第9話
「国王陛下。最近、よくお連れになっていた姫君は?」
ノアはその日の社交界で、国王の隣にエィミの姿が見えない事に気付き、そっと耳元に囁いた。
「お前はユウェール公爵家の……」
「ノアと申します」
「……」
その名を聞いて一瞬息をのんだ様にも見えたが、その瞬間に何を思ったのか、国王は口を噤んだ。
突然国王に近付いてきた人物に、彼を守る近衛兵が警戒の姿勢をみせる。
「……」
王が彼らに目配せし、この人物は大丈夫だと合図を出したのか、ノアに注がれる視線の厳しさが若干和らぐ。
「あれは、お前の父がブリアール国に献上した品物だ」
口元を読まれぬ様話す姿は、何かやましい事をしてきたからか。ノアはその考えをおくびにも出さず、国王からの言葉をひたすらに待つ。
エィミは一体何処へ。
胸の鼓動が五月蝿いくらいに高鳴り、嫌な予感ばかりが頭に浮かぶ。
隣に並べずとも、姿を見れるならそれだけでよかった。
触れる事が構わなくても、たった一瞬目が合うだけで心が弾んだ。
もし、そんな僅かな幸せさえも奪われてしまったら、これから何を希望に生活していけばいいのか。
彼の口から決定的な一言を言われたくなくて、ノアは国王とのやり取りに集中する。
「あれはもう用済みになった」
ヨウズミ……?
心が跳ねる。
用済みとは何だ?
吐き捨てられた言葉に理解が追いつかない。
「初めて来た時から、にこりとも笑わぬ」
笑わない?
あの、美しく笑っていたエィミが?
「ただ、十分に役目は果たした」
ノアは、彼から発せられる言葉の一つ一つに棘を感じた。
「城にはもう必要ない」
「っっ」
顔がカッと熱くなり、血の気が逆流した。
ヒツヨウナイ?
瞬間、自分を監視していた近衛たちが身構えるのを横目で見遣る。
「そうか」
クッと王が喉で笑う。
何だ。
一体何が楽しいのか。
先程から会話を聞いていて不愉快な感情しか生まれてこない。
「まさか、何も興味なさそうだったお前が実の所一番アレを求めていたとは」
聞こえるか聞こえないかという程の音で呟き、王は挑発的な視線をノアに送る。
「面白い」
「……」
「抱き心地はよかったぞ」
「ッッ」
一体、何処まで侮辱されればいいのか。
何かを知っていてこの言葉を選んでいるとしたら、胸糞悪い。
「お前に一つ言っておこう。アレは姫君などではない。宝石だ」
侮蔑的な目をノアに向け強く言い放つ。
「今宵、世にも珍しい宝石が城の地下でオークションにかけられる」
「オークション?」
ノアは途端に楽しそうな口調になった王を不審に見遣る。
彼はその視線を真正面から対峙し、更に面白そうに笑った。
「もし欲しければ行くがいい。我が特別許可してやろう。今頃幾らの値がついているかな」
間に合えば……な。
ノアは厭らしい笑い声を背に駆け出した。
間に合え間に合え間に合え。
王の名を出し、手近にいる者にその会場を聞き出す。
本当なら金など使って買いたくなどない。
彼女は元々俺の腕の中にいた。
長い廊下を走り、社交界の喧騒から離れる。
間に合え。
息をする度に胸が苦しく、けれど足を止めてはならぬと心が叫ぶ。
もう二度と失敗はしたくない。
ちらほらと社交場を抜け出し、落ち合っている男女の合間をくぐり抜け、城の警護をしている騎士たちをかわす。
王宮の地下で開かれる、不定期に行われるオークション。
限られた人間しか入る事が叶わず、その存在を知る者はごく僅かだという。
ノア自身も風の噂で聞いた事はあったが、今までそういった雰囲気もなく、ネタとして聞いていた。
それが今日、賑やかな社交界が開かれる王宮で開催されているとは、想像もしなかった。
エィミの不在に気付いたのはいつだ?
もっと早くから行動しておけば良かった。
あの場で引き止められ、下らない談笑なんてしている場合なんかじゃなかった。
普段立ち入ることのない王宮内は入り組んでいて、地下に通じる階段を探し回るのに時間をくってしまった。
地下牢に続く階段はこれだ。
罪人を囲う為の階段は見つけたが、あと一箇所ある筈だった。
不本意ながら足を止め、呼吸を整える。
心臓が痛いくらいに叫ぶのは、走ったからか、それともエィミの事を考えてか。
「……」
ノアは手の甲で噴き出る汗を拭い、僅かだが光の漏れ出る扉を見つけた。
しっかりと閉じられていなかったらしい。
ノアはそれを押した。
キィィィィ……
木と木が擦れるような、少し甲高い音と共に、下へと下りる階段が現れる。
この場を警備する近衛は居ないのか。
それとも、逆に見張りをつけている方が不審がられるのか。
ノアは慎重に、しかし、滑らぬ様足早に階段を下る。
再び現れた扉の向こうは、何となく緊張した様な、しかし賭け事を楽しんでいる様な空気が、その隙間から漏れ出ている。
階上にある扉よりは大分重厚な作りをしている扉の向こうに、彼女はいるのか。
ノアは慎重にそれを押した。
「……エィミ」
呟くより前に、突然開けた視界に情報が多すぎて、頭が処理できない。
「……五十三番、二百五十万」
「三百万」
「二十一番三百万。他に」
装飾も程々に抑えられた、仄暗い空間の中。
椅子が綺麗に並べられ、座る者たちは皆…仮面をつけているようだった。
「五百」
「五十一番五百万」
物静かな空間の中、ただひたすらに数字だけが言語として認識されているようだった。
オークション……競売。
王は確かそう言っていた。
地下の部屋へ来て、真っ先に目に止まったのは、ここで唯一光の当たっている、一段上がったその場所。
「エィミ」
ノアだけでなく、他の皆の注目を浴び、過度に着飾られた彼女が椅子に座らされている。
視線はただ、何処か一点のみを見つめ動かない。
初見で見た者には人形だと勘違いされてしまいそうな程、人間離れをしている。……生きた宝石とは言われているが……。
「六百」
「五十三番、六百万」
ノアの思考が止まっている間も、オークションは続いている。
「五十三番、六百万。他には」
同じ番号が繰り返され、他に競る者が居ないと示唆している。
「それでは…………」
司会がそれで締めようとした時。
「一千五百」
突然の乱入の声に、皆の視線が声の方に向く。
「一千五百万」
有無を言わせぬその真っ直ぐな言葉に、皆、次の言葉が継げなかった。
それもその筈。
彼が提示した額は、桁違いだったからだ。
だが、その値段でも『生きた宝石』は滅多に手に入らない。
周りの音が止む中、その額で締めようと司会者が口を再び開き、競り勝った人間が椅子から腰を浮かび上がらせた時だった。
「三千万」
ただ、ひたすら現状を把握しようと立ち尽くしていたノアが、張りのある声を上げる。
「三千万だ」
ノアは冷ややかな目で、自分の前に高値を出した人間を見下す。
ノアは静まり返る会場の中、大きな一歩を踏み出した。
「待て。飛び入りなんて聞いてないぞ」
仮面を付けたままの男が声を荒げる。
「彼は王からの許可を得ています」
司会が淡々と言葉を述べる。
この会場を探し回っていた短い時間の間で、いつの間に伝来をよこしたのか。
もしかしたら、こうなることを奴は見越していたのかもしれない、と思い、口の中を何か苦い物が込み上げる。
罵声を浴びせるのであれば、仮面に自身を隠すのではなく、堂々と迎え入れればいい。
お金を使い買いたかったわけではない。
ノアは唇を噛む。
だが、そうしなければ手に入らないのであれば、全財産投げ打っても手に入れよう。
後ろめたいことは何もない。
ノアは再び一歩進み出た。
「三千万。他には」
司会が横槍を袖に場を進める。
ノアは他の者と違い、正体を晒している。
この日の為に色んな言葉や視線、誘惑から逃れてきた。
この日の為に耐えてきた。
のし上がってきた。
培ってきた。
手に入るならそれらの全てを捨ててもいい。
ノアはやっと、恋焦がれて見つめ続けていたエィミの手を取った。
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