僕の願いと、乙姫の望みと、僕の決意――7

 音子の家を出て、僕は自転車のかごに放り捨てるみたいにしてバッグを入れた。


 今日の天気は曇り。青い空は鈍色の雲に覆われていて、日の光すらも僕を照らしてくれない。


 じめじめとした熱気だけが、いじめるみたいにして僕を取り囲んでいる。


 ひどく不快だった。


 僕は、なにをしているんだろう?


「……はは……っ」


 乾いた笑い声が漏れる。


 胸のあたりに風が吹いているみたいだった。ひゅー、ひゅー、って。清々すがすがしいまでの虚無感だ。


 僕の中身が空っぽになってしまったよう。全身から力が抜けていく。


 ホント、なにしているんだろうね? むなしくて情けなくてバカバカしくて……


 ああ……神さまがいるんならさ? いますぐ、僕のこと、消してくれないかなあ?


 鼻の奥にツン、と痛みが走る。


 じわり……、目頭が熱くなった。


 そのとき、


「――啄詩くんっ!」


 乙姫の声が聞こえた。


 とても悲しそうで、それが僕のせいだってわかっているから、僕は、ツラくて苦しくて仕方がない。


「乙、姫」


 僕が振り返ると、いまにも泣き出しそうな顔をしながら乙姫が駆け寄ってきた。息を切らしながら、僕のところまで。


 僕が一方的に突き放したっていうのに、それでも乙姫は、僕のことを追いかけてきてくれたんだ。


「あ、あの……ご、ごめんなさい! わたしたち、自分勝手で……」


 そんなことないよ。謝らなくちゃいけないのは、僕の方なんだ。


 だけど、いまはそんな言葉もかけられなかった。慰めることもできなかった。


 乙姫が、こんなにもツラそうにしているのに。


「ごめん――怖いんだ……」


 僕は、弱音を吐くことしか、できない。


 乙姫が眉を悲しそうに歪める。


 唇がふるるっ、と震えて、その動きから彼女の怯えと切なさが伝わってきた。


「僕が、自分が思ったことをどう伝えればいいのか、わからなくて……音子と乙姫は、なんでも知っているから……」


 だから、僕は……


「――――怖いんだ……っ」


 僕はギュッと目をつむって、眉間みけんしわを寄せる。こぼれ落ちそうな涙を押し止めるために。


 血が滲むんじゃないかっていうほど強く、拳を握りしめた。襲い掛かってくる無力感に抗うために。


「僕はもういらないんじゃないかって……あとは、音子と乙姫がいれば十分なんじゃないかって……そんなことが、頭のなかでグルグルグルグル渦巻くんだ……」


 怖い。


 僕の口から嗚咽おえつが漏れた。


「乙姫が頼ってくれたのに……僕は、乙姫の力になりたいのに……それができない自分が、くやしくて……っ」


 直後、ふわり、と甘い匂いがした。


 僕の身体が、柔らかくて温かい感触で包まれる。


「――――ごめん、ね?」


 僕が目を開けると、乙姫のサラサラとした髪が映った。黒くつややかな、ブラックパールの色をしたロングヘア。


 僕は乙姫に抱きしめられている。そのことに気付くまで、少し、時間がかかった。


 乙姫の声と身体が震えている。僕なんかよりもずっとずっと悲しそうで、ツラそうで、弱々しかった。


「乙――」

「そんなこと、ないの……啄詩くんがいらないなんてこと、絶対ない」


 乙姫が一層強く僕を抱きしめた。


 まるで離すまいとするように。なにかから守ろうとするように。


「啄詩くんがいないと、ダメ……」

「乙姫……」

「啄詩くんがいないと、嫌なの……っ」


 乙姫が、僕の胸に顔をうずめながら、


「啄詩くんは、一番大切な人なの……わたしたちを、導いてくれる人なの……」

「でも――」


 僕の胸で、乙姫がふるふると首を振った。


「わたしたちの世界を創ってくれるのは、啄詩くんなの……わたしたちには、啄詩くんが必要なの……っ」


 乙姫が、くぐもった声で繰り返す。


 ごめんね? ごめん。ごめんなさい……って。


「気付かないでごめんなさい……独りぼっちにして、ごめんなさい……」


 乙姫が、顔を上げた。


「わたし、もっと啄詩くんにわかってもらえるように頑張るから――もっと啄詩くんのこと、わかるように、気付けるようになるから……もう、独りぼっちになんてさせないから……っ」


 僕を見上げる茶色い瞳から、大粒の涙が零れている。


「だから――いらないなんて、言わないで……っ」

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