花束 おまけ 終


「千秋はばか」

「はあ!?」

「さ、咲良ちゃん……」

「結城先輩は黙ってて! ああもう結城じゃないんですっけ!? 新しい苗字は!?」

「ゆ、結城でいいです」

「咲良、あんたもっかい言ってみ!」

「千秋はばか」

「ああっ!」

「咲良ちゃん……!」


 これでよく、いままで仲良くやってきたな。というか、これが二人にとってはふつうなのかな。私はもう分からなかった。どんな顔していたらいいか分からない。咲良ちゃんの率直さがこわい。考えてみたら、私と咲良ちゃんがちゃんと物事を伝え合ったのって、そんなに多くない。千秋さんは、きっと、ぶつけて過ごしてる。それができなくって、私は咲良ちゃんと離れるしかなかった。


「千秋、私と一緒になる前、男の人とまた付き合ってたよね?」


 怒っていた顔の千秋さんが少し怯む。でも私の顔を見て、すぐに取り繕った。


「それがなに」

「その人となんで一緒にならなかったの?」

「……価値観が合わなかったから」

「好きだったのに?」

「好きだったけど、価値観は合わなかった」

「私も、比奈と価値観が合わなかった」


 私は、ごたごたで慌てて、咲良ちゃんに伸ばしかけていた手の先を、思わず空中に留めた。指先まで血が巡らなくなったみたいに、動きが止まった。千秋さんも呼吸を止めた。


「好きだったけど、価値観は合わなかった。だから私は比奈と一緒になれなかったし、比奈は、私とは一緒になれなかった。ずっと考えてた。私と比奈は、出会うために出会ったけど、でも結ばれる二人じゃなかった。私、比奈の好きな人でいるためには、自分の嫌いな自分でいる必要があったから」


 咲良ちゃんが私を見る、澄んで遠くまで見えるような水晶玉だった。誰にも遠慮しない強かな瞳。この子は最初からこういう目をしていただろうか。そうかもしれなかったし、違ったかもしれない。しかしどちらにしても、二人で洗った瞳だった。砂をかぶされるべきではなかった。咲良ちゃんはそれを分かっているし、私も同じだった。そして、それがどういうことを意味するのかも、理解してる。


「価値観が一緒だったら、比奈は私と一緒にいた。無理に寒い所まで行かなかった。女の子を好きになるなんて変なんて思わずに、私の家にお父さんとお母さんと住んで、たぶんいまでも一緒にいた。でもそうならなかった。先とか後とかじゃないよ、千秋、そういうことじゃない。そう思ってるんでしょ。でも諦めなんかじゃない、最初から私はここにいた」


 千秋さんは咲良ちゃんをじっと見つめて、やがて冷めた紅茶に手を伸ばした。


「……うん、よく分かった」

「よかった」

「結城先輩も、ごめんなさい、巻き込んじゃって」


 私は咲良ちゃんの言葉を舌の上で確かめながら、千秋さんが頭を下げるのに、首を振った。


「ううん。私、言葉にするの、下手だから、いつも咲良ちゃんがこうやって、言葉にしてくれる度に、そうだなって思うの。今日、来て、聞けて、よかった」


 三人で黙った。過ぎていく時間を眺めるみたいに沈黙した。くっきりと浮かび上がった空気を見ていた。そして、今日を綺麗だなと思った。花の影に隠れて咲くさらに小さな花を見て、首を傾げて微笑んで、私たちはそうやって歩いている。見つけられなければそれまでだった。見つけてしまえば見て見ぬふりはできない。そうして出会って、そうして離れる。季節が過ぎて、同じところにまた咲き乱れるのを見て、再び会う。そして変わった花の色を見て、どう思うかは変わった私の心が決める。前の方がよかった? いまの方がいい? 前の方がよかったんだとするなら、私は変わってないんだろうな。いまの方がいいんだとしたら――私はどういうふうに変わったのだろう。


 私はそうして変わったけれど、変わってほんとに正しかったかな。前にあった色を好きだった自分の方が、素敵じゃなかったかな。分からない。分からないけど、そうやって考えられる時点で、やはり私は変わったのだ。変えられていく、時に、変えられていく。周りに変えられていく。与えられる雨の温度で、当たる陽の光の色で、隣に咲く花の在り方で、変わっていく。変えられていく。掴みどころのないものに流されていく。


 咲良ちゃんは変わった? 変わったと思うとき、私が変わっている可能性について。変わっていないと思うとき、私が変わっていない可能性について。


 すれ違っていく。人と人は常にそう関わっている。だったら関わらなければよかった? いや、関わらなければよかったと思うことができるのも、関わった上での浮かび上がった花束だった。


 していない話をしよう。誰も知らない話をしよう。そして、驚かれたり厭がられたりしたらいい。


 水橋咲良。桜のようだった人。水に流されていくささやかな花びらのようだった人。日を照り返した眩しい水面に流されて、ゆらゆら消えてく綺麗な人。私の人生を彩ってくれた人。でも私とは見ている花が違った人。そして、だからいまだに水橋でいてくれている人。したたかで、夢みたいじゃない? 生きているなんて。だってそうじゃなきゃ出会えなかった。私が私じゃなきゃ、砂を投げられて泣くあの子を助けられなかった。そして咲良ちゃんが咲良ちゃんじゃなきゃ、いまのこの瞬間はないんだ。


 私はある日、勇気を失った。署名提出捺印で。赤い星はいつか破裂してしまうらしい。そして数日は夜が来ないらしい。私ももっと素直に生きればよかった。千秋さんより前に咲良ちゃんを捕まえとくんだった。でもだめだ。やっぱ、私、いまの人も好きだ。ひらひら舞うはなびらを必死で追いかけて捕まえてたら、好きになれなかった。


「ねえ、咲良ちゃん、千秋さん」


 二人の目がこっちを向く。愛し合って一緒になった二人の瞳が同時に。私もそこにいたかった。いたかったと後悔できるのが、嬉しかった。無限だな、人生って。きっと私のほかに私がいるんだ。


「二人の話、聞きたい。どうやって、好きになったの」


 咲く場所を決めよう。いつか摘まれて幸せになるんだ。花束に――!


――花束「おまけ」 完(?)

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