第14話


 高校への通学路は、私の家から見ると、通っていた小学校や中学校とは逆の方向に続いている。千秋の家は高校の向こう側で、他の友達も家が離れているので、通学路ではいまだに一人だった。少し肌寒くなってきた朝の空気を感じながら、他の人達に混じって高校へと歩いて行く。


 通学路ではなかったけど、街の中心はこちら側なので、馴染みのある光景ではあった。昔から、ほとんど景色は変わらない。古いスーパーマーケットも潰れないし、新しくコンビニが建つことも少ない。公園も、木も、ベンチも、よく分からない寂れた看板も、変化していない。人が変わる速度ほど、風景が変わるのは早くないようだった。


 このT字路も。


 このT字路をまっすぐいけば、高校へ着く。ここを右に曲がると、比奈の家がある。


 比奈、が――。


「あ、咲良ちゃん」

「……比奈」


 そこに立っている結城比奈の姿が私の目に入った途端、私は今までの記憶を全て失ってしまったような、そんな感覚に陥った。全部がどうでもよくなるような、全てがそこにあるような――。頭が真っ白になって、時間がすぎるのも忘れて、そこに立ち尽くした。


「久しぶり、だね。南高受かったんだね」比奈がゆっくりと近づいてくるのに、なにか言いたいのに、呆然と動けないでいた。「うちの制服。よく似合ってるよ、咲良ちゃん」


「比奈」

「んー?」


 比奈は私の目前まで、ほんの少しだけぎこちなくやってきて、私の曲がったタイを小さく触って直した。彼女の瞳の色は変わらない。髪の色も長さも、ずっと同じだ。私の心はまた、永遠の記憶に支配されて、目頭のところが急速に熱を持った。ああ、私。私は、この人とでないと生きていかれないのだ。


「手、触っていい?」

「いいよー。……私が南にいったら、同じとこに来てねって約束したんだけど、もしかしたら咲良ちゃんはどっか行っちゃうんじゃないかって不安だったの。入学して一年経っても、全然見かけないから。そっか、この時間に家出れば会えるんだね」


 寒さを埋め合わせるように、比奈が私の手を優しく包む。


「私、たぶん一人じゃやっていけないよ。比奈がいないと」

「……嬉しいこと言ってくれるね」


 包まれた手がぐっと強く握られて、ほんの少しの痛みに愛しさがあふれる。


「私もそう思うよ」

「比奈が、そう思うの」

「思っちゃだめなの?」


 私は首を振った。誰からも好かれる彼女は、好く人にも困らないだろう。それなのに、私がいなきゃだめだなんて思うのか。嬉しくはあるけど不思議でもあった。なんで私にそんなことが言えるんだろう。それとも他の人にも、同じように言うのかな。だとしたらいやだな。


 一年以上の期間が空いて、それで、会ったら緊張するかなとか、いままで通り話せるかなとか、色々考えたまま会えない期間が続いて、しばらく比奈のことを考えない時さえもあったけれど、いざこうなったら、私はこれまで通りこの女の子に全てを奪われて、なにも変わらないで、他の物事がどうでもよくなるくらいに、頭を結城比奈で埋められてしまうんだ。夏に雪が降るとか、春に枯葉が散るとか、そういうことを、この女の子は運んでくる。


「咲良ちゃん、大丈夫? 学校遅れちゃうよ。手繋いだまま行こうか? 恥ずかしい?」


 首を横に振って、比奈と手を握り直した。隣で見る横顔も、ずいぶん懐かしい気がした。でもすべてが昨日のようにも思えた。同じ制服に身を包むのはこれで二回目だけれど、高校の制服はまた違って見えた。鏡で自分自身を見た時もふと思ったけれど、大人になったのだと。大人になっていくのだなと。比奈も、また、私も。大人になるということは、みんなが想像するような、翼を授かることとは違うと思える。私には、段々と壁が近付いてくるようなことに感じられた。手もかけられない越えられない壁に向かって走って行くのが、大人になるということだ。


 そんな中で、いつまでもこうして、比奈と二人でいられたら、どんなにいいだろう。

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