7-5
「私がね、まだうんと小さかった頃、そこへ行って家族三人でお花見をしたことがあったんだ。
そのときもやっぱりね、雪のようにひらひらと、いくつもの桜の花びらが空を舞っていて、とっても綺麗だなぁって思ったの覚えてる。
赤ちゃんだったお兄ちゃんもね、私が生まれる前、家族でそこへ行って、同じように桜の花を見たんだって、お母さんは言ってた。
お兄ちゃんは、ちっちゃい手をのばして、空を舞う桜の花びらを取ろうとしていて、すごく可愛かった、って。
桜の花が好きみたいで、すごくにこにこ笑ってたって…。
小さかった私に、ここにお兄ちゃんがいたらよかったのにねって、そうお母さんは言うわけ。
お兄ちゃんと一緒に見る桜の花は、どれほど美しく見えるだろうか、って。
あの子のいない季節の桜の花は、色がくすんでいて、綺麗じゃないって。
もう永遠に、桜の花は美しくない、そう言っていた。
結局そのときが、家族そろって桜を見た最後になった。
…まあ、お兄ちゃんがいないから、厳密には家族そろって桜を見たことはないんだけど。
でね、これまでにも友達とは、何度かその公園へ行ってお花見したことがあるんだけど、その度に考えるの。
この満開の桜の木の下に、お兄ちゃんが立っていたら、どんな感じだろう。
お兄ちゃんがいる世界で見る桜の花は、とても美しいらしい、それならきっと私は、桜の本当の美しさを知らないんだと思う。
こうして見ている桜は充分美しく感じられる、だけどお兄ちゃんが一緒にいてくれたなら、それはきっと、私には想像もつかないくらい美しい光景に変わる。
でも、そんな桜の本当の美しさを知ることは、私には永遠に不可能なんだと思ってた、だけど…」
手をさしだす。
これまでずっと、ただ空をつかんできた虚しい手を。
駄目かもしれない、無意味なことかもしれないと分かっていても、それでも。
お兄ちゃんは、私を見ている。
思考の世界に広がる、幻想の桜吹雪の中に立つお兄ちゃんは、穏やかに私へ一歩近づき、そっと答える。
お兄ちゃんの静かな声は、もちろん、現実の私の耳にも届く。
「美桜」
期待をすることが恐ろしくて、微かに震える私の手を、花びらの雨の中に立つそのひとが、そっと掬い上げてくれる、そんな感覚が確かにした。
顔を上げれば、私をみつめているお兄ちゃんがいる。
「美桜と見る桜は、とても美しいだろうな」
微笑みながら紡ぎだされた言葉には、確かに重みがあった。
都合よく、今だけ調子を合わせた言葉じゃなくて、本当にそう思ってくれているという確信が持てる、誠実さの重みのある言葉。
はっきりとした約束の言葉じゃない、それでも、ただそれだけで…私は救われる思いがした。
このせまい幻想の理想郷の外には、暗い宇宙がただ虚無的に広がっているわけじゃない。
どうやらその先には、私たちのたどり着くことのできる場所があり、そこへかりそめの宇宙船は針路を取っている。
雪が溶けても、その先には春が待っているらしい。
お兄ちゃんと共に、迎えることのできる春が。
そんな淡い希望が、私の心を満たしていく。
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