあたたかさをしていた。


 誰かとずっと一緒にいても、落ち着いた気持ちでいられるっていうのは、私にとって初めての感覚で、それなのに、その奇跡的な変化に今まで気づかなかった自分に驚いた。


 だけど…そんな不思議な感覚も、私が知らなかっただけで、お兄ちゃんっていう存在は、あらゆる妹たちにとっては元から、こういうものなのかもしれない。

 本当なら私は、こういったあたたかな日差しにつつまれているような感覚の中で、毎日を過ごし、成長していくことができたんだろうか。


 シュミレーションをすることで、過去における、もしかしたらこうだったかもしれない私のもうひとつの姿が、水鏡の向こうにぼんやりと浮かび上がるみたいに、微かに見えてくるような気がした。


 『だったかもしれない』自分なんて、想像するだけ無意味なことは、よく理解している。

 だけどそんなことを言ったら、この『お兄ちゃんシュミレーション』こそ、意味はあるのかなんて、現在進行形で私たちが行っている実験の本質を疑わなくてはならなくなる。


 意味なんて、どうでもいい。

 とりあえず今だけは。

 

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