僕たちの曲作り――2

 その夜。僕のスマホに一通、メールが届いた。


『なあ、啄詩?』


 メールは音子からのものだった。


『いま、啄詩ん家の前におるねんけど、いまから話せへん?』





 階段を下り、僕が玄関を出ると、昼よりもずっと涼しい風が肌を撫でた。


 リー、リー、と、虫の声が聞こえてくる。


 薄暗がりのなかに、音子の姿があった。


 青いティーシャツと深緑のショートパンツ。昼間とは服装が違う。


 今日も暑かったから、僕のところに来る前に着替えたんだろうね。音子も女の子なわけだし、やっぱりそういうのはデリケートなんだ。


 僕の町には街明かりっていうのが少なくて、夜空に散らばる星々もはっきりと視認できる。


 街灯と星の明かり。わずかな光のなか、いつも元気いっぱいな音子が、どこか大人びて見えた。


「……啄詩?」

「うん」


 僕が音子のもとへ近付くと、挨拶もしないうちに音子が尋ねてくる。


「なんで、歌詞変えるん?」


 それは予想していた質問だった。


「いまのままでええやん」


 それも予想していた提案。


「いまのままが、ええやん」


 そう。僕は予想していたんだ。


 音子が、そういうふうに訴えてくることを。僕のことを説得しにくるだろうって、予想していたんだ。


 だって、音子はやさしいからね。


 僕はそんな音子に向けて、柔らかく微笑む。


「――ありがとね?」

「なにがありがとうやねん」

「だって、音子は僕のこと、応援してくれてるんでしょ?」

「当たり前やんか」

「――だから、そんなツラそうな顔、してくれてるんでしょ?」


 音子は眉根を寄せて、下唇を噛んでいた。


 見るからに悲しそうな表情だ。


「しゃあないやん! ウチ知っとるもんっ! 啄詩、あの歌詞に自分の願い、込めてたんやろ!?」

「あははは……やっぱりバレてた?」

「バレバレやっ! こっちが恥ずかしぃなるくらい純やったもん!」

「あー……流石に恥ずかしいなあ……」

「せやったらアカンやろっ! やっぱりアカンっ! 『Blue Blue Wish』はいままのままでええ!!」


 だって……と、音子が僕に視線を向ける。


 その、いつも気の強そうな眼差しが、いまはかすかに潤んでいた。




「啄詩があの歌詞を否定したらアカンやろっ!」




 ……そうだよね。


 僕自身、請い願ったストーリーだ。


 お互いに想い合っていて、それが伝わって、『一人』から『二人』になる。そんな、ハッピーエンド。


 それを無理矢理ねじ曲げたんだ。


 そう、都合よくはいきませんよ? ってさ。


「啄詩はツラないんっ!?」

「ちょっと、ね」

「ホンマにちょっとかっ!?」

「――ごめん、結構」


 だから、やっぱり切ないよ。


 僕が乙姫に望むことも、そう上手くはいきません。そう、自分で決め付けちゃったようなものだから。


「ならええやん! ウチかて、キミのこと応援したいんやでっ!?」

「ありがとう――でも、やっぱりダメだよ」

「なんでなんっ!?」


 そんなの決まってる。




「だって、僕は乙姫のこと、応援したいから」




 ぐっ、と、音子が唇を引き結んだ。


「乙姫はさ? 歌手になりたいんでしょ? だから、自分の夢をかたちにして残したいんだよね?」


 乙姫は歌手になることを夢見ている。けれど、その夢は叶わないかもしれない。


 だから残したいんだ。それが乙姫の願い。


 だったらさ? 中途半端なんて、ダメだよね?


「僕は少しでもいい曲を作りたいんだ。僕の想いを押しつけるなんて傲慢ごうまんだよ。――乙姫は、みんなのために唄うんだから」


 そう。『Blue Blue Wish』は僕のための歌じゃない。


 もっと多くの人のため、唄われるべき歌なんだ。


「それなら、より共感してもらえた方がいいよ。ほんのちょっとでも可能性が高いのなら、僕はそっちを選びたい」

「せやけど――」

「それに、きっとその方が、乙姫も喜ぶから」


 音子が口をへの字にした。


「僕は、その方がいい」


 ギュッと唇を結んだまま、ぐぐぐぐぐ、と音子が口端くちはしに力を込める。


 眉がぐいっとつり上がっていて、いまにも僕のことを怒鳴りつけてきそうだ。


 不満とかいきどおりとかを必死で我慢している。


 僕にげきを飛ばしたくて、なんとかして説き伏せたくて仕方ない。そんな形相ぎょうそう


 僕は音子の顔を見つめて、ただ黙っていた。


 どんな言葉だって受け止めよう。そう、覚悟していたから。


 けど、ついに音子の激情が爆発することはなかった。


 ふー……と、長く息を吐いて、


「キミも相当なおバカさんやな」


 ねたように、音子が唇を尖らせる。


「まあ、僕も頭悪いなあ、とは思うよ」

「まったくや! チャンスやったんやで? 姫に対するキミの気持ち、全世界に向けて発信するまたとないチャンスなんやで?」

「うん。そこはホント、思いとどまって正解だった」

「なんやねん。そこは『残念だった』って言ったらええのに」

「あれ? やっぱりまだ怒ってる?」

「もっと大胆になれっちゅうとんねんっ」

「な、なんで?」

「そんなん決まっとるやろ! バカをつらぬくためやっ!」

「やっぱり怒ってるんだねっ!? 音子!!」

「ちゃうわっ!」


 混乱する僕にツッコんで、もう一度、音子が溜め息をついた。


 片手を額に当てながら、音子が言う。


「そんくらいバカな方が……ひょっとしたら、届くかもしれへんやん」

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