魚心あれば水心、ということか。

魚心うおごころあれば水心みずごころ」の元の言葉は、「魚、心あれば、水、心あり」で、「相手がこちらに好意を持つならば、こちらも相応そうおうに応えようとという気持ちになる」という意味でございます。

 時代劇では、悪徳商人のりょう(別宅)や料亭の一室で、悪代官や悪奉行の前に、袱紗ふくさ進物しんもつの上にかけたり包んだりする、方形の絹の布)に包んだ切り餅(紙に包んで封をした二十五両)を四つほど積み上げて、もしくは菓子箱を差し出して、

「これはほんの手土産にございます。どうぞ、お収めください」

 と悪徳商人が上目遣うわめづかいに言うと、扇子せんすで袱紗をはねのけて、あるいは菓子箱の蓋を開けて菓子を入れる枠の一つひとつに小判が並んでいるのを確かめながら、

「なるほど、魚心あれば水心、ということか」

 と、悪代官や悪奉行がほくそ笑んで言います。


 現代でこんなことをやってしまうと捕まってしまいますが、それでも贈収賄が後を絶たないことがわかるのは、ちょいちょいそうした事件が報道されるからです。ということは、贈収賄が行われている現場では、

「魚心あれば水心だな」

 てなやりとりがなされている可能性があるということですが、そこまで詳細に報じてくれる報道機関を、手前は寡聞にして存じません。

 せめて、バラエティ番組の再現シーンかなにかでこの台詞を使ってもらうと、手前どもといたしましては、この上なくうれしく思う次第でございます。

 

 ただ、まあ、この台詞、意味から考えますと、贈収賄の場面に限って使用されるべき言葉ではなく、現代の若い男女の馴れ初めに使われてもおかしくはありません。

 たとえば、毎日飲みに来てくれてちょっと気になる若い男に、

「サービスしますね」

 などと周囲に聞こえないように言って一つおまけの小鉢をこっそり置いた店の看板娘に、

「なるほど、魚心あれば水心、ということか…… お水、お代わり」

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