第2話
彼が仕事をしてるそばでうたたねをしていると、小さい何かが私の体を叩く。雨だ。
彼は慌てて仕事道具を集めると、私の翼の下へと駆け込んできた。
自分の家がすぐそこにあるのに、なぜ私の方へ来るのだろう。いくら雨は凌げるとはいえ、全く濡れない訳でもないし既に椅子は拭くものがない現状もう座れない。
私が彼に家まで歩こうか? と言うと彼は「では家から反対に歩いていこう」と言う。意味がわからない。
けれど雨の中の散歩も楽しそうなので、その提案を受け入れると彼は嬉しそうに仕事道具を綺麗に纏め始めた。
しばらく歩いていると雨の森が見せる独特の空気や雰囲気を感じて楽しんでいたのだが。
私の一歩は彼にとっての二十歩であり、私はゆっくり歩く彼をのんびり待たなければいけない。
とてももどかしく感じてしまう。彼がもっと速く歩ければいいのに。
そんな私を察したのか彼は苦笑いしつつ、私を楽しませようと色々な話をし始めた。
雨の行く先、雨が帰ってくる先。二度と帰れない水の話。雨の要らない生き物はとても少ない。我々は水に縛られている。水は我々を物理的に縛り付けることは無いのに、と。
彼の話を聞いていると既に彼方へと消え去った記憶が蘇るようで退屈にはならなかった。
けれど、どうしても彼と同じ歩幅を歩きたいと願ってしまう。もうこの身に奇跡は起きないのに。
そんな事を考えていたからか、自然と脚が止まっていた。すると彼は何かに気がついたようで、珍しくイタズラを思いついたような顔をした。
彼はこう言った。「おまじないを掛けてあげよう。今ならきっとこのおまじないは君に通じるだろう」と。
もうこの世界はそんなおまじないを喪って久しい。本当にそんなことが出来るのだろうか。
そんな疑問を感じ取って、彼は笑顔でおまじないを創り始める。「実践すれば君もわかる。安心して任せるといい」
立ち止まっていると雨粒が少し大きくなってきたようで、さっきより強く体を流れていく。彼はその雨の中せっせと仕事道具を広げて何かを書いていて、私には理解出来ぬ図形ばかりだ。
時折こっちを見詰めてじっとしていたと思ったら直ぐに図形を描き始めたり、なぜか女児の絵を書いている。そんな趣味があったのか。
描き始めて少し時間が経った頃、彼は満足そうな顔をして紙を私の前脚の先に貼り付けた。
雨音が一瞬止まったすぐ後、紙から眩い光が溢れ出した。
少し経ってから光が納まったあと、見える視界が様変わりしていてびっくりする。慌てて彼を探すと、誰かから急に抱き締められた。あれ、そんなに私の体は小さかったのだろうか。
恐る恐る顔を上げると、そこには彼が居た。
雨に濡れた彼はとても美しく、顔を上げたばかりなのに俯いてしまう。
顔と胸がとても熱い。こんな感覚は初めてで、遠い日の時にすらこんな感覚はなかった。忘れてるだけなのかもしれないが。
でも、私をこんなに小さくしては家に帰る帰るにしても雨に濡れてしまうのではないだろうか。そう彼に言うと、彼は気の抜けた顔をして「考えていなかった……」と項垂れた。そのまま私に寄りかからないで欲しい。
シトシトと振る雨の中。いつもより感じやすい彼の存在はとても暖かく、雨など意に介さないほど暖かかった。
このままくっついて帰れば、とも思ったがそれでは帰れない。しばらく抱き合ってこのままでいよう。雨が上がるまで。
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