決戦へのピース


 坂崎さんの車は、思いの外広いミニバンになっている。俺とタカヤは、疲弊し尽くしたような顔をしていただろう。もうお互いを確認できるような余裕などなかった。


「タカヤ…どうして…」


坂崎さんの問いに、か細い消え入りそうな声でタカヤは答えた


「…わからない…でも、覚えてるんです」


自分の震える両手の掌をみるタカヤ。


「稲垣が…この手の中で死ぬ感触を…」


俺はタカヤに慰めの言葉をかける。


「お前が悪いんじゃない…あれは…」

「もう彼の解離性同一障害は治ったはずなんだ。こんなケースは珍しい…」


タカヤは手で顔を覆った。


「でも…体が覚えてるんだ…理性を失って、違う自分が暴走してるときも…」

「でも…あれはリナとジンを失ったから…俺は臆病だった、だからあいつと戦うことを躊躇った。タカヤは、強いから戦った。ただそれだけなんだよ」


タカヤの肩が震えた


「タカヤは誰より人を想えるから…だから誰かの為に、命を棄てる覚悟で戦えた。それでいいじゃないか」


坂崎さんは優しい声でタカヤに話しかけた


「タカヤは、幸せだね」



坂崎さんの車は、あのビルの駐車場に停まった

表には心配そうなセイジが待っていた。


「坂崎さん、おかえり!大丈夫だったかい?カズシもタカヤも…」


セイジはビルの扉を開いた


「冴神さんは…いるかな?」


俺はセイジに訊いた


「冴神さん?あぁ、いるよ」

「ちょっと、ここに呼んでもらえないかな?二人で話があるんだ」


セイジは頷いた。後ろにタカヤと坂崎さんを連れて……

――暫くして、冴神さんがやってきた。赤いダウンベストに身を包んだ冴神さんは、アジトで見る姿とはまた違った感じがする。

しかし、目に宿った力は変わらない。


「どうしたんだい?」


俺は思いきって訊いた。


「異端審問官に弟さんがいるんですね?」


冴神さんは笑った


「タカヤか。あいつめ…そうだよ。いかにも弟は異端審問官にいる。らしい」


ポケットに手を突っ込んだまま、冴神さんは空を見上げた。東京のビルに切り取られた四角い空。


「気が弱くて…虫も殺せない奴だったのに。昔な、大事にしてたウサギが死にそうなとき、あいつは必死に看病してた優しい奴だったんだけどな…」


俺は再び思いきって訊いた


「彼の…名前は…」


冴神さんは俺のほうを見た。口を開こうとしたその時、冴神さんの動きがぴたりと止まった。

なにかを口ごもっている。

 俺は後ろを振り向いた。そこに立っていたのは、タイチだった。


「…タイチ」


タイチはサングラスの奥の瞳で、多分冴神さんを見ているのだろう。


「久しぶりだな。兄さん」

「…タイチ」


そのすぐ後に、タイチは俺のほうをくるりと向いた。


「お前に忠告することがある」


俺はわかっていた。


「わかってる。逮捕されるんだろ」


タイチはふぅと小さく溜め息をついた。


「お前に猶予をくれてやる。逮捕されるか、真人間になるか…」


俺はもう、どうでもよくなってたのかもしれない。別に捕まっても、構わなかった。

でも……俺はこいつを、どうにかしてやりたかった、!


「稲垣が、死んだよ」

「そうか」

「…ジンとリナも死んだよ。もう誰かが死ぬのは、たくさんだ」


タイチに少しだけ動揺がみられた。


「…ジンと…リナ…」

「ユウジも死んだよ。あの島から逃げるときによ…」


冴神さんはタイチに話しかけた


「タイチ…今のこの法に、疑問はないのか?」

「俺はミッション通りに動くだけ。それが俺の仕事だ」


冴神さんはがっくりとした。


「…俺がここに来たのには、わけがある」


タイチが冷たい声で言った。


「なんだ」


風がやんだ


「お前たちと話がしたい」


意外な言葉だった。冴神さんは、アジトの入り口を指差した。


「こっちだ」


タイチは一言も発することなく、ただ冴神さんについていった。 



 冷たいコンクリートの壁を反響して伝わる靴の音だけが響く。やがて着いたアジト。中にいたタカヤはすっと立ち上がった


「…タイチ」

「勘違いするなよ。俺は話がしたいだけだ」


タイチはSPのように背筋を伸ばしたままで機械のように喋った。


「お前らの目的はなんだ」


冴神さんは毅然とした態度で言った


「まずは、お前が盗聴機やレコーダーの類いを持ってないか調べさせてもらうよ」


タイチはふっと笑った


「安心しろ。何も持っていない」


セイジはタイチにぺたっとくっついた。


「決まりなんだ。悪いね」

「どっちみちここには何の電波も届かないようになってる。しかし、お前を信用しきるわけにはいかないんだ」


坂崎さんはタイチの目を見た


「我々の目的?そりゃわかるだろ。そうじゃなきゃこんなこそこそした真似はしない」

「…セブンスヘブンを潰すつもりか」

「そうじゃない。再び考え直してもらいたいだけだ」


坂崎さんはじっとタイチの瞳を見ている。


「確かに、俺たちがやってることは…法には背いているのかもしれない。ただどうだ。お前らは道徳的な正義を行使してるのか?」

「必要ない。この社会は劣等な人種で溢れてる。だから掃除が必用なんだよ。誰だってそうだろ。形の悪い部品は切り捨てる…」


俺は声を荒げた


「部品だ?だったら今まで捕まったマサさんや、鵜沼さんは…」

「そうだ。こんなに人口が爆発し、国が豊かじゃないのは何故だ?税金を食い潰す落ちこぼれが増えたからじゃないのか?」


俺は拳を握った。

冴神さんはがははと笑った。


「そうかそうか!お前の持論はそうなんだな!うまくコントロールされたもんだ」

「なに?」

「その為の法律か?セブンスヘブンは。おかしいな。じゃあ逮捕された人間はどこに行ってるのかな?異端審問官なら誰でもわかるはずなんだが…誰もそれを口にしない。どうしてだ?」


タイチは口をつぐむ


「知らないわけはないだろ?お前ほどの地位のやつが…」


動揺を見せるタイチ。


「今だ坂崎」


坂崎さんはぱちんと指を鳴らした。タイチはがくんと肩を落とす。

催眠術…

タイチは眠ったように動かない。


「意外にうまくいくもんだ…彼は今トランス状態にある。今から…矯正にとりかかろう」


坂崎さんはタイチの前に座った。子供に話しかけるような、柔らかな口調でゆっくり話しかける。

タイチの表情が、少しずつ穏やかになっていく。

あの島で、どんな洗脳を受けたんだろうか?

俺はじっと、タイチを見ていた

タカヤが、俺の肩を叩いた。


「不思議な人だよ。あの坂崎さんは…俺の心を、皆見透かすような…多分、俺はあの人じゃなきゃ、病気を治せなかったんじゃないかって思うんだ」


タイチが、ゆっくりと目を開いた。異端審問官になった時から、暫く見ることがなかった、穏やかな表情……


「俺は…」


冴神さんはタイチの肩を叩く


「おかえり」

「兄さん…」


冴神さんは涙目になった。


「タイチ。なんでここにいるか、わかるな?」


タイチは俺を見た。


「…すまない、カズシ。許してくれ」


俺は首を横に振る。


「どうして、俺に忠告をしに?」


タイチはふっと笑った


「俺も、洗脳が弱かったみたいだな。でももう大丈夫だぞ。もう何も怖くなんかない」


筋肉に覆われた、以前の面影のないタイチがゆっくり話しだした。


「さぁ兄さん。なんでも聞いてくれ。俺の知ってる限りでなんでも話そう」


冴神さんは背筋を伸ばすと、真顔で訊いた。


「セブンスヘブン法の…真の目的はなんだ?」


タイチは両手を前に組んで、話しはじめた。



 一方、高層ビルの高層階にあるオフィスのデスクに座るのは、ベルゼブブだ。背後に広がる、都心の夜景。机の中から写真を取り出すと、それをじっと眺める。そう、これは復讐だ。

ベルゼブブはくすくすと笑い出した。


「ベルゼブブ様」


ベルゼブブはオフィスの入り口に立っている黒服を見た。


「本日はどうなさいますか」


ベルゼブブは左腕の時計をちらりと見た


「行こうか。何人だ」

「本日は、20人となっております」


ベルゼブブはにやりと笑った。


「十分だな。よし」


ベルゼブブはすっくと立ち上がり、オフィスの出口に向かった。

――そう、これは彼なりの復讐なのだ。



「…それ、本当か?」


タイチは頷いた。


「だとしたら…えらいことだぞ」


俺は更なる怒りを覚えた

坂崎さんは小さくため息をついて言った。


「まさか…こんなことのために…国家が…」


冴神さんは凛とした表情で言う。


「どうする?まぁ、答えは決まってるだろうけどな」

「話は聞いたぜ」


入り口のドアが開くと、長身の志波さんが立っていた。


「もしそれがマジなら、証拠を押さえることができれば奴等をパクることができる。法の名のもとにな」


もう、答えは決まってる。

セブンスヘブンを、必ず叩き潰す。


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