僕の願いと、乙姫の望みと、僕の決意――6

 七月三〇日。


 僕たちの楽曲『Blue Blue Wish』のアレンジは進み、その全体像もかなり鮮明になってきていた。


「サビは、想いが伝わるときやからな。グロッケン入れとこか」

「うん。トキメキを音で表そう!」

「ほんで、二つ目のサビは一番の見せどころやからなぁ――シンバルとベースで派手にして……」

「転調は『ズバてん』にしない? 前触れなくいきなり転調して、一気に高揚感を持たせようよ!」


 そう。順調にかたちになってきている。


 だけど……いや、だからなのかな? 僕は、完成へと近付いていく『Blue Blue Wish』を耳にして、感じたんだ。


 あ、れ……?


 それは、なにか『ズレ』が起きているような。なにか、勢い任せにはしゃぎすぎているような、『違和感』だった。


 いや、楽曲自体はいいと思う。音子のアレンジに対する文句なんて、一つもない。


 一貫して明るい曲調。盛り上げ方も上手だと思うし、とてもウキウキとする音の並びが出来上がっている。


 とてもハッピーな曲だ。不安を微塵も感じさせない、どんどん気持ちが昂ぶっていく、そんな旋律。


 だけど……あの日、海辺の公園で僕が乙姫に抱いた気持ちって、こんな感じだったっけ?


 こんなにも、底抜けに明るくて、なんの迷いもないようなものだったっけ?


 そもそも、この曲の歌詞は僕の願いをそのまま起こしたものだけど……


 実際、恋愛って、こんなにも都合よく行くものなのかな?


「ね、啄詩くん? どうかな?」


 僕はハッとした。


 音子の側でパソコンの画面を覗いていた乙姫が、胡座をかいている僕を見やり、意見を求めてきたんだ。


 なんの迷いもない、透き通った瞳をしながら。


「え、えっと……」


 僕はそっと目を逸らしながら言葉を探した。


 こういうとき、なんて口にしたらいいんだろう?


 なにか違う気がする。そう、はっきり伝えるべきなのかな?


 でも、納得してもらえるのかな? 僕なんかに、納得させられるような意見が、出せるのかな?


「どしたん、啄詩? なんか変なとこ、ある?」


 音子がからっとした、無邪気な声色で尋ねてくる。


 無理だ。


 音子が促してくれたけど、言えない。言えるはずがないよ。


 音楽の知識が皆無な僕に、そんなこと――そんな権利、あるはずがない。


 だって、ここまで順調に進んできたんだよ? 僕なんかの的外まとはずれな感想で、調子を狂わせたくないんだ。


「う、ううん。スゴく、いいんじゃないかな?」


 だから僕は、作り笑いを浮かべて本音を隠した。


「――そか?」


 僕の投げやりな返事が原因なのか、作り笑いが下手すぎたのか、


「なんや啄詩、暗ない?」


 音子が首を傾げる。


 僕は内心で狼狽えた。その動揺を悟られないように、笑顔笑顔、と自分に繰り返し言い聞かせる。


「そんなこと、ないよ」


 あれ? でも、なんでだろう?


 僕の声は間違いなく重たくなっていた。無理をしているみたいに掠れていて、ドンヨリとしている。


「あの……啄詩、くん?」


 ほ、ほらっ! 乙姫も心配そうに眉をひそめているじゃんっ!


 だからさ、僕! 暗くなってちゃダメだって!


 笑顔笑顔。二人を不安にさせないように――


「あかんでー、啄詩? 楽しくいこうや!」


 楽、しく……?




「――――無理だよ」




「え?」

「ん?」


 ダメだ。


「そんな……楽しくなんて、言われても……」


 ダメだって。そんなこと、絶対に口に出したらダメなんだ。


「啄詩くん?」

「どないしたん?」


 言ってしまえば――もう、堪えることなんて――




「できないよっ!!」




 ああ……ダメなのに、口にしちゃったら、もう無理だよ。


 僕のなかに溜まり続けていた一週間分の不満が、わだかまりが、せきを切ったように溢れ出した。


「わかんないよっ! どうやって楽しんだらいいの!? 僕には音子と乙姫がなにを話しているのか、全然わからないんだよっ!?」


 そうだ。この一週間で僕は思い知ったんだ。


「僕にはできないっ!! 乙姫と音子についていくことなんて……。わからないんだ!! 僕はなにをすればいいのっ!?」


 乙姫と音子は、僕と違いすぎるってこと。


 僕と二人は、ステージが違いすぎるってこと。


「無理なんだ! 楽しめないんだ!! 僕は……僕は、なにもできないじゃないかっ!!」


 僕は、乙姫の力に、なれないってことを。


「あ……」

「そ、そか……」


 僕はそこまで叫んで、ようやく自分がしでかしてしまったことに気付いた。


 乙姫が両手で口元を覆って、言葉を失っている。


 音子が狼狽うろたえたように、気まずそうに目線を逸らしている。


 やってしまった。でも、もう遅い。


「……あ……」


 僕は、取り返しのつかないことを……


「――――ごめん……っ」


 いてもたってもいられなくて、僕は自分のショルダーバッグを引っつかんだ。


 そのまま音子の部屋を飛び出す。


 もう、どうしていいのか、僕にはわからない。

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