第12話


 ノアが先に食卓の席に着いていると、身支度を整えたエィミもやって来て、エスコートされるがまま、彼の隣に座った。

「綺麗に髪を纏めてもらったんだね」

 ノアが社交界でその姿を認める時には、いつもサラリと床に付く髪を長く垂らしていたので、昔の様に頸の見える髪型は懐かしくて嬉しくなる。

 成長して顕になる首筋に色気を覚えるも、ノアはそこには意識をやらないように気を逸らした。

「……」

 隣に座って手の届く場所にいるのに、触れるのを躊躇ってしまうのは、そこにやましい気持ちを抱えているからか。

「髪はクレア……かな?ありがとう」

 その結い方を見たノアは、既に待つ侍従たちの隣に並んだ彼女に言葉を掛ける。

「とんでもないことにございます」

 名指しされ、嬉しそうに顔を染めるクレアを、エィミはじっと見つめていた。

 幸せそうな顔で。

 恥ずかしそうにはにかむ顔に、エィミの胸は少しだけチクンと跳ねた。

 何故痛みを感じたのか分からない感覚に、エィミは、心の中で首を傾げ、軽く心臓の辺りに手の平を置いてみた。

「エィミ?どうかした?」

 その行動に気付いたノアは、首を傾げ聞いてはみるも、答えは返ってこない。

「……」

 ノアは目を細めて優しく微笑む。

「リコの料理は変わらず美味しいから、早く食べよう」

 テーブルに並べられた食事に視線をうつし、ノアは豆を煮たスープから初めに口を付けた。

 エィミもそれに続いて食事を始めた。


 互いに口にはしなかったが、誰かと共に食べる食事はとても久しぶりだった。


 ***


 食事を終えたノアは、エィミに言葉を掛けると、先に食堂から出て行ってしまった。

 忙しくなければ、共に話をしながら食事を楽しみ、エスコートをしながら部屋を出て、お腹を落ち着けながらゆっくりする時間を楽しみたかったが、いかんせん、仕事が溜まっていた。

 領地改革を進める為、以前は領地内を駆け回っていたが、軌道にのってきた今は、ある程度の事はエイダンに一任しても心配はない。

 忙しい理由は、それ以外の余計な仕事が舞い込んでくる様になったからだ。

 望まぬまま公爵という爵位を与えられ、拒否権などなく働かされる。

 否が応でも政に足を踏み入れなければいけない立場になり、しばしば王宮に向かう事もあった。

 父親が全く使い物にならない為、己の領地管理に、政に、と動き回るのはいくら何でも酷過ぎるという配慮らしきものもあり、デスクワークが多く回された。不満はもちろんあるが、外交関係で人付き合いを強制される仕事を回されないだけ、助かっていた。


 ちなみにリベルテは数年に一度はユウェール家に帰ってきて、今でも王宮にいろとりどりの珍しい宝石を献上している。

『生きた宝石』を王に奉ってからというもの、質の良い宝石を取り扱うユウェール家の名は国中に広く知れ渡ったが、それは彼が自由気ままに営んでいるだけなので、今では、滅多に開店しない幻の宝石店という意味合いの方が大きくなってしまっていた。


 ***


 ユウェール家に戻ってきたエィミは、特に何を好んでするでもなく、しばらくはぼんやり過ごしていた。


 食事に呼ばれれば食べ物を食べ、湯浴みへ呼ばれれば身体を綺麗に磨いてもらい、夜になればノアの部屋のベッドで眠りについた。

 エィミ自身の部屋もあるというのに、夜になるとノアの部屋のベッドで夢におちる。

 夜中に何もせず、ただ眠るということにも慣れてきた。

 隣に誰の温もりも感じないのはほんのり寂しく感じる。

 広いベッドに一人きり。

 望まぬ行為をしなくていいのは心身共にとても楽で、毎日、こんなに幸せでいいのか。と、夢の途中で目覚めてしまったエィミは、身体を起こす。

「……」

 懐かしい匂いに身体を包まれながら眠りにつくのは、心の中心がポッと温かくなり心地よい。

 私がここを占領してしまっている間、持ち主は何をしているのか。と、暗闇に目が慣れているエィミは辺りを見回した。

「……」

 耳をすますと、木々を揺らす風の音や、彼女と同じく夜中に目覚めてしまった鳥たちの声。その隙間をぬって、同じ空間から寝息が聞こえる。

 誰だろう。

 心が少しざわめく。

 エィミは音を立てぬ様に静かにベッドから降り、音のする方へ向かった。

「……」

 大きな身体がそこで寝るにはあまりにも手狭すぎる。

 ソファから足が大幅に飛び出している。横たわっているが、まるで頬杖をついて眠っているような体勢。身体に掛けられていたであろう毛布は、本来の役目を放棄し床に落ちてしまっている。

「……」

 エィミはそれを拾い上げると、ノアを見下ろした。

 彼は今まで出会った人間とはまるで違う。

 触れたそうにしているのに、その手は必要以上に触れてこない。

 触りたければ触れてくればいい。そう思うのに、ただ眠る時でさえも、こうして同じ空間で寝るだけで何もしてこない。

 エィミは形を整えてから毛布をそぉっとノアに乗せた。

「……ぃみ」

 呟きに耳を寄せ、何を言ったのか聞き取ろうとする。


「大好きだよ」


 愛おしそうに呟かれたその言葉。

 なにごとにも動じなくなっていたエィミの心が一つだけトクンと跳ねる。

「っっ」

 何かの気配を察したノアは閉じた瞼を少しだけ開き、夢の中で微笑む彼女の姿をそこに確認すると、再び暗闇へ戻る。


 だいすき。


 遠い遠い昔。

 その言葉を誰かに言われていた気がする。


 突然、色んな情報を詰め込まれ、求められ、その記憶は頭の深い深い部分に押しやられてしまった。


 エィミはノアがまた夢の世界に落ちたのを確認すると、むず痒くなった心臓を押さえながらベッドに戻る。目を瞑っても眠りの世界に行くことは叶わず、ただひたすらに高鳴る鼓動を胸に抱き、夜が明けるのを待ち続けた。


 ***


「おはよう」


 エィミは強い日差しに目を擦った。

 眠れないと思っていたのだが、しっかり休めていたらしい。


「今日は気持ちいい風が吹いてるね」

 部屋の窓を開けているのか、部屋の中に風の流れがある。

 彼の髪が時々フワリと浮き上がるのはその為か。

 ノアはベッドから抜け出そうと動き始めたエィミに近付き、その手を取った。

「もう起きる?もう少しゆっくりしていてもいいけど」

 普段なら言わない言葉にエィミは首を傾げる。

「今日は珍しく仕事が無いから浮かれて早起きしちゃって」

 エィミがじっと目を見つめてくるものだから、ノアは恥ずかしそうに視線を逸らす。

「……」

「もし良ければ、食事の後に散歩しない?」

 同じ屋敷の中で生活しながらも、二人で話す時間は朝と夕の食事の時だけで、なかなか取れなかった。

 こうして時間をようやく作り出すことができたのは、彼が必死に働いたからに他ならない。

 二人でいられる時間を確保出来るなら苦痛でもなんでもなかった。

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