追撃者と迎撃者


 俺ははっと顔を起こした。外はもう明るくなっている。マイサの部屋で、座ったまま眠ってしまったようだ。俺は立ち上がると、部屋のドアを開いた


「あぁっ!」


開いた途端にマイサが驚いた声をあげた。


「うわ、びっくりしたぁ~」

「こっちのセリフよ!それより、これ…」


俺はマイサが点けているテレビのワイドショーの内容に釘付けとなった。

――昨夜未明、○○区の自然公園内の遊歩道に、数名の黒いスーツの男が倒れていると警察に110番通報がありました。被害を受けたのは、公務員の~以下略~

四人は病院に運ばれましたが、間もなく死亡。警察は犯人の行方を追っております。

俺は直感でわかってしまった。

…稲垣…稲垣しかいない。

俺が稲垣の存在を警察に教えたところで、何も解決はしないんだろうが…いや、今の国家は、何も信用できない。


「あいつ…こんなことまで…」


マイサが言った。


「公務員…恐らく異端審問官だな。鵜沼さんもそうだったからな。あの異端審問官を返り討ちにするなんて…」

「でも、異端審問官って、言ってみればかつてのMBSじゃない?なんだか…複雑ね」

「俺たちも、あんな風に洗脳されて…」


自我を奪われ、単なる機械人間にされてしまうところだったんだ。



 一方、彼は熱いシャワーで体を洗い流す。病弱だったはずの肉体はまるで鍛えぬいた鋼のような筋肉で覆われている。これは、鎧だ。弱かった自分に着せた、鎧だ。シャワーの蛇口のバルブを閉めると、タイチは脱衣場に出た。


「ねぇ、まだなの?」


脱衣場の向こうで猫なで声でタイチを呼ぶ声が聞こえる。タイチはバスタオルを腰に巻き付けると、声のするほうに向かった。

 ドアを開くと、部屋の大半を占める窓一面に、東京の夜景が見える。部屋の真ん中のクイーンサイズのベッドには、毛布にくるまった裸の女が横たわる。

タイチは冷蔵庫からワインを取り出すと、二人分のグラスとともに持っていった。

 スタンドライトの点いたナイトテーブルの上に、二つワイングラスを置くと、そこに真っ赤なワインを注いだ。グラスのくびれを指でつまむようにして、タイチは隣で寝そべる女にそれを手渡した。

――ゆらゆら揺れるワイン越しに、赤く染まる東京の夜景を見ながら。


「ねぇ、早く飲んじゃお。それから…ね?」


タイチは無言でグラスをぶつけると、中身を一気に空にした。


…プルルル


タイチのスマートフォンが鳴り響いた。


「おう」


通話口の男はなんだかドスのきいた声で話す。


「…なんだって?俺に?」



タイチの表情が一瞬険しくなり、すぐに元にもどった。軽く、口許に笑みを浮かべながら。



「…それじゃ、悪かったな」


マイサは俺に手を振った。少し疲れたような表情がみえる。


「ううん。また何かあったらきてね?」


マンションのガラス張りの玄関が開くと、外から生ぬるい風が入ってきた。ぱっと入ってきた光に目を細める。俺は外に出ると、マイサにひらひら手を振った。

 俺の目の前の国道を、真っ黒な外車が通っていく。めったに見ない車種だ。少し古くさい車は、重厚なエンジン音を響かせて走る。俺は、気にもしていなかったが…



 古ぼけた鉄工所に車を停めると、タイチはドアを開いて外に出た。錆びて傾いた看板。恐らく操業はしていない。タイチはひとりで鉄工所の中に入っていった。古く錆び付いて、油の切れたプレス機や、コンベアを横目に見ながら、タイチは奥にある扉を開く。

二階に上る階段を一歩一歩踏みしめながら、上に上る。奥には、鉄製の扉。人を住まわせるような形になっているらしい。

 横にある表札には、部屋の借り主らしき人物の名前が……


「…田原…茂男…」


ドアに手をかけると、タイチは思いきり引っ張った。古く錆び付いた蝶番は、タイチの力であっけなく千切れた。


「ひいっ!」


中にいた金髪の小太りの男が、タイチを見ると明らかな恐怖の表情に変わる。


「異端審問委員会だ。田原茂男だな?」


タイチは革靴を履いたまま、四畳半のたたみの部屋に踏み込んだ。ちゃぶ台を倒して、腰を抜かして田原は後ずさる。


「ゆっ…許してっ…仕事なら見つけるから!」

「あぁ?」


タイチは腰を下ろすと、サングラスの向こうの目を輝かせた。


「俺のことを…覚えてるか?」

「へ?」


田原はぶるぶる震えながら訊いた。


「お前のお陰で…俺はこうなれたんだ。お前には感謝しなきゃいけないな。たっぷりとな」


田原ははっとした。


「まさか…」


サングラスを外すと、タイチはにやりと笑った。


「お前にず~っとイジメを受けてた、柊だよ。忘れたか?忘れたなら…思い出させてやろうか」


タイチは田原の目の前のちゃぶ台に足をかけた。


「舐めろ」

「へ?」

「舐めろって言ってる。そうしたら、助けてやらんでもない」


田原はがたがたと震えながら、タイチの靴に顔を近付けた。


「ぎゃっ!」


タイチは田原の鼻っ柱を蹴りあげた。鼻っ柱を骨折した田原の鼻から、異様な量の鼻血が垂れる。


「はははっ、怖いか?死ぬのが怖いか?そうだろう。自分が殺されかけるのは怖いだろう?」


タイチは拳をぎゅっと握ると、それを振り上げた。


「悔いろ。いや、悔いても許さんがな」


骨を打つ音が狭い部屋に響く。田原は昏倒した。

 タイチはほぼ瀕死状態の田原を引きずりながら、車に戻った。何度も何度も殴られた田原の顔には、痛々しい腫れ物が幾つもできている。

 後部座席に田原を放り込むと、タイチは田原の両手両足をナイロンのロープで緊縛した。


「へっ…」


吐き捨てると、タイチは運転席に座った。そして、イグニションを回した。



 俺はとんかつ屋に向かった。今日は遅番の日

、裏口から店に入ると、一息つきにきた大将と目があった。


「よ、お前大丈夫か?」


俺はできるだけ元気に答えた。


「えぇ、俺ならだいじょうぶですから!」


大将は俺のところに来て、俺の肩をぽんと叩いた。


「お前、暫くここには来ないほうがいいぞ…」

「えっ?」


大将がきょろきょろと周りを見渡した。


「最近、うちのとんかつ食いもしないくせに、店の中をじっと睨んでるやつがいたんだが…俺がなんとかするまでうちには来るな。わかったな」


俺はぞっとした。

――稲垣だ、まちがいない。


「だめですよ。あいつは…大将の敵う相手じゃない。あいつは」

「さっ、仕事仕事っ!さぁ帰ぇんなって」

「大将っ!」


俺の言うことも聞かずに、大将は背を向けて店に戻った。

――着信。

俺は通話をタップし、スマートフォンを耳にあてた。


「…もしもし」

『…アンタがカズシか』


どうして、俺の名前を知っているんだ?


「…そうですけど」

『OK。今から言うことをよく聞くんだ。わかったな』


口調もよくわからない。一体こいつは誰なんだろう。


「誰ですか?」

『今にわかる。いいか、今晩0時。京成上野駅に来るんだ。大丈夫。俺はお前の敵じゃない』


言い終わると、通話はぶつりと切れた。

 誰だ…誰かが…俺を知ってる誰かが…何をしようというのだろうか…一体、何がどうなろうとしているんだろうか…俺の頭はもうパンク寸前だ。



 一方、地面に倒れ込んだサラリーマンのポケットから、稲垣は革の財布を抜き取った。サラリーマンの視点は定まっていない。どうやら、殺されたわけじゃなく、極められただけのようだ。地面に落ちている枯葉は、夜露に濡れて彼の頬に貼りつく。

 稲垣は財布から半分の金を抜き取ると、もとあったポケットに財布を戻した。そして稲垣はにやりと嗤った。


「待て稲垣っ!」


背後からは、稲垣を追っている異端審問官が走ってやってきた。稲垣は拳をぼきぼきと鳴らす。


「お前はもう…逃げられんぞ」

「…だったらどうだって言うんだよ」


四人の異端審問官は特殊警棒を手にしている。


「そんなオモチャで、俺を捕まえられるもんかよ」


異端審問官の一人が言った。


「お前みたいな奴…ギタギタにしても足りないんだが…そうはいかないんだよな」

「うるさい、さっさと行くぞ」


稲垣はにやっとして右手の人差し指で挑発した。


バキッ

ドカッッ


足下に転がる黒いスーツの男たちと、折れた特殊警棒。


「…はぁ…はぁ」


大きく開いたパーカーの前をなおすと、稲垣は獣のような眼差しを異端審問官たちに向けた。


「…全部、ぶっ潰してやるよ。手前ぇらも、あの忌々しい奴等も全部…」


右腕にできた傷に、布を巻き付けると、稲垣はふらふらと公園から出ていった。

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