第19話


 アパルはリッシュへ向かう道の隅で停車している荷馬車を見つけた。


 日付は変わったがまだ夜中と表現しても良い時間。

 陽もまだ眠る時間に、馬に餌をやっている人間を問いただしてみると、雇い主からしばらく止まっている様に言われたのでそうしている、ということらしい。

 なるほど。確認すると、中はやはりもぬけの殻で、逃げ出した宝石を追って消えてしまったらしい。


 エィミが逃げた。

 しかし来る途中、彼女とはすれ違わなかった。


 グムよりも先に彼女を見つけなければ。


 アパルは茂る木々の中に入り、慎重に、だが人影を発見できるスピードで馬を進めた。


 ***


「今のは?」

 ノアは馬を走らせながら視界の隅で動いた茂みの方に意識を向けた。

 風の流れとは逆の方向に動いたそれに気を取られたノアは馬を止め、ライズも従う。


 アパルがエィミを見つけてくれていたらいいが。


 馬を彼に託し、ノアは違和感を感じた木々の合間を走り出す。

 先程見えた姿はエィミではなかったか。

 月明かりに輝く髪の毛は彼女だけのもの。

 見間違える筈もない。


 ようやく手に入れる事が出来たエィミから離れることなどもうできやしない。


「やめてっ」

「どうして?私は貴女を助けようと……」


 向かう先から聞こえる声はエィミ。

 そうして相手はノアから彼女を攫った人間か。


 ノアは逸る気持ちを抑え、慎重に近付く。


「やだ。ノアの所に戻るの」

「何故?彼は貴女を金で買った男だぞ」

「違う」


 叫ぶ様なエィミの声に相手の息を飲む気配がする。


「ノアは違う。そんな人じゃない」

 わたしが帰りたかったの。

 グムにしか届かない声量で告げられた言葉は、彼女に淡い想いを秘めていた男の胸を刺す。


「エィミ」


 名を呼ばれた彼女は、ずっと焦がれていたノアの姿に胸を弾ませる。


「ノア」


 男は記憶の中にしかなかった彼女の声を聞き、心躍らせる。

 

 グムは名前を呼んだ彼の元へ駆けようと身体を翻すエィミの腕を反射的に掴んだ。

「エィミ……とは?」

「わたしの名前よ。ノアが付けてくれたの」

「彼が?」

 エィミを見る時は優しかった視線が、ノアに向けて鋭く突き刺さる。

「彼女を返して貰おうか」

 ノアが一歩前へ進み出ると、グムは逃れる為に一歩退き、掴まれたエィミも彼に倣うより他にない。

「私は彼女を監獄から連れ出したいだけだ」

「……監獄?」

 対峙するノアの表情が険しくなる。

「そうじゃないか。ひたすら屋敷の中に閉じ込めておいて、外の世界を見せてあげようともしない。これじゃあ、城で囲われてた時と同じじゃないか」

 捲し立てる様に話し、グムは己の意見を主張する。

「お前みたいに、エィミに無遠慮に触って傷付ける奴がいるから、守ってんだよ。現にお前、連れ去っただろ。彼女は元々俺の側に居たんだ。それを父が勝手に城へ連れてった。確かに見つけて拾ってきたのは父かもしれないが、生まれてからずっと側に居て大切にして来たのは俺だよ」

「金で買った事に変わりはないじゃないか」

 二人の押し問答は続く。

「取り戻しただけだ。何が悪い」

 ノアは帯刀し、いつでも引き抜けるように構えている。

 一方、グムはエィミを傷付けるつもりはないらしく、武器となるものを持ってはいない。

 それに気付いたノアは身構えるのをやめた。

 何がきっかけかは知らないが、やっと口をきけるようになったエィミの前で衝撃を与える事はしたくない。

「返してもらおう」

 こうしてやり取りをしながらグムの話を聞いていると、彼には彼の意思があり、エィミを傷付ける為に動いている訳ではないように見受けられるので、逆にたちが悪い。


 そんな二人のやり取りを影で息を潜めて見守っていたアパル。

 音を立てぬ様注意深く道へ出て、先に待つライズへ声を掛けると、エィミの安全を知らせる為、先に屋敷へ向かった。

 話を統括すると、エィミに懸想したグムが横槍を入れているだけの話。

 アパルは張っていた気を緩め、ユウェール家へと馬を走らせた。

 騒ぎを巻き起こしたグムは決して許される事ではない。だが、彼の存在のお陰で、距離を計りかね止まっていた、幼い二人の時が動き始めたのなら、許してもいいかもしれない、と思えるアパルであった。


「三千万」

「……」

 グムはボソっと呟く。

「三千万払えば譲ってくれますか?」

 真剣に真っ直ぐ向けられる言葉にノアは言いたかった言葉を飲み込む。

 ずっと喉に棘が刺さっている様で気持ちが悪かった。

 お金で買ったつもりはないのに、取り戻せたきっかけは、あのオークション。

 あの場に居合わせなければ、きっと永遠に彼女を失っていたかもしれない。

 その為には必要だったお金の存在。

 初恋を拗らせ、ずっとエィミの事が忘れられなかった。

 他人から「金で買った」と言われてしまえば、ノアは反論できなかった。

「……」

 金額を提示されても頷ける筈もないのに、それを言葉にする事が出来ない。

「ヤダ」

 グムに囚われたままのエィミが呟く。

「ヤダ。ヤダ。わたしの気持ちはどこにあるの?」

 黙って二人の話を聞いていたエィミがノアに向けて叫ぶ。

「わたしはノアの所にいたい」

「……」

 瞬間。

 グムは、腕に落ちる一瞬の感覚に集中する。

「……」

 そうしてもう一粒。

「……なみだ?」

「何でノアは何も言ってくれないの?触れてくれないの?色んな人が触れたわたしはもう嫌になっちゃった?」

 ぽた、ぽた、ぽた、ぽた、と、エィミが話す間も涙の雫が腕に当たり、地面へ落ちる。

 それに気付いた男は地面を凝縮する。

「…………ピンクダイヤ」


 恋して泣くのはピンクダイヤ。


 グムはいつの日か目にしていた文献の文言を思い出す。

 流した涙は地面へ吸い込まれる事なく、地面へ溜まる一方。

 グムはそうして形になって溢れていく彼女の感情を黙って見つめる。

「貴女は……」

 今までどれだけ時間を割いても、贈り物をしても、彼女の表情も声も感情も動かす事が出来なかった。

 それなのにこの男の事になると、彼女は声を出し、涙を流すのか。

 グムは何か言おうと視線をあげる。そうして、ノアの首元に掛かるチェーンの先にある欠片に目を奪われた。

 キラリと輝くそれは自身もよく知っている。眺め続け、触れ続け、恋焦がれ続けた。

 加工されておらず、剥き出しのその欠片は『生きた宝石』が生まれた時の欠片と言われ、リベルテから買い取った物と同じだろう。

「それは?」

 放心状態のグムは、ノアの首元に視線を向ける。

「あ?ああ。エィミの」

 言いながら口元と目を緩め、既に自身の一部になってしまっていた欠片に触れ、その一瞬の表情に、ノアは何を思ったのか。


「ノアっ」

 グムが掴んでいたエィミの腕を離し、地面に膝をついた。

 文献は真実だった。

 涙までも宝石。

 そうなると、暴いてみたくなる。

 その内部まで。

 どこまでが宝石なのか……。


 だが、グムは既にエィミに心を寄せ過ぎてしまっていた。

 傷付けられない。

 あの子息より早く出会っていたら、私の事を好きになってくれた?

「……」

 聞けない想いに希望を込める。

 そんなの押し問答だ。


 グムは自分の目の前で、互いに強く抱きしめ合う二人をひたすらに眺めていた。

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