第18話
「そろそろ追いつけないとなると、国境を越えたことになってしまう」
馬を走らせながらノアは不安を口にした。
ブリアール国と隣国のリッシュ国は比較的平和に交流している。
ユウェール領もリッシュと接しているからといって、相手が領土を侵略して不当に作物を摂取するだとか、国土を広げようとかという不穏な空気もない。
基本的に争いごとを好まない国だ。
ノア自身、ブリアールの現国王はエィミの件があるので好ましく感じることは、これからもきっとない。だが、いろいろな策を講じ、国を守ろうとしている点では、血を流して国を統治している訳ではないので、比較的優秀な人間なのではないかと感じていた。
「で。エィミを攫ったのはリッシュ国の宝石商の人間なんだな」
「はい。オークション会場にも来ていたグムという男です」
ノアは父親と違い、宝石に関する人脈や情報はほとんど持っていない。エィミを失ってから、父親の書斎を訪れてひたすらに情報収集はしたが、特に得られるものがなく、今は領地改革に励む事の方が多かった。
結果、色々ありはしたが、領民のやる気のお陰でユウェール領はこれからやり方によっては、益々繁栄していくだろうと、予想できる。
話は飛んだが、宝飾関係に疎いノアは、その名を言われても顔が出てこない。ましてや隣国であるなら殊更。
「オークションでノア様に競り負けた人物です」
「……やはり」
一応、予想はしていたが当たるとは。
しかし、皆、仮面をしていたのであの場に誰が居たのかなんて、エィミしか見ていなかったノアに分かるはずがない。
あの地下オークションは、各国と国交を深めるという意味合いもあったらしく、リッシュだけでなく、ラフトゥやアッシャムスといった大国の要人たちが集まっていたらしい。勿論、ノアの様に、社交会で声を掛けられその場に参加した伯爵や公爵たちも数名いたという。
突如参加し、目玉の『生きた宝石』を奪い去ったノアは話題にもなり、ある種の余興としてその場の人間は楽しんだらしいが、狙っていたグムという人間は、そうは思えなかったらしい。
希少さ故に、研究も生態も進むことがなく、むしろ愛玩され、壊されてしまう事が多く、知られている事は少なかった。
グムは同じ宝石を扱うリベルテから珍しい物が手に入った、と知らされ『生きた宝石』の生まれた殻のカケラを買い取っていた。
男は一瞬でその美しさに魅了されてしまった。
宝石商の人間の間で、ただの言い伝えだと言われ続けてきた『生きた宝石』が本当に存在しているのだと、欠片が証明している。
グムは、それに会いたくなった。
流す涙は宝石なのか。
瞳は虹色に輝くのか。
肌の温もりは。
想像はどこまでいっても想像しかなく、彼がブリアールの土を踏むまで日は要さなかった。
だが、そこからは長かった。
いろいろな国の商売人は多く行き交うが、信頼のおける人物だけが国の関係者との直接のやり取りが出来る。
グムは、自国では城に宝飾品を卸してはいたが、ブリアールとの実績は少ない。彼は贔屓にしてもらっているリッシュ国の王妃に口添えしてもらい、ブリアール国と取り引きが出来る様に、一筆もらった。
そこで彼はブリアールの城に出入り出来る様になり、城との取り引きを重ねる。そうする内に念願叶い『生きた宝石』の姿と対面することができた。
夢にまでみたその姿にグムは心を奪われ、王からエィミと夜を共にする許しを得る。
彼は何度か彼女と二人の時間を過ごしたらしい。
グムはそういう時間を地道に重ね、あの夜のオークションに参加したという訳だ。
確かに横からポッと出てきた男がエィミを連れ去ってしまっては面白くなかっただろう。
気持ちは分からなくもなかった。
ノアもそうだったから。
だからといって、卑怯な手は許される事ではない。
グムにとっては突然の事でも、ノアにとってもエィミを手に入れる事は悲願だったのだから。
ライズから報告を受けたノアは、押し黙り、ただひたすらに馬を走らせる。
間に合わなければならない。
エィミには笑っていてもらいたいだけなのに。
ノアは手綱を握る手に力を込め、前だけを見て進んだ。
***
「あの屋敷で変な事はされていなかったかい?」
揺れる馬車の中。
目覚めたエィミに掛けられたのは、聞き覚えのある声だった。
彼には何度か会っている。
城の中で。
「私が君を助けてあげる。あともう少しだから待っていて」
何度も会っているのに、今のノアと同じ様に触れてこない人間だった。
春にはモモの花。
夏はペチュニア。
秋はシュカイドウ。
冬はナンテン。
会うたびに花を贈られ、枯れていくのを待つ。
城の庭園には多くの花が咲いているのに、許可された時にしか部屋の外に出ることは叶わず、手を伸ばしても届かない。
そうして部屋に一輪だけ。
ぽつんと飾られる花を眺めるのは哀しくなる。
まるで部屋から出られないわたしと同じ様で。
手折られた花は、もう行き場がないと宣告された自分の姿の様で切ない。
そういう時、忘れたい筈の優しい記憶が顔を出す。
ロサ・ガリカ・オフィキナーリス。
この城の庭に咲いていなくて良かったと思う。
『愛情と誓いって花言葉があるんだ。花にも意味があるんだよ。だから、僕はエィミにこの花言葉を贈るね』
暑くなり、その花が咲くとノアと一緒に庭園へ見に行った。
幼い彼は花を折る事はしなかった。
せっかくアンシシさんが育ててくれた花を切ってしまうのはかわいそう。庭に出れば元気な花が見られるからそれでいい、と言って、二人でよく庭園に出ていた。
『僕はエィミを愛することを誓うよ』
そう言ってはにかむ顔を見せるノアの事を思い出してしまうから、エィミは花が苦手だった。
その楽しかった記憶を思い出させる人間だから、エィミは彼を好ましくは思えなかった。
「もう少しでリッシュに着くからね。そうしたら海を越えて誰も知らない土地へ行こう」
しばし夢の中へ想いを寄せていたエィミは、その言葉に目を見開いた。
淡々と、それが当たり前のように言葉を紡ぐ目の前の男は一体何を言っているのか。
話さないとはいっても、城に閉じ込められていた昔と違って、今は何も考えていない訳ではない。
国を出る?
海を越えて?
誰も知らない場所に?
「……」
ノアは?
エィミは頭に浮かんだ考えに目の前が真っ暗になりながらも、立ち上がった。
「あ。ちょっとっ」
彼女の動きに合わせてグムも立ち上がる。
馬車が通れる道とはいえ、道は平らではないので急に動こうとすると転んでしまう。
「おっっと。大丈夫?」
エィミは揺れに自分の身体を支える事が出来ず、グムの方へ倒れ込んでしまった。
「……」
そうして、再び立ち上がろうとするも、彼の胸の中にすっぽり抱え込まれてしまう。
「ようやく触れられた」
そう呟く彼の腕に力がこもる。
「私は貴女を他の人間の様に悪い様にはしないよ」
それはグムにとって心からの言葉。
存在を知った時から憧れ続けた存在を、どうして傷付ける事ができようか。
「…………して」
「……え?」
「はなして」
「え?」
聞き間違いだと思った。
己の耳を疑った。
だから、もう一度声を聞こうと力を緩めたのが間違いだった。
「痛っっ」
腕に噛みつかれた一瞬の間をぬって、エィミは素早く姿を消す。
声が出せたのか。
「……」
もう一度その声を聞いてみたいとぼんやり浸る時間も与えてくれない『生きた宝石』をグムは追う。
手荒に扱いたい訳ではない。
荷台から降りた彼は御者の元まで走り、しばらくここで馬を止めておく様に頼むと、逃げ出した彼女の姿を追いかけた。
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