第11話


「湯浴みが終わったら、エィミを連れてきて欲しい」


 と、ノアに言われたので、身体がふやけてしまうくらいの湯浴みをし、彼女の身体に残る王宮の匂いを消し去ってから、侍女たちは彼の部屋の扉をノックした。

 まさか、エィミをとても大切にしていたノアが、今、壊れかけてしまっている彼女を夜の相手にする筈がないと、信頼してのことだ。

 いくら仕えなければならない相手とはいえ、傷ついている女性をそういう風に扱うような事があれば、直ちに彼女を自分たちの元へ迎える準備は出来ている。


 コンコン


「どうぞ」

 ノックの音に返事をしたノアは、侍女たちに連れてこられたエィミを見て微笑む。

「リリーにクレア。ありがとう」

 そうして彼女たちにも。

「もしまた何かあったら呼んでもいいかな」

「勿論です」

 二人は二つ返事で頷いて、ノアの部屋から出て行った。


「身体も温まったみたいだし、寝ようか」

 本当ならお茶を飲んで話をしたいところだったが、この時間でそんな事をしていたら、翌日に支障が出てしまう。

 ノアはエィミの手を取り、自分のベッドへ誘導する。

「大丈夫。安心して寝ていいんだよ」

「……」

 布団を捲り、そのまま彼女に寝転がる様優しく導く。

「覚えてないかもしれないけれど」

 大人しく横になったエィミに優しく布団を被せると、かつての彼女が、こっそりバレない様に潜り込んできた姿を思い出し、懐かしさが言葉となって溢れてしまう。

「君は毎晩このベッドに潜り込んで、一緒に寝てたんだ」

 もう遅い時間だから眠りを誘う様に頭を撫でながら、息を漏らす。

「今夜はつい……昔のことがあったから連れてきてしまったけれど……」

 話をしないと決めて部屋へ呼んだにも関わらず、喋りかけてしまっている行動に矛盾を覚えたノアは、自分を見上げるエィミに優しく微笑み掛ける。

「一人で寝れるね。おやすみ」

 その言葉を言って、エィミの頭を撫でていた右手を話そうとした時。


「……」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 横になっていたエィミが状態を起こし、ノアの首に抱きついてきた。

 不意打ちだったので、彼女の身体に覆い被さってしまうところだったが、左腕でベッドの側面を掴み、すんでのところで耐えることができた。

 しかし、抱きつかれる力に抗うノアの意思に反して、エィミは、首筋に可愛い音をたててキスを落としてくる。


「エィ……ミ?」


 そんなことをされて、心臓が飛び跳ねない筈がない。好きな子に触れられ、身体の底から快感が走る。

 名を呼んでも答えるどころか、まだ唇を軽くつけてくるものだから、ノアはエィミを自分から引き剥がした。

「エィミ、一体……」

 どうした。と、続けようとして、ノアは言葉をやめた。

 恐らく、ノアと別れてからずっと、夜中はそういう生活を送ってきたのだ。

 請われて、それを受け入れる行為を。

 彼女の行動の意味を知り、ノアの思考は停止した。

 身体を駆け抜けた熱が、急激に冷める。

「……」

 ノアはもう一度静かにエィミを、布団へと寝かせると、「大丈夫だから。何もしなくていいから、眠って」と、念を押す様に言う。そうして、そっと手の平で視界を暗く遮ると、瞼を無理矢理閉じさせた。


「おやすみ」


 手の平で視界を覆いながら、覗く額に優しくキスをおとすと、ノアは自室から出て行った。


「ノア様」

「……ああ。ジュン」

 なるべく音を立てぬよう扉を閉めると、そこには侍女頭が待っていた。

「父上の部屋にいる。エィミが寝た頃に呼んでもらってもいいか?」

 珍しく溜め息を大きく吐きながら、溜めていた嫌な感情を、そこで全て吐き出す。

 本当なら彼女が寝付くまで頭を撫でているつもりだった。そうして、そのまま眠りにつけたらどんなに幸せだろうと。

 勝手に想像して、盛り上がって、やめた。

 あのままあの場にいては、エィミの身体は休まらない。ならば、一人にするしか方法はない。

「かしこまりました。でも、坊ちゃんは?」

「俺は何処でも寝れるから大丈夫。しばらく心配掛けるがよろしく頼むよ」

 ジュンはその場から立ち去るノアの背中を見送り続け、そうして先程までと同じように、扉の前で姿勢を正す。


 幼かった頃の彼らの恋が叶いますようにと、静かに祈りながら。


 ***


「おはよう」


 朝日が差し込み、エィミはその眩しさで目を開けた。

 こんなに身体がスッキリした目覚めは何年振りだろう、なんてことは考えず、声のした方に視線を動かす。

「よく眠れた?」

 座っていたソファから立ち上がったノアは、既に服を着替えていた。

 すらりと伸びた手足に、節張った男の人の手。

 黒い髪は少しフワリと横に流れ、エィミを見つめる目はとても優しい。


 彼女はその瞳を知っている筈だった。


 何処かで見た記憶があるのだが、忘れていた。

 自分を見る目も、触れる手も唇もたくさんあったから、いろいろなものに埋もれて思い出せない。


 だというのに、昨日彼が見せた一瞬の顔が、エィミの脳裏から離れなかった。


 ああいうことすれば

 おとこのひとはみんな

 よろこぶのに


 なのに、彼はとても寂しそうな顔をして、エィミから離れてしまった。

 あの時の泣きそうな顔が、エィミの胸を締め付けて息が出来なくなる。


「リリーとクレアを呼んでくるから待ってて?」


 ノアは机の上に並べていた書類の束を簡単に纏めると、二人を呼んだ。


「おはようございます」

「ゆっくりおやすみになられましたか?」


 朗らかな声に、少し暗かった部屋の空気が明るくなった気がした。

「着替えをお願いしてもいいか?ドレスは仕立てて貰っている最中だが、時間のある時にでも採寸してもらおう。その辺りはお前たちに任せる。今はクローゼットに入っているものの中からお願いしたい。食事は一緒にとろう。ひとまず終わったら食堂に」

 早口で支持された二人は頭を下げると、ネグリジェ姿のままのエィミに近付き「参りましょう」と共に来るように誘導する。

「またあとで」

 すれ違いざまにふと彼の方を見上げると、視線がぶつかる。

「……」

 貴方は私に笑いかけてくれるのね。

 それは、下心を抱えて近付いてくる笑顔とはまるで違う。

 少し心が温かくなり、少し心をチクッと突き刺す笑顔だった。


 ***


「ノア様」

 三人が去ってから、入れ違いに部屋のドアをノックする者がいた。

「入れ」

 許可を得て入ってきたのはハク。

「昨夜は遅くまですまなかった。助かるよ。それで、昨日の今日で申し訳ないが、これをまた城へ届けてほしい」

「……かしこまりました」

 ノアから渡されたのは、国王へ書かれた一通の手紙。

 昨夜の謁見した際の言葉は記憶に新しく、返事が遅れてしまったのは、少なからずそれも関係している。

「こういう面倒ごとは、なるべく早く済ませておきたいんだ。本当に迷惑ばかりかけて……」

「謝らないでください」

 ノアが言おうとした謝罪の言葉を遮り、ハクは真っ直ぐ言葉を放つ。

「エィミ様が戻ってきて下さって嬉しいのは、ノア様だけではありません」


 そう言いながら、ハクは昨夜起きた出来事を思い出していた。


 飛び入り参加だけでは済まさず、恐らくオークションの目玉商品だったであろう『生きた宝石』を横から掻っ攫い、勝手に連れて行ってしまったノア。

 買った物に対していつまでも金を支払わないのは気分が良くないので、まだ社交場で皆の気分がふわふわしている最中の王宮へ向かってもらった。酒の匂いが充満する王宮内であれば、社交場に出ている王に直接挨拶せずとも、モノさえ渡してお礼状でも一筆書けばいいと思っていた。

 金は払うのだから最低限の礼儀を尽くせばいいだろう、と。

「なんだ。もう払いにきたのか」

 要件を述べ、通された部屋に来たのは、社交場にいてもてなす立場にいる筈の国王の姿。

「主人はどうした。……ああ。あれはまだ主人ではなかったか。やり取りをするのはリベルテよりも息子の方が多いから、どうも勘違いしてしまう」

 踏ん反り返る様に座ってから、国王はとても楽しそうに喋り始める。

「アレを献上したのは父親の方か……。まさか、その息子が高値で買い戻すとは……面白い」

 クックック、と、何が楽しいのか一人で笑う目の前の国王は、差し出された物を横目に見遣り確認すると、家令に放った。

「壊れた人形でもまだ役に立つ事は十分にあるだろう。楽しんで使うが良い」

 そうして国王が場を去るまでの間、ハクはずっと腰を折ったまま、顔を決して上げなかった。


 今までユウェール家で、大切に接してきた、娘のような存在のエィミに、よってたかって何をしたのか、と。

 普段感情を表に出さないハクの顔が、怒りで赤く染まっていた事に、その場にいた誰もが気付かなかった。

 そして何より。

 この場に居るのがノアでなくてよかった。

 と、誰よりも思っていた。


 城から戻った家令は、ノアに何かあったかと尋ねられても、あの国王から放たれた言葉の刃を決して口にはしなかった。

 

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