才能論〜具体的に必要な才能は何か?(その2)

 「才能」「能力」という言葉は、抽象的である。

 たとえば、野球の才能は、具体的に説明することができる。いわゆる「走攻守」の三つの能力が備わっていることだが、さらに具体的に言うなら、「攻」では、150キロで向かってくるボールを見る「動体視力」をその一つとして挙げることができる。「守」では、飛球がどこに到達するのかを見極める「空間把握能力」が、実は欠かせない能力の一つである。草野球で、飛球の捕れない外野手には、この能力がないのである。(私は、飛球の捕れない外野手だった……)

 体操の内村選手は、空中での自分の動きをイメージしているそうで、これはすなわち、体操選手には、「空間把握能力」が必要だということを明かしている。

 スポーツだけではない。「空間把握能力」がなければ、患者の身体にメスを入れる外科医も務まらないだろう。


 小説家に求められる、具体的な能力の一つとして「想像力」を挙げることに異論を唱える者はないだろうが、その「想像力」という言葉も、まだ抽象的である。これをもう少し具体的に表現するなら、場面を想像する力、言い換えるなら、「空間把握能力」が、やはり小説を書こうとする者には必要なのではないだろうか。(飛球の捕れなかった外野手であった私には、小説を書く能力が欠けているということになるかもしれないが……)

 想像しなければならないのは、それだけではない。

 主人公をはじめとして、そこに登場するのは、どんな人物なのか。外見や単純な性格だけでなく、その人物の背景まで読者に見えてくるような生育歴などの想像も必要である。

 空想癖があってどこか現実離れしている、と言われる人には、小説家の才能の一つが備わっているのである。ただ、その人が小説家を目指さず社会生活をただ営むなら、彼は才能を埋もれさせたまま人生を終えることになるだろう。

 小説家としての才能を論じる場合、こうした具体的な、一つひとつの能力の検証が必要なのではないか。

 以降、この点について述べていきたい。

 

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