二夜
翌晩、俺はまた海にやってきた。昨日と同じような気象で、デジャヴすら感じる。月は俺が気付けないだけで少しほど欠けてるはずだった。
今日も公園の入り口を迂回して、バリケードを登れる場所にバイクを移動した。
スクーターを踏み台代わりにして、ひょいっとバリケードを乗り越え、猫のような身のこなしで地面に着地した。
昨日は迷いに迷った松の防砂林も一直線に抜けて、砂浜まで一気にやってきた。
海は変わらずに静かな波音と、月明かりを湛えてそこで待っていた。
『やっぱり美しい』貴女は美しい、会ったばっかりでこんなこと言うのも変だけど、僕と付き合ってくれませんか?
そんな軽口を叩いてでも手に入れたいと思えるほどだった。俺の目にはこの海が呪われているようには映らなかった。
ただ、見た目で判断できるほどこの海は優しいものじゃなかった。
この海岸には
プロのライフセーバーさえ離岸流の犠牲となってしまったあの日、ここでその事故は起きたのだ。
中学一年の夏、夏期休業を前に、俺と友人の山城君で海水浴にやって来た。
両親からは、波打ち際で遊びなさい、と口うるさく言いつけられたが中学生ともなれば守ったフリをするのが世の常、思春期特有の処世術しょせいじゅつだった。
もちろん警戒心がなかった訳でもなく、毎年、水難事故の報道を耳にするので学校でも離岸流りがんりゅうについての授業が行われていた。
「とりあえず泳ごうぜ」山城君はシャツを脱ぎ捨て海水パンツ姿になり、既にゴーグルの装着まで始めていた。
「沖まで泳ぐ気か?」
「まさか、そこら辺で潜って貝でも探そうかと思ってよ」昨日新しく買ったゴーグルを早く試したいと話し、山城君はゴムベルトの長さの微調整していた。
「じゃあどっちがデカい貝を見つけられるか勝負な」俺は意気揚々と勝負を持ちかけた。
「バカ言うなよ。そんな貝、沖の方まで行かなきゃ見つかんねーよ」でも、と山城君は前置きして、「勝負は受けて立つぜ」とゴーグルそ装着しこめかみの辺りで具合を確かめた。
互いに臨戦態勢に入り、頷くと、海に向かって走り出した。
皆が言うような『呪われた海』は本当は存在しないと俺は思う、あの日は、ただ運が悪かった、そう山城君のご両親は、うなだれて泣く俺に声を掛けてくれた。
そうじゃない、と言えなかった自分に今でも失望する。不幸な出来事は世の中にごまんとある。
その中の一つに山城君は巻き込まれてしまったのか、もしかすると俺が巻き込ませたのか、俺が山城君を殺してそれを都合よく海のせいにして、俺は今でも生きている。
山城君の夢を奪ってまで、生きている価値が俺にはあるのだろうか。
昨日と同じように浜辺の真ん中まで歩いて、俺は腰をおろして海岸線を右から左へと眺めていった。
すると左手奥の砂浜でたき火のような灯りが揺らめいていた。火の周りで数人の人影が動いているのも遠目で見て分かる。
この場所からだとおよそ120mくらいか、砂浜でいうと左の端っこの方なので俺と相対する場所と言える。
様子から見るに、かなりの喧騒具合なのはうかがい知れた、俺の傍で絶えず寝息のように穏やかで静かな波音がその喧騒をかき消していた。雰囲気からして俺とさほど年齢の変わらない連中なのだと判別もつく。
「あんなあからさまに騒いで、昨日のおっさんが来たら怒られるぞ」
俺は物静かな性格だけに、この神秘的な雰囲気が壊れるようなたき火と、それに群がる人影にうんざりした。
俺だけじゃない、あいつらもまた、この海と町に迷惑を掛ける人間だ。と人生を謳歌してるであろう彼らと、自分の過去の過ちを天秤で量っていた。
「またお前か」
「ヒッ」
物音も立てず気配もなかったので、まさか昨日の男が後ろに立っていたと思わず、今度は本当のしゃっくりが出た。
しゃっくりを止める方法のはずが、しゃっくりを引き起こすとは天地が引っくり返るようなもんだ。
「またあなたですか。びっくりするんで止めてくれませんか!」
「お前こそ、ここは立ち入り禁止だって分かってるよな? なんでまた来た」男は俺を睨みつけ云った。その凄みにビビって、しゃっくりはピタリとやんだ。
「それはあなたも同じじゃないんですか? 関係者じゃないですよね」
「ああ、関係者じゃねぇ。だからなんだってんだ」当然だろと言わんばかりに腕を組み胸を張った。その胸板は厚くスポーツに明け暮れた肉体と言っても良いほど鍛えられた身体だった。
「俺に文句を言える立場じゃ、ないと思います。同列ですよ、むしろ同罪だ」
「じゃあ一つだけ答えてやる」男は組んでいた腕を解くと、俺の胸ぐらを掴んで荒々しくねじりあげた。胸が苦しくなって手を解こう試みたが、岩のようにゴツイ手が、閉じこもった貝のように、びくともしなかった。
「お前の言うとおり、罪を犯したんだよ俺は。その罪滅ぼしでな、いまでもここに居るんだよ」
「なッ、なんなんですか、その罪って」ズルっと掴まれていたシャツが男の手の中から解かれ、息苦しくなった呼吸を整えながら、聞いた。
「答える義理はない。それよりも、お前は昨日、注意をされたのに何でまた来た。お前は、死にたいのか?」
どうして初対面の男にそこまでの暴言を吐かれなくてはならないのか、理不尽な物言に流石の俺もカチンと来た。
「俺よりも、向こうの連中に云ったらどうなんですか。それとも俺を殺したいんですか」所詮、自分が矢面にのぼることはできず、はた目から見てとても迷惑そうな連中に男の注意を向けさせた。
男は何も言わずに俺に一瞥をくれた、そして指さした奥で騒ぐ集団に視線を移した。
「お前はここがなんて呼ばれてるか、知ってるか」視線は遠くの獲物を捉えたまま、狩りのイロハを話すような、静かな声量だった。そして悲しみを帯びていた。
「呪われた海、ですよね」俺は答える。さっきまで『呪われた海』は存在しないと思っていたのに、当然でしょ、というように答えた。
「そうだ、この海は呪われてる」
「え?」
「この海は何も悪くない、ただ、ひどい奴らの行いのせいで悪者扱いされてる。飲酒だの、肝試しだの、守るべきルールから逸脱した行動を取れば相手は自然だ、ちっぽけな人間が太刀打ち出来るほど、甘くはねぇ。死ぬのは当然だ」そこで区切ると、身体を俺の方へ向き直し、「この海を汚してんのは、お前たちみたいな連中なんだよ」と言い放った。
正直、心が折られたような気分だった。この男は俺の過去の行いなど知るはずもないのに、核心を突く指摘だった。
親友の死が、俺のせいだったことを、見抜かれてしまったのだった。
「俺も」言おうか迷ったが、次の言葉が上手く続かない。胸に手をやり、一度だけ深呼吸した。
「俺も、罪滅ぼしに来たんです」
「はぁん? なんだ、罪滅ぼしって」男は物珍しそうな表情でこちらを見た。月明かりに照らされた顔は気のせいか穏やかに見えた。
「先日、小学校の同窓会があって、皆でタイムカプセルを掘り起こしたんです。その中の同級生の一人と昔、中学生の時に、この海水浴場に遊びに来たんです。ちょうど10年前の昨日でした、良く晴れた日で、穏やかな波で太陽の光を吸収したみたいに白い砂浜でした。来てるお客さんも少なくてプライベートビーチみたいで、こんなにいい場所なのに、どうして誰も来ないんだろうって不思議だったんです」
俺はあの日の記憶を無理矢理思い起こす。無理矢理に忘れてたあの日の出来事を。
「おい、そんなちっけぇシジミじゃ俺のアサリにはかなわねぇぞ」山城君の手にはどうやって育ったのか、卓球ボールほどの大きいアサリが握られていた。大きさはあるが夏になるとアサリには毒素が出るので食用には適さなくなる。
「でもアサリじゃ食べられないだろ、むしろシジミの方がいい」俺は自分の提案した勝負とは関係ない味覚勝負で対抗した。勝つか負けるかなど、どうでも良かった。俺は山城君を驚かせるために貝の大きさで競う勝負を持ちかけた。試合に負けて、勝負に勝つ。
「一ノ瀬、そりゃ卑怯だ。ちゃんと探せよ」
「まだ勝負は始まったばかりだろ、ちょっと喉渇いた」俺は自然な振る舞いで浜辺に上がった。太陽は頂点に達し、さらに気温を上げる気配をみせてる。
荷物が置かれたビニールシートに座り、浅瀬で中腰になりながら貝を探してる山城君の様子を伺った。
「気付いてないな」俺の好奇心がさらに高鳴った。リュックに入った牡蠣の貝殻をギュッと握り締めた。
「ちょっとしたイタズラだったんです。こんな所に牡蠣なんて見つかるはずないのに、それを見つけたら彼はどんな反応をするのか、見たくて」
山城君が水面に潜った隙を見て、俺は牡蠣の貝殻を沖の方へと投げ込んだ。空の貝殻の中に鉛の重しを仕込んで、ボンドで接着した、ただそれだけの仕掛けが、彼の命を奪ったのだ。
「正確に言うと、山城君だけじゃないんです。彼を助けようとしたライフセーバーの方も亡くなったんです。すごい勢いで沖に流されていく山城君を、俺はただ見てることしか、出来なくて」
いつからだったのか気付かないほど、俺の両膝がガクガクと震えていた。遠のいていく親友の顔が望遠レンズで覗いているかのようにハッキリと見えていた。苦しそうに手をバタつかせ、必死にこっちに泳ごうとしてる姿が、目の前の真っ黒な海に投影されていた。
無限の時間のように感じながらもライフセーバーの青年は見る見るうちに山城くんの近くまで泳いでいった。助かる! と彼らの距離が数メートルの距離となった瞬間に、二人に覆いかぶさるような高波が襲った。
あっという間だった。
その後、一瞬だけライフセーバーの青年が顔を出したが、山城君の姿が見えない事に気付き、海中へ潜った。
その後、二人の姿は見えなくなってしまった。
「翌日になって、二人の遺体が引き上げられました。俺が二人を、殺したんです。山城君の書いたタイムカプセルには、人を救う職業に就きたいって書いてありました。もしかすると俺は、人を救ってくれる側の人たちを、二人を殺したんでしょうか」
「なら懺悔は終ったな。さっさと帰れ」
男は新たな用事でもできたと言わんばかりに、俺を押しのけて浜辺の反対側へと歩き出した。
「え、ちょっと」
俺は男に慰めの言葉をかけてもらえるのではないかと引き下がった。が、男の口から出た言葉は、「もう二度と、ここへは来るな」だった。
男は一度だけ振り返る。その顔が月明かりでもよく見えた。口元を歪ませ、目を血走らせ狂気に満ちた表情だった。
その後ろ姿は怒りに打ちひしがれているようにも見えた。背を丸めて猛獣が獲物に近づいていく、昨日のような堂々とした後ろ姿は、どこにもなかった。
「ない」まさかなと思いつつも何度もポケットを探った、それは左右に始まり両尻のポケットを巻き込み、ポケットのないシャツさえも、探る対象へ含まれていた。
見つからない焦りは、直ぐに失望へと変わった。俺はどこかでバイクの鍵を落としてしまった。
俺は視線を海岸の方へ移し、「仕方ない、よな?」とつぶやいて再びバリケードを乗り越えた。
砂浜に戻ってくるまでたっぷりと30分は掛かっていた。どこで落としたのか見当もつかなかったので、スマホのライトを地面に照らしながら往復で通った道を入念に調べていた。
砂浜に戻ると、男の姿も、先ほどまで騒がしかった連中の姿もなくなっていた。人が居ることの安心感はこの場では不必要だと再認識した。月明かりと波音だけがこの場の支配者となり、幻想的という言葉が初めて生まれる。俺はその場に立ち会えたのだ。
そうして感慨深げにたっていた俺は本来の目的を思い出す。「鍵、見つけねーとな」
しかし、取り越し苦労とはこのことで、自分が座っていた場所にあっけなくカギは落ちていた。灯台下暗しともいうか、ここには灯台がないけど。
こんな事なら初めからここまで真っ直ぐ戻ってくれば良かった。と砂の上で光るカギを拾い上げた。
「また、お前か」
「ひッ」
これで三度目だ。この男は俺を付け回してるのではないかと違う意味での恐怖感が頭の片隅を過ぎった。
しかし、先ほどまでの様子とは明らかに違っていた。
「どうしたんですか」頭から足まで全身を濡らして立っていた、息遣いもひどく、呼吸を整える余裕もなさそうだった。
「いいか、今日の事は誰にも話すな。二度とここにも来るな、分ったな!」俺の両肩を掴んで男は言った。濡れた手はシャツの生地を通り越して肌にじわっと滲んだ。
両肩を思いっきり押し返され俺は倒れそうになった。
「ちょ、なにすんだよ」
「もう一度言う、今日の出来事も、お前の過去も誰にも話すんじゃない。いいな!」
男は今までなら去って行くはずだったが、今は俺が立ち去るのを待っていた。
明らかに様子がおかしい。もしかしてさっきの連中と何かあったのだろうか?
しかし、たとえそれが的中してたとしても、俺に聞きだす勇気はなかった。
何よりも、すごい剣幕で俺を睨みつけていた。胃の奥をえぐり出されるような、キリキリとした痛みが胸の辺りで駆け巡る。奥歯を噛みしめ、喉を駆けあがってきたモノを飲み込んだ。
それは、あの日に感じた恐怖からの痛みに似ていた。
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