暴動


 その頃、稲垣は面白くなさそうにうろついていた。意外な障害、くそ面白くない…


「稲垣…稲垣…」


迫田が稲垣に馴れ馴れしく近づいてきた。稲垣は迫田に凄んだ。


「手前ぇ、何してやがったんだ…」


迫田は稲垣を宥めるように言った。


「すごい情報があるんだ。教官は俺たちを、ゆくゆくは皆殺しにするつもりらしい」


稲垣は思った通り逆上した。


「野郎…なめた事しやがるな」


迫田はほくそえむ。


「こうなったら…教官全員ぶちのめして、島を乗っとっちまうか」


稲垣はにやついた。


「俺と稲垣。ついでに橋口もやっちまえば、こんなとこ、すぐに制圧できるよな」


稲垣はすっくと立ち上がる。



「ありがとう…かくまってくれて」


俺は制服の下のシャツを破って傷口に巻き付けた。


「もう歩ける。いいか?俺とのことは忘れるんだ」


俺は頷いた。


「さぁ、俺たちも行こうか」


俺は全員に声をかけた。

 部屋を一歩出たときに、なにかいつもとは違う空気を察した。根拠はなにもない。ただ単なる動物的な勘だ。

 外に出た俺たちの目に、真っ先に映ったもの――それは涎を垂らしてだらしなく床にだらりと倒れこむ教官。あの骸骨のような教官の、見るも無残な変わり果てた姿だった。

 首の骨が強い力でへし折られて、頭は何か鈍器のようなもので叩き割られている。バックルにしまってあるはずの拳銃が、ない。俺の嫌な予感が当たりそうな気がする。


「一体誰が…こんなことをしたんだ…」


亡骸になった教官の目をそっと閉じてやる。


「何をしているんだ?」


やってきたのはひときわ体の大きな出門だ。事態の重大さを感じとったらしく、自ら要塞の中に踏み込んだようだ。


「…これは」


出門は軍刀を抜く。


「いいか、へたな真似をすれば叩き斬る。おとなしくそこに引っ込め」


吐き捨てると、出門は急いで要塞の奥に踏み込む。


「まさか…稲垣か?」


要塞で大暴れする稲垣を想像し、俺たちはぞっとした。


「一体なんの騒ぎなんだ?」


だるそうにやってきたのは、橋口だ。どこかから聞こえる罵声は、恐らく稲垣のものだろう。

――そのときだ。


パァン…


銃声が鳴り響いた。誰かが発砲したらしい。


「行こうか」


 足早に橋口は、銃声のしたほうに走っていく。俺たちは、それについていくような形で要塞の中を走った。なんだかいつもにまして埃っぽい要塞の廊下…


「誰がやりやがったんだ…」


橋口は走りながらけらけらと笑った。


「どうせあのごつい奴だろ?稲垣とかいうな…」


橋口は拳をぼきぼきと鳴らして、地面に落ちてる鉄骨を手にした。


「掛かる火の粉は…払うまでだ」


橋口は騒ぎの中に飛び込んでいった。



 俺たちは混乱の中、どかどかと逃げ惑う生徒たちの中に飛び込んでいった。その中に、迫田はにやにやしながらいた。


「よォ」


タカヤは迫田に言った。


「何やってんだ?稲垣はどうしちまったんだよ?」


俺たちは次に飛び出した迫田の一言に耳を疑った。


「俺はあのバカをつっついてやっただけさ。なぁ、このどさくさに紛れて逃げようぜ」


逃げる…

こいつは正気なのだろうか?


「そんなこと…できるの?」


マイサが訊いた。


「そのためにあの稲垣を焚き付けたんだよ。それにあの橋口って奴まで混ざって暴動になれば…間違いなく教官はそっちに向かうだろうよ」


迫田はへらへらしながら言った。俺たちも、正直こんなところはまっぴらごめんだ。しかし…


「僕は…逃げないから」


タイチが震える声で言った。


「どうせ…ここから出ても、僕はだめなまんまなんだ。それなら、少しでもましになるように、矯正プログラムを受けるよ」


迫田はけらけら笑った。


「おい、お前バカじゃねぇのか?折角逃げれるチャンスだっていうのによ?」

「行くなら君達だけで行ってくれ。お願いだから」


タイチは今までに見たことのないような強い眼差しで言った。

――俺は、何も言えずにいた。


「…そうか、わかった。死ぬなよ」


タイチはぎこちなく笑って、強く頷いた。



 俺たちは騒ぎの中、暴れる稲垣を発見した。拳銃を手にして、出門を人質にとっているようだ。

 右手の拳銃の銃口は、出門のこめかみにあてられ、左手には、奪い取った軍刀が握られている。


「動くんじゃねぇぞ。こいつの命と、お前らの命は俺が握ってる」


生徒と教官は、稲垣を遠巻きに見ている。


「どけ、どけよ」


人混みを掻き分けて進むのは、橋口だ。右手に鉄骨を握っている。出門は冷や汗をたらりと流しながら言った。


「貴様…なんのつもりなんだ!」


橋口はにやっと笑うと、鉄骨を振り上げた。


「よっ」


稲垣がガードするように、腕にとらえた出門を橋口の目の前に差し出した。


バギッ


振り降ろした鉄骨は、出門の頭蓋骨のど真ん中にヒットした。


「…あがっ」


頭から血を噴き出して、出門はがっくりと床に倒れた。


「ぎゃああああぁっ!」


あちこちで悲鳴があがる。


「…っと、ごめんなさいよっと」


迫田は人混みの脇をさっさと抜ける。俺たちもそれについていった。案の定、教官も生徒も、稲垣たちに釘付けになっている。ガードはアマアマだ。


「何をしてるんだ?」


俺たちはどきっとした。声のしたほうを向くと、一人の教官がこっちを向いていた。――鵜沼だ。


「こんな時に、何をしてるんだ?」


迫田はおどおどしながら言った。


「こっ…こいつらにそそのかされて…」

「逃げるつもりか」


鵜沼の表情が変わった。所詮は、彼も教官だ。

訊くと、鵜沼はバックルの鍵束から鍵を抜いて投げた。タカヤはそれをキャッチした。


「俺はそれを、無くしたことにする。どうせ教官はやめるつもりだったんだ。そこを真っ直ぐいった突き当たりのドアの向こうに、脱出用のボートがあるはずだ」


俺は驚きの表情で鵜沼を見た。


「俺は殺されはしないから、気にするな。外で会ったら…一緒に飲もうぜ」


鵜沼はぎこちなく笑った。教官らしからぬ、優しい笑顔で。


「ありがとよ?そら、さっさと行くぞ!」


迫田が走り出した。


「鵜沼さん…有難う…」


リナが言った。

そのときだ。


「迫田ぁぁぁっ!」


稲垣の声だ。びくっと震え、迫田は立ち止まった。


「…稲垣…」


背後からずんずんと近付く殺気だらけの稲垣。逃げるようにダッシュする迫田。俺たちもついていくように後を追った。


「…ここだ!」


タカヤは鉄のドアの前で、鍵穴に鍵を差し込んだ。


「頼むっ…」


カチャン


鍵が開いた。ノブを廻し、ドアを開く。すぐ横で迫田が笑いながら言った。


「あばよ!どっかで会おうぜ稲垣さんよ!」


パンッ


銃声が二発響き、迫田の額から真っ赤な血が噴き出した。


「うっ!」


すぐ横にいたユウジの肩に、同じく銃弾が当たった。


「ユウジっ!」


うずくまるユウジをかばうように背負うジン。


「早く逃げるぞ!」


俺たちはさっとドアに入った。

 そこには、一隻の中型程度のモーターボートがあった。俺とタカヤとジンはドアを押さえた。マイサとリナはユウジをボートに乗せる。


「これ…どうすればいいの?」


ドアの向こうで罵声が聞こえた。ドアを軍刀で斬りつけたらしい。バキンと刀が折れる音がした。


「モーターにスターターのひもがあるはずだ!引っ張るんだ!」

「ひもって…これ?」


取っ手のついたひもを手にするリナ。


「そうそれだ!勢いよく引っ張るんだ!」


リナはひもを引っ張った。ワイヤーは出てきたが、モーターは回らない。


「もっと思いきり!」


稲垣はドアに発砲しはじめた。鼓膜を破かんばかりの金属音が響く。


「あたしも…手伝うわ」


マイサとリナは二人でモーターのひもを手にして、思いきり引っ張った。


グオォン


モーターの起動音がした。

エンジンが唸り、スクリューが起動しはじめた。


「よし!」


俺たちはドアから離れると、一目散にボートに走った。同時にドアが開き、怒りのあまり鬼の形相になった稲垣が向かってきた。はあはあと荒い息をするさまは、獣そのものだ。俺たちはボートに飛び乗ると、タカヤが操舵席についた。


「いけっ!」


スクリューが水しぶきをあげて回り、ボートは前進しはじめる。


ドンッ


ボートに過大な重量がかかった。

――稲垣が、乗ってきたのだ。


「手前ぇら、わかってんだろうな…」


ボートは重さでなかなか動かない。――稲垣さえいなければ…


「お前ら全員、海に消えな」


タカヤは叫んだ。


「だめだ!進まない!」


俺はゆっくり立ち上がった。


「お前が…」

「あぁ?」

「お前が落ちろ!」


俺は稲垣の鳩尾に渾身のケンカキックを見舞った。


ドスッ


油断していた稲垣はよろっとよろめいた。


「うがぁっ」


俺は続いて、身を後ろにのけ反らせ、反動で稲垣を海に突き飛ばした。稲垣の体は浮いて、そのまま海に投げ出された。


「早くっ!」


ばしゃばしゃとおぼれる稲垣を振り切るようにして、ボートは島から離れていった。

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