狂気と狂気


 取調室の空気は、何とも言えない重々しい空気となっている。


「本当に…お前はやってないんだな?」


目の前の刑事はきついタバコを灰皿で揉み消すと言った。


「何度も言ってますが…」


怪訝そうな表情を浮かべたまま、ふんと鼻から息を抜く。


「まぁいい。こっちも全力で犯人を追う」


にやにやしながらこっちを厭な目線で見つめる刑事から俺は目をそらした。


コンコン


ドアを叩く音のすぐ後に、別の刑事が入ってきた。俺ははっとする。

仏頂面の、オールバックにした刑事。こうやって見ると意外に細身で脚が長い。


「外してくれ。そしてオフレコにしろ」


前に座っていた刑事が、緊張したような様子で出ていった。むすっとした表情で、彼は椅子に座る。


「いいぞ、録音もしてない。俺がわかるだろ」

「…志波さん」


役職は、署長。そして警視正。かなりのエリートなんだろう。志波さんは足を組んで、俺のほうを見た。


「犯人は…稲垣なんだろ?」


俺は頷いた。


「残念ながら、稲垣は死んだことになってるようだ。警察に逮捕はできないな。あいつを捕えることができるのは、今や異端審問官しかいない…」


俺は抑えた声で言った。


「警察は…あてにしてません」


志波さんはふんと鼻を鳴らした。


「現職刑事を前にいい度胸だ。まぁわからんでもないがな」

「てことは…俺が稲垣を殺しても、罪にはならないってことですか?稲垣がもう死んでるってことなら…」


志波さんは真顔で言った。


「だろうな。でもな、お前には人殺しの十字架がのし掛かる。わかるか?ギルティにはならなくてもシンにはなるわけだ」

「あんな奴を殺しても…なんの呵責も感じない」


志波さんは椅子から立ち上がると、しみじみと言った。


「人間は、そんなに強くなんかねぇよ」


俺は椅子から立ち上がった。


「もう…いいですか?」

「あぁ、すまなかったな。気を付けて帰れ」


俺は志波さんに一礼をした。



 俺は外に出た。雨はもうすでにやんでしまったようだ。湿ったアスファルトが独特の臭いを放つ。

警察署の前に、見慣れた顔が…タカヤと、マイサだ。


「カズシ…」


俺はにこっと精一杯の笑顔で返した。


「大丈夫?」


マイサが泣きそうな顔で俺に近づいてきた。俺はそれを見て、思わず堤防が決壊したように涙が溢れだした。


 近くの居酒屋に、皆が集まっていた。

どうやら、俺を励ますためなのだろう…がやついた店内は、沢山の人で溢れている。店員は忙しそうに店内をせかせかと動いている。俺は涙をこらえながら、タカヤについていった。

奥の座敷には、もう全員が揃っているようだ。

すでにもうジンはできあがっているみたい。端に五本のジョッキが並ぶ。

リナは、大人しくサラダをつまんでいる。

二人で、先に来ていたのだろうか?

俺は精一杯の笑顔を浮かべて言う。


「よっ!」


俺を見るや、少し二人の表情が変わる。俺はジンの頭をひっぱたいた。


「いつもと同じでいいんだぜ。気なんか使うんじゃねぇよ」


タカヤは笑って言った。


「そうだな!ははっ。それじゃ乾杯だ!お姉ちゃん!とりあえず生五つ…」

「タカヤ!」

「あっ、こいつはすまねぇや。四つで…」

「?」


俺の頭に疑問符が浮かんだ。


「なあなあ、どうして四つなんだ?リナ、車できたのか?」


 リナは恥ずかしそうにもじもじしている。ジンはささっとリナの隣に寄ると、ぴしっと背筋を正した


「ほら、ちゃんと言え」


タカヤは言う


「…へへっ、実は俺たち、結婚すんだよ。な?」


えっ?


「えぇ~~~~っ!?」


リナは顔を紅くして下を向いた


「てことは…おいおいまさか」


リナは頷く


「三ヶ月だって」


えっ


「えぇえぇ~~~~っ!?」

「よかったじゃないか!水くせぇじゃん!なんで言わないんだって。いつからそんな関係?」


マイサはくすっと笑った。


「けっこう前からだよね?知らないの、カズシだけだって話」

「ちぇ、俺だけ除け者かよ…まぁいいか、めでたいね!こいつは」


ジンは珍しく真面目な顔で言った。


「式には、みんなで出てもらいたいんだ。さぁて、俺もしっかりしなきゃな!」


皆の席にビールが配られた。



「ちぃ」


腕からぽたぽたと垂れる血液。稲垣は腕に巻いた布をまた巻き直した。布は赤黒く変色し、取ろうとすると、固まりだした血液はばりばりと剥がれる。傷口が開き、そこに激痛がはしる。


「はぁ…はぁ…」


稲垣は息を殺したまま、居酒屋の路地裏でぺたりと座り込んだ。



 俺はトイレに立った。

めでたい出来事と、忘れたい出来事。ないまぜになった気持ち……俺は知らず知らずのうちに、自分でも信じられないくらいのアルコールを飲んでいた。

まさに、浴びるように…

 ふらふらと二重に歪む視界。しかし意識ははっきりとしている。

 ドアを閉めると同時に、誰かがトイレに入ってきた。


「よっ」


タカヤだ。


「随分飲んだろ?大丈夫か?」


俺はふらふらした足取りで用を足すと、ひとつ深呼吸をした。


「大丈夫だよ」

「そうか、そんならいいんだ。あの…お前、会ったか?」

「誰に?」

「冴神さんだよ」


あのワイルドな風貌がぱっと頭に浮かんだ。アルコールのせいか、それすらぼやけて感じる。


「会ったよ」

「なら、志波さんと坂崎さんにも…」

「…あぁ」


タカヤはきょろきょろと周りを見回す。


「この事は、内密に頼むぞ。俺たちの活動は、いわば国家に対する反逆に近いからな」


俺は頷いた。


「おぉっ…と」


そこにジンが入ってきた。こっちも相当、酔っているようだ。


「よぉ、ちょっと、外行かないか、外の風に当たりにさ」


タカヤは笑って言った。


「あぁ、男同士、色々と話したいこともあんだろ?」


ジンは頷いた。


「いいだろ?カズシよ」


確かに、話したいことはある。俺たち三人は、居酒屋の外にふらりと出た。夜の風は、ほのかに排気ガスの臭いがするが清々しい風。アルコールで火照った体をクールダウンさせてくれる。

 ガードレールにちょこんと座ったジンは、にやにやしながら言った。


「マイサのこと、好きなんだろ?」


俺はどきっとした。

確かに…でも…

迷いながら言葉を選ぶ。


「まぁな」


俺ははっとして隣を見た。空を見上げて清々しい顔をしているタカヤだ。ジンも、少し意外だったようだ、戸惑う表情を見せた。


「でもアイツの心は、俺のほうを向いていない。わかってる。だから俺は…」


俺はタカヤの肩を叩いた。


「皆まで言うな、俺はお前を応援するぞ!誰が何て言おうとな」


タカヤはちらりとこっちを見て、にやりと笑った。


「わかった、皆までは言わな~い」


ジンは、はははっと笑った。いつもの豪快な笑いとは違う……


「俺はな、お前らとあの島で知り合えてよかったよ。そうじゃなきゃ、今の俺はない」


あの忌々しい島で、俺たちはひとつになって、あの地獄から抜け出した。それが強い絆を生み、やがてそれ以上のものを生み出した。


「俺、アイツを絶対幸せにしてやるんだ。世界一ね」


俺はジンの一言に胸が熱くなった。


「あらっ!皆で何話してたの?」


マイサがほろ酔い気味に言った。


「全員出てどうすんだっての!」

「大丈夫、お会計は済ませてきたから」


タカヤはえ~っ、と残念そうな声をあげた。


「まだ飲み足りなくね?もう一件いこうぜ~」

「残念、あたし今から用があるんだ~。だからここでバイバイだよ」


マイサは手をひらひらと振った。


「俺たちも行こうか。リナ大丈夫か?寒いのは」


リナはくすりと笑った。


「うん、平気。じゃあね?みんな。今日は…ありがとう」


タカヤは俺の肩をがばっと抱いた。


「カズシさん、まだまだ夜は長いよね~」


俺はタカヤの肩を抱いた。


「まだまだいけますよ~」



…んん

少し眠ってしまったようだ。

稲垣は立ち上がり、路地裏から表を見る。カズシとタカヤの姿はない。代わりにゆっくりと歩く、ジンとリナの姿を見つけた。


「…ふっ」


稲垣は足音をたてないように、二人のあとをこっそり尾けていった。



 夜のネオンが街中を色鮮やかに染め上げる。俺とタカヤはほろ酔いのまま、次の店を探してさ迷う。風俗やキャバのキャッチをかわしながら…


「あっ!」

「どうしたんだ?」


タカヤががさがさとポケットを探った。そして、ブルゾンのポケットから何かを取り出した。赤い包みに入った、リボンをかざってある小さな箱だ。


「…渡すの忘れた」

「おいおい、しょうがない奴だな…」

「今から渡しに行くぞ」

「えぇっ?邪魔になるからよそうぜ!」


俺の言うことも聞かず、タカヤはくるりと踵を返してジンの自宅を目指して歩いていった。



 一方…マンションの五階にある、ジンの部屋のドアが開いた。

玄関にあるスイッチを押すと、シーリングライトがぱっと光を放った。奥に続く廊下、二人は靴を脱いで、部屋に戻っていった。


「寒くない?」


ジンはリナを気遣う。


「大丈夫。ジンはフェミニストになったよねぇ…」

「そうかぁ?」

「パパになると、やっぱり違うよね」


ジンは照れたように言った。


「当たり前だろ!俺が大黒柱なんだからよ!」


ジンも気が引き締まる。俺も…一児の父親か


「ほら、早く着替えな。楽にしとかなきゃ、ストレスは母体に毒だからな」


はいはい、と言うと、リナは奥に入り、部屋のドアを閉めた。


ピンポーン


部屋の呼び鈴が鳴った。

ジンはドアの前に立ち、覗き窓を覗いて言った。キャップを被った、制服の男だ。


「はい」

「宅配便の者です」

「あっ、今開けます」


ジンはチェーンを外し、ロックを外すと、部屋のドアを開いた。



 俺はタカヤと並んでジンの自宅まで歩いた。


「なぁカズシ」


夜風のせいだろうか、酔いがだいぶ醒めたようだ。


「どうしたんだ?」

「冴神さんが…どうしてあの活動をやってるか、知ってるか?」


俺は知らなかった。


「異端審問官に、弟がいるかもしれないらしい」

「えっ?」


タカヤは前を見てしみじみと話した。


「弟さんはMBSになり、島に連れていかれた。そしてあの時のMBSが異端審問官になるように訓練を施されることを、仕事を通して知ってしまった」

「だから…異端審問官を矯正する活動を…」

「そうだ、ほら、あそこだ」


目の前に白いマンションが聳えている。ジンの自宅マンションだ。


「あっ…」


ジンの部屋に、誰かいる

キャップを被った誰かが…


「行こう…」


俺とタカヤは走り出した。なんだか嫌な予感がする。

マンションのエレベーターを横目に、俺たちは階段で上に向かった。白いすべり易いフロア、

俺たちは一段とばしで階段をかけ上がった。


「…あっ」


ジンの部屋の前に着いた。部屋の前の壁にもたれ掛かる人影を、俺たちは見た。血まみれで、ぐったりとした糸の切れたマリオネットのような…ジン

タカヤは持っていた箱を取り落とした。


「ジンっ!」


タカヤはジンに近寄った。


「…だめだ。もう、死んでる」


かっと目を見開いたまま、恐怖に歪むジンの目を、俺は閉じてやった。

俺には、もうわかっていた。稲垣だ…

俺は、開いたジンの部屋に足を踏み入れた。

部屋はめちゃくちゃに荒らされ、床には割れた硝子製品やマグカップの破片が転がる。靴の跡も…電気が点いたままの奥の部屋に、俺たち二人は入っていった。

俺たちは、驚愕の光景を目にしてしまった。一糸纏わぬ姿でベッドに倒れこみ、息をしていない青アザだらけの、リナ…


「あぁ…あぁあっ」


タカヤはがっくりと膝を突いて、頭を抱えた。

俺は、怒りにふるえ、床に拳を叩きつけた。


「うわぁぁぁぁっ!」


窓の外に、奴の姿を見つけ、更に俺の怒りは爆発した。稲垣はこっちに指を向け、首を親指でかき切るジェスチャーをした。


「稲垣ぃ…っ!」


俺はもう自制がきかなくなっていた。

――刺し違えても、アイツを殺す。大将と、ジンと、リナの仇を討つために…


「…っぜぇんだよアイツはよぉ!」


俺は後ろをくるりと振り向いた。

そこには、危ない目をしたタカヤがいた。


「とことん俺をイライラさせやがって…」


タカヤはすぐに後ろを振り向くと、一目散に部屋を出ていった。



 外からアイツの高笑いが聞こえる。

落ち着け…俺は、リナの亡骸に毛布を被せ、かっと見開かれた目を閉じた。俺にできる事…

俺はスマートフォンを開くと、ある番号を出した。

小走りで部屋を出ると、タカヤの後を追いながら、通話をタップした。

マンションの外に出る。

タカヤの姿は遥か遠くに見える。

まるで挑発するかのように、グレーのパーカーの稲垣は後ろを振り向きながら走る。


「ざけんなコラァ!」


タカヤのものとは思えないような声でタカヤは叫び、全速力で追いかけている。枯れ葉を舞いあげながら、稲垣は公園の中にさっと隠れた。

生け垣が作り出した緑の迷路、そこに奴は隠れた

 タカヤも後を追う。


バキバキッ

バキボキッ


タカヤは素手で低い木をなぎ倒しながら、へらへらとした笑いを浮かべて稲垣を探す。


「どぉこだぁ?隠れてないで出ておいでよぉ…」


強い風が吹いてきた。夜陰に紛れた、二人の息づかいさえも聞こえない。俺は通話を済ますと、スマートフォンを閉じた。あとは、待つだけか…それとも…俺は、タカヤがなぎ倒した木の枝のうち、手頃そうなものを手にした。



タカヤは左手をポケットに入れたまま、ふらふらとした足取りで稲垣を捜している


「お~にさんどぉこだっ」


バキバキと小枝を踏んで折る乾いた音が響く。迷路の真ん中にさしかかった時……


「おんや?」


枯れ葉を誰かが踏んだような跡…タカヤが振り返ろうとした、その刹那。


ガバッ


誰かがタカヤの背後をとり、羽交い締めにした。


「見つけたぜ~」


稲垣は筋肉だらけの腕を首に巻き付けると、ぐいっと締め上げた。


「あひっ…」


気道が絞められ、タカヤは苦しそうな声をあげた。


「…タカヤ…!」


俺は棒きれを手にすると、そろりそろりと稲垣に近付いた。少しずつ距離を詰める。

もう少し…

今だ!

俺はバットを振るように、棒きれを思いきり力の限り振り回した。


バキッ


棒きれは真っ二つに折れた。


「あぁ?」


稲垣の気がそれた。同時にタカヤを絞める力が弱まる。タカヤは稲垣の腕をすり抜けると、背負い投げを見舞った。

大きな稲垣の体は宙を舞って、どかっと地面に倒れた。


「うおぉぁ!」


俺は稲垣の顔面目掛けて、棒きれを再び振り下ろした。


バキッ


稲垣の鼻が砕ける音がした、


「ぎゃっ!」


タカヤは稲垣をうつ伏せに寝かせ、首をぐっと持ち上げた。稲垣からは止めどない鼻血がどうどうと出ている。

タカヤは稲垣の首の下を左腕の背に乗せ、頭の右側に右手の掌を添えた。


「少々…調子に乗りすぎたな」


俺は怒りの全てをこめて、稲垣の顔面に力いっぱいのサッカーボールキックを食らわせた。


「ぎゃはっ!」


稲垣の顔面は不細工に歪む。


「そぉら…よっ!」


タカヤは掌にいっぱいの力を込めた。


ボギッ


そして、タカヤは稲垣の首をへし折った。


バタッ…


命を亡くした人形のようにだらりと手を垂れる稲垣。だらしなく垂れた舌に、血まみれの鼻が潰れた顔面。死んだ魚のような瞳。

終わった…

稲垣は死んだ。

 俺はぺたりと地面に座り込んだ。坂崎さんが公園にやってきたのは、それから間もなくしてからのことだった。

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