才能論〜具体的に必要な才能は何か?(その一)
「才能」という言葉は、抽象的な言葉である。
抽象的な言葉を用いて、「才能がある」とか「ない」とか論じるのは、まさに抽象論でしかない。
「才能論」で最初に考えなければならないのは、「天才」という言葉に関するイメージである。
天才的な創造者には一般的な社会生活から
もちろん、常人とは異なる才能が作家には必要である、という考えを否定することはできないが、だからと言って、社会生活を営めない者しか作家にはなれない、という理屈は成り立たない。
「天才」という抽象表現に惑わされずに、具体的な「才能」を考えようとするなら、すでに作家としてその地位を確立した人物に注目しなければならないだろう。
たとえば、詩人であり彫刻家でもあった高村光太郎は、電車に乗って座っている人々を見て、首の展覧会、と昭和二年の随想に記している。
司馬遼太郎が、自らの足で歴史を探求したことは、その著作によって我々は知っている。本年4月にお亡くなりになっていたことが報じられた立花隆は、旺盛な好奇心と探究心で多数の著作を残している。
創作者が、常人とは異なる必要はないが、高村光太郎のような、他者とは違う感性で対象を観察し、同時に、司馬遼太郎や立花隆のような旺盛な探究心を持ち続けることが、作家の基盤となる具体的な才能であると、まず、言えるのではないだろうか。
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