全面戦争


 俺はその夜眠れなかった。タカヤの部屋の窓からは、街のネオンがちらちらと入る。


「カズシ…」


タカヤが俺の寝ている寝室に入ってきた。


「眠れないのか」


俺は頷く。


「いよいよって感じだな」


俺は訊いた。


「怖くないのか?」


タカヤは頷く。


「怖いさ。でも、乗り越えなきゃいけない壁だ。そうも言ってられない」


タカヤは外をちらりと見た。


「先制攻撃は、俺からだな」


俺は頷く。


――ピンポン


タカヤの部屋の呼び鈴が鳴った。タカヤはパタパタとスリッパを鳴らしながら、客人を待たせないように足早に歩いた。俺は玄関のほうをちらりと見ると、少しくたびれたような表情を浮かべた、マイサがいた。


「カズシ…」


俺の顔とタカヤの顔を見ると、がっくりと膝を突いて泣き出した。


「ジンと…リナが…」


俺は何も言わずに頷いた。


「あぁ、俺も、タカヤもそこにいた」

「どうして…こうなっちゃったの?」


タカヤはマイサの肩を抱いた。


「もう…大丈夫だから…」


声をしゃくり上げながら泣くマイサを慰めるように言うタカヤ。タカヤは俺を見て、強い眼差しで力強く頷いた。

――俺の決意は更に固まる。

何が悪いのか…全てはこの理不尽な世の中が悪いんだ。国民を淘汰するだけの、理不尽な最低の法律、最低の世の中…潰すしかない。

俺は何も言わずにすっくと立ち上がった。



 一方、ベルゼブブはオフィスの自室にタイチを呼んだ。タイチはただだだっ広いだけのその部屋に、直立不動で立っている。


「今回の逮捕者の名簿だ、がんばってくれよ」


ベルゼブブから手渡されたA4の用紙。それにざらりと目を通したタイチは、ひとつの名前に目が止まった。

三杉…和司


「そこにいる三杉は、五年前あの島を脱走した脱走者のひとりだ。お前もよく知っているだろ?異端者には然るべき処理をしないといけない…わかるだろう」


タイチはぺこりと頭を下げた。


「失礼致します」


オフィスから出ていったタイチは、重い扉を音をたてないように閉めた。大理石でできた床。廊下はこつこつという靴の音がどこまでも響きそうなくらい静かだ。A4の用紙の束から、タイチはカズシのデータを抜き取った。小さくそれを折り畳み、ポケットにしまうと、同時にスマートフォンを取り出した。



 静かな部屋に、俺のスマートフォンがブルブルと振動する音が響いた。俺はスマートフォンの画面を立ち上げた。タカヤは俺のほうをちらりと見た。そして頷き、別の部屋に行くように促した。――マイサには、悟られたくないらしい。

顔をふせて肩を震わせながら泣いているマイサを横目に、俺は隣の部屋に入っていった。

メール。タイチからだ。

内容はこうだ。


『明日、お前を逮捕するように命令がきた。明日の昼頃、できれば一人で駅前の喫茶店に来るんだ。俺も一人で行く』


俺の心臓が高鳴った。囮だ。

――気づけば夜もすっかり更けていた。決行への時間も、刻一刻と近付く。眠れない。俺はタカヤの部屋のベランダにそっと出る。

 夜風が冷たく、ふっと髪の毛を撫でた。ポールの上で煌々と輝く水銀灯と自動販売機の灯りとネオンサインのせいでまだ辺りは明るい。ベランダの下を見ると、マイサが一人で立っていた。俺を見つけると、手招きをする。

 俺はベランダから中に入ると、すでに疲れはててぐっすりと眠っているタカヤに小さく断り、部屋を出た。

 俺は外に出た。マイサが泣きつかれたような顔をして、小さくため息をつきながら立っている。


「どうしたんだ?」


マイサはとぼとぼと歩きだしながら言った。


「もうなんだか…疲れちゃった」


空には満天の星。俺は言う。


「死ぬなんて言うなよ」

「…えっ?」


俺はポケットに手を突っ込みながら言った。


「もう、大事な人を失うのはたくさんなんだよ。おねがいだから…」

「わかってるんだよ。カズシ」


マイサは俺のほうを見ると言った。


「あたしには、わかってるんだよ。異端審問官たちと戦うつもりなんでしょ?」


マイサは俺の答えを聞かないうちに、胸に体重を預けてきた。ふと香るシャンプーの香り。


「おねがい…あたしも、大事な人を失いたくない…だから、行かないで」


俺はマイサの肩に手をあてた。


「大丈夫。死にはしないから」

「どこにそんな補償があるの?」


俺は言葉を失った。


「カズシが死んだら、あたしも死ぬから」

「ふざけるなよ」


俺の口調は鋭くなった。


「ガキじゃねぇんだからよ」

「気付いてよね!」


マイサも声を荒らげる。


「わかってるんでしょ?あなたを…失うのが怖いの…」


マイサは俺の唇に唇を重ねた。唇ごしに伝わる体温。俺は目を閉じて、マイサの腰に手をまわした。

 長い口づけのあと、顔を離して俺は言った。


「すまない…」


マイサは目を逸らした。


「俺には…君を守れる自信がない。それに…マイサも気付けよ」


マイサは俺の目を見た。


「マイサの事を、誰より想ってる奴がもっと近くにいるはずだ」


俺はマイサの両肩に手をあてると言う。


「俺からの一生のおねがいだ。そいつを…幸せにしてやってくれないか」


マイサは、ゆっくりと首を縦に振る。


「…有り難うな」


身勝手だとはわかってる。でも…


「家まで送るよ」


 俺はマイサの横を歩き、彼女の家に向かった。

 俺が部屋に戻っても、やはりタカヤは熟睡し、起きる気配はない。俺はタカヤが眠ってる部屋を向くと、小さく微笑んだ。

さて…眠らなきゃ。俺は寝室に向かった。

――明日が、その日だ。



 翌日、タカヤは朝早く起きて言った。


「おい、カズシ起きろよ」


寝不足の頭は、若干重たい。


「マイサは?」


少しテンパっているタカヤに、俺は枯れた声で答えた。


「帰ったよ。俺が送ってったから心配するなよ」


タカヤはほっと胸を撫で下ろした。


「そっか、よかった!お、そういや朝飯ができたぞ。よかったら食えよ」


俺はのっそりとベッドから立ち上がる。トーストとスクランブルエッグといった簡単な朝食に、緑茶という組み合わせをテーブルの上に展開させるタカヤ。


「そういや、お前いつマイサ送っていったんだよ」


俺は椅子に座ると言った。


「お前、ちっとも覚えてねぇのかよ?まぁしゃあねぇか、疲れてたもんな?」


会話が途切れたとき、俺は切り出した。


「今日の昼頃、タイチと待ち合わせた」


タカヤが真顔になる。


「そうか、いよいよだな」

「ちゃんと、追いかけてくれよな。俺がやられちまったら、化けて出るぞ」

「へっ、笑えねぇよ」



 その頃、志波は某犯罪の対策本部を立ち上げた。会議室のまん前に備え付けられた長机に両手を置いて、話し出した。


「お前らをここに集めたのは、俺の捜査に協力してほしい。根拠は特にないが…ウラがとれたら、国家レベルのスキャンダルに繋がるヤマだ」


ざわざわと室内がどよめいた。


「勿論、この捜査は内密に、かつ迅速に対応しなければいけない。だから、同士だけで行うつもりだが…」


室内にいる警官たちは頷く。


「皆…」

「よし、それなら行動開始だ。さて、行こうか。付いてきてほしいところがある」


志波は警官隊を引き連れて、会議室を出ていく。やはりこの法案に不満を抱えていて、変えたいという気持ちが強い警官も多かったようだ…

志波はきりっと目線を引き締めると、パトカーに乗り込む。

 ――一方、俺はタイチを喫茶店で待つことにした。チェーン展開している、大手の有名カフェ。俺は、無難なSサイズのブレンドを頼み、椅子に座った。誰も知らないだろうな…今からここで大々的な猿芝居が行われるってことを。

 俺は呼吸を調え、何も知らないような顔をしてコーヒーを迎え入れた。タイチが来る、この数分間が異様に長く感じる。

そして…タイチがやってきたようだ。真っ黒なスーツ、真っ黒なサングラスに身を包み、異端審問官の姿を見た店員や客がさっと横にずれた。タイチはわざとらしいくらいに俺を探す。そして、つかつかとこっちに向かってきた。


「な…なんなんです?」


タイチは鳩尾に思いきりパンチを食らわせる

……ふりをした

 俺は前にうずくまる……ふりをして、がくりと倒れ込んだ。タイチは俺をひょいと持ち上げる。カチカチの筋肉の鎧が体にめりこむようだ。

 俺は車にどっかと載せられ、手足を縛られた。


「…許せ」


俺は気絶したふりをしたまま、小さく頷いた。

タイチの乗った車は、そのままどこかに走り出した。


「もういいぞ。すまないな」


俺はタイチに言う。


「やれやれ、人を騙すのも楽じゃないよな」


タイチはふふっと笑う。


「ちゃんと、スマホの電源はONにしてあるんだろ?」

「当たり前だろ?そうじゃなきゃ…計画はパーになっちまうんじゃないのか?」

「まぁな。」


タイチの車は、都心に向かって走る。



 タイチの車が停まる。何かの施設の地下駐車場のようだ。


「気絶したふりをするんだ」


俺は言われるとおりにした。後部座席をタイチは開き、俺をひょいと持ち上げる。うっすらと瞳を開くと、タイチが施設のドアを開き、普通のエレベーターのボタンを押した。何かの暗号になっているようだ。

一階、六階、三階の順番で決まったように押す。エレベーターが到着し、扉が開くと、俺とタイチは箱の中に入っていった。

 地下に降りていくエレベーター。かなり深いところまで潜っていってるようだ。エレベーターの扉が開くと、扉の向こうには黒い大理石のような艶々とした床が広がっている。

 床は鏡のように、タイチと俺の姿を映し出している。俺は中を見ないように、目をぎゅっと瞑る。



 俺の耳に入ってくるのは…悲鳴、そして歓声…

――吐き気がする。

タイチは俺を床に寝かせると、緊縛を解いた。

俺はわざとらしく、何も知らないような顔をしてきょろきょろ周りを見渡した。

そこは……

 ガラス張りの窓の向こうには、小綺麗にドレスアップしたVIPが、円いテーブルを囲んで拍手をしている。その真ん中にできている円形ステージ。円形ステージの上には、白い手術衣のようなものに身を包んだ一人の男が立っている。

――顔が、真っ黒な布で覆われている。

後ろには、店員のようなタキシードが付き添い、ステージの端まで男を導いた。ステージは高さがあり、ステージの下には、無数のピアノ線が張り巡らされている。タキシードが両手を上げると、VIPが歓声をあげる。

 タキシードが男の背中を押した。

男は悲鳴をあげながら、真っ逆さまに落ちていく。


「あぁああぁあっ!ぐぎゃあっ」


男が床に落ちる寸前、ピアノ線が彼の体を角切りにしていく。

真っ赤な鮮血が飛び散る。

VIPたちは大きな歓声をあげた。

――俺は再び吐き気をおぼえた。


「ここはセブンスヘブン…会員制の超高級の見世物小屋みたいなもんだ。超VIPの会社役員やら財閥の総帥…そう言った奴等の高尚なご趣味だよ」


これが…本物のセブンスヘブンの実態…


「こっちに…」


 俺はタイチが歩く方向についていった。真っ黒な空間の、先の見えない道をひたすら…両側に同じような色のタキシードがSPのように立っている道を歩いた。


「できるだけゆっくりやる。しばしこらえてくれ」


俺は頷く。異様な空間のせいだろうか、心臓がばくばくと高鳴る。



 一方、冴神とタカヤ、坂崎は車を走らせてカズシのあとを追った。


「カズシ…うまくやったな」


カズシのスマートフォンのGPSが、今の居場所を指し示す。冴神の運転する車のナビに、カズシの居場所が表示されている。


「カズシ…無事でいてくれよ」


タカヤの肩を叩くと、坂崎は言った。


「大丈夫。もうすでにVIPに混じって、うちのスタッフがセブンスヘブンに潜入してる。もうすぐ…全てが明らかになる」


冴神の車は、都心の高層ビルの地下駐車場に入る。


「急ごう」


車を停めると、一気に外に流れ出す。なんのへんてつもないエレベーターの前に立つと、タイチが言った暗号になっているボタンを押した。


ウイィン…


エレベーターが開く。三人は中に駆け込んだ。

――俺は白い手術服のようなものに着替えさせられた。処刑台に向かうような気分。実際はそれに近い。また歓声があがった。また一人、惨たらしく殺されたのだろう。ショウとしての死、マサさん達は…こんなものの為に、逮捕され…

 俺の怒りは最高潮に達していた。

タイチはタキシードに一言告げると、もときた道を戻っていった。


「こっちだ」


俺は黒い袋を被せられると、何も見えないまま、タキシードに手を引かれていった。

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