第6話


 ノアとエィミが共に暮らす様になって、共に幾つもの季節を経験した。


 芽吹きの春にはピンクで溢れ、短い夏には香りが豊かなラベンダー。

 街が黄色やオレンジに色付き柔らかな秋。

 息も白く見える冬は凍てつくけれど、中に籠ってしまってはもったいない。


 花と戯れ景色を楽しみ、雪で遊ぶ。

 四季を巡る内に、同じくらいの背丈だったノアの高さはいつの間にかすらりとエィミのそれを越していたが、まだまだ伸び代がある年頃だ。

 エィミは誰もが振り向く程の美しさをもち、庭園に咲く花を愛で、そこでよく本を読んで暮した。絵本から、各国の言語で綴られた本まで、ノアは彼女が求める物を取り寄せた。その知識の吸収量は誰もが舌を巻くほど。

 ノアはそんな彼女に変わらぬ愛情を注いだ。

 彼女に向ける笑顔は変わらず優しく、学年が幾つか上がり、取り巻く環境が変わっても、彼はエィミの元へ必ず帰ってきた。

 想いを伝える術も増え、労り、そして何よりも強くあろうと鍛錬を欠かさず行っていた。

 屋敷に騎士を雇い、騎士団に入るまでの時期を無駄にしない様、剣の扱いから、体術、弓のひきかた、馬の扱いに至るまで、幅広くしごかれた。何より一番は体力作り。

 彼女と一緒の時間を過ごせる時は、ただひたすらに甘い時間を。

 彼女が一人の時間を求める時には、ノアも邪魔をせず、エィミの知らぬ所で学業や筋肉をつけるべくトレーニングに励む。誰にも話した事はないが、初めてエィミに出会った夜、彼女を軽々抱き上げてあげることができなくて、唇を噛んだ記憶は今でも苦い。

 そんな関係を知る屋敷の人間は、二人が結ばれる事を心から願っていた。

 ユウェール伯爵家の主人は、仕事柄故家を空ける時間が長く、未だエィミを見てはいない。しかしながら一目見ればその姿に魅了され、息子であるノアと結婚させるだろう、と想像すらしていた。

 共に想いが通じているのであるから、尚更に。

 彼は身分を気にする人間ではない。

 ただ、そこが気にかかるのであれば、ユウェール家に養女として迎え、ある程度たてば他の家に口利きし、養子縁組をしてもらってから、婚姻関係を結べばなんら問題はない。

 そんな夢の様な未来が侍女たちの間でもちきりになっていることを、本人たちは知っているのかいないのか……。


 そうして毎日を穏やかに過ごし、自室で一人気持ちを落ち着け、ノアがベッドに入り眠りについてしばらく。

 ーーかちゃ……きぃーー

 控えめな音と共に人の気配。

 今のノアが気づかぬ筈もない。

 すすすすす、と、床を擦る音が消え、ブランケットの重みが少しやわらぎ、温まった中に涼しい風が通る。

「エィミィィ?」

「えへへ」

 ベッドが人一人分の重み分沈み、その方へ向くと、いつもの様に、同じ場所で寝ようとしているエィミのネグリジェ姿。

 笑って誤魔化せると思っているのか。

 彼女が屋敷になれるまでは、共に同じ空間で眠っていた。だが、ノアも一応思春期という時期に足を踏み入れているである。流石に昔と同じではいられない、と、未だ共に寝たがるエィミを引き離したのは、いつだったか。

 初めて別々の部屋に分かれた夜中。

 エィミは皆が寝静まった後に自分の部屋を抜け出し、こっそりノアのベッドに侵入するようになった。

 初めて遭遇した朝は、まだ夢の中にいるのかと思い、彼女を抱き枕を抱く様に抱き締めてしまった。

「のぁ……くるしい」

「んん」

 枕から押し返す力を感じ、ノアは抱き締め返す。

「のあ」

「ん?」

 再び呼ばれ、目を開ける。

 枕は自分の体温と同じく温かで、いつまでも触れていたくなる弾力が心地よい。

 寝ぼけ眼で、ふにふにと、枕のどこだか分からない部分を揉み続けるノアは、ぼやけた視界がはっきりと彼女を捉えた刹那。

「…………エィミ?」

 ノアは全ての思考と行動を停止させた。


 それ以来、ノアが目覚めるとエィミの寝顔が手の届く範囲にある事が日常になっていた。

 変わらず心臓は高鳴るが、早く起きればそれだけ寝顔のエィミを堪能できる。

「好きだよ」

「うん」

 夢の世界から返事をするエィミは、その言葉の意味が分かっているのか。

 ノアに頭を撫でられて嬉しそうにするその笑顔は、彼の表情と同じように、とても幸せそうだった。


 ***


「父上っ」

「ただいま。ノア……か?かなり大きくなったな」


 朧げな記憶を探ると、息子は少し寂しそうな表情をしている幼子だった。

 だが、今目の前で自分を見上げる男児は、青年と表現しても遜色のないノアの姿。一体、


 学校が休みの日。

 前触れもなく、ノアの父親が何年ぶりかに家へ帰宅したものだから、屋敷内はざわついていた。


「おかえりなさい」

「留守にしている間に屋敷はずいぶん明るくなったな」

 階段を降り玄関まで迎えに行くと、ノアが大きくなった分だけ歳をとった父親の姿。

 今度は一体何処まで行っていたのだろう。

 家に帰る途中で身だしなみを整えてきたのか、頭髪や髭は品を損なわない程度にまとめられ、肌は日焼けをしてノアのそれとは髪色も含め正反対。だが、並んで比べるとしっかり血の繋がりはあると分かる。

 ユウェール家は、代々しがない宝石商を営み、質がいいと評判で、それで爵位を賜っていた。

 今回も海を渡り山を越え、太陽の陽射しが一段と厳しい国へ行っていたのか。毎回、宝石を王宮へ献上しに泊まりに来るだけで、生活をしに来た訳ではない。ユウェール家は彼にとってただの高級な宿屋。

「リベルテ様」

 名を呼ばれた父は、その屈託のない邪気のない笑顔でそちらへ向く。

「久しぶりだな。みな元気にしてたか」

「はい」

 彼は再会のハグをハクと交わす。広い世界を縛られずに生きているからか、リベルテはそういう、立場だったり身分だったりという概念がなく、皆、同じ人間として触れ合っていた。

「で。…………君は?」

 にこにこ笑顔のまま、リベルテはノアの後ろから覗くエィミを見遣った。視線を下げる為に膝を折り彼女と目を合わそうとするが、ノアの服の裾を掴み俯いたままなので、瞳は伏せられ見られない。

「珍しい髪の色だね」

「……」

 とてつもなく長い髪を持つエィミは、眠る時以外は毎日変わる変わる侍女たちの腕によって可愛らしく仕上げあげられ、数年経った今でも毛先を整える程度のカットはすれど、扱いやすい長さにまで切られることはなかった。

「エィミといいます」

 黙ったままの彼女に代わりノアが紹介する。

「エィミ……か。いつからここに?」

 この奔放な父親の事だ。

 住まわせている事実を疎むことはない。とは思いながらも、どんな反応をしてくるのかは気になりはする。

 父親はただひたすらに何かを探る様な視線をエィミに注ぎ続け、一瞬。彼女の瞳を捉えると口角を引き上げた。

「まぁいい。……にしても、ノアに預けて正解だったな」

「……?どういう……?」

 父親の発した最後の一文は微かではあったがノアの耳にも届いた。しかし、その、若干嬉しさを滲ませた言葉の意味は呟いた本人にしか分からなかった。


 ***


「ハク」

 屋敷に帰ってきてから、侍従たちと会話を交わし、ようやく自室に戻ってこれたリベルテは、持ち帰った荷物の整理をしながら、家令の名を呼んだ。

「なんでしょうか?」

 室内で控えていたハクは主人に軽く頭を下げ、側へ近付く。

「ノアは普段もああやって?」

 視線の先には庭園でお茶を楽しみながら、楽しそうに笑うノアとエィミの姿。

「そうですね。ノア様が学校から帰宅されると、お二人は常に一緒におられます。何も出来なかったエィミ様に、礼の仕方から食事の作法、ダンスレッスンに読み書きなど、令嬢に必要なことの基礎はノア様が全てお命じになって……。時には御子息様が直接教える事も多くありました」

「ほう」

 リベルテは心の底から感嘆の声を漏らす。

「ノア様もいずれはエィミ様と婚姻を結びたいと考えておられるようですよ」

「……」

 ハクから発せられたその言葉は余計な一言だったのか。

 目を細めて二人を見ていた主人が、眼光鋭く家令をみた。

 何か気に触る事でも言ってしまったか。

 ただ、事実を述べただけのつもりだったハクは、仕える主人の機嫌を損ねたと感じ「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。

「いや。……謝る必要はない。ただ……ちょっと驚いただけだ」

 一体何に対して。

 主人の留守中、彼に代わって屋敷を見守ってきたハクは、その疑問を表には出さなかった。

 自分たちから見るとまだまだ幼い彼らが、共に過ごす未来を叶えてあげたいという、屋敷の者たちの幸せな願いは届かないというのか。


 ハクは感情を表には出さぬ様気持ちを引き締めると、再び外へ視線を戻したリベルテに合わせ、自らも部屋の窓から見えるノアとエィミの姿を眺め続けた。

 

 

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