第12話

 一ヶ月ほど経って、高校生活にも慣れてきた。部活動には入らず、まっすぐ帰るか千秋とどこかに行くかのどちらかで、家に帰る時間にむらが出てきた。なんだか自分が、世間一般で言う女子高生のようになっているのがおかしい。私に「華のセブンティーン」が訪れるなんて思ってなかった。これも千秋のおかげだ。


 母の作った夕食を口に運ぶ。几帳面に焼かれたハンバーグの切れ端が口の中でほぐれて、じんわりとしょっぱい味がした。


 ――変わらないのは、うちの食卓だった。父も母も無言で、ほとんど何も言わない。とりあえず点けられているだけのテレビの賑やかな音が、冷気を放っているようにさえ思える。何年も変わらない光景で、慣れているはずだった。違和感などなにもないはずだった。私の家はもうずっと、姉がいなくなってからずっとこうなのだから、少しもおかしなことはない。


 けれど、私は何を思ったのだろうか。


「……学校で友達ができたの」


 いつものような夕食時、いつものように会話のない食卓で、私はぽつりとそう言った。もう十分大人なのだから、外で夕食を済ませればこんな寒々しい空間に身を置かなくて、姉のいない四人用のテーブルと空いた椅子を隣に置かなくてよかったはずなのに、私は毎日きちんと夜の七時になるまでには帰ってきていた。


 何故言ったかは、言ったあとでは分からなかった。ただ長年過ごしてきて、もう慣れてしまっていたはずの食卓が、久しく窮屈に思えたのだ。


 学校での昼食中に、人と話すことが増えたからだろうか。食事の味なんか本当はどうでもよくて、それを彩る会話に花を咲かせることが、当たり前になりつつあったからだろうか。小学校や中学校の時は、比奈とおばあちゃんと食べるご飯と比較したりしたけれど、いま初めて、それよりも強く、昼食の賑やかさと比較した。


 私が言ってから、しんとした時間が過ぎた。あまりにもその状態が続いたので、無視されるんだろうと思った。しかし数秒の間のあと、「……なんて名前の子?」つまらなそうに母親が聞いてきた。別に無理しなくてもいいのにと、少し笑いそうになりながら、千秋という名前だと言う。葵千秋、両方名前みたいでしょ。


 やがて糸がちぎれたかのように、父と母から、私に、言葉が飛び交い始めた。千秋のこと、学校の様子や教室の様子、担任の話とか学年主任の話。まるで、これまで質問を禁じられていた子供のように、ぶっきらぼうにさえ見える態度のままで、異様な空気を纏った質問会は進んでいく。もうおかしかった。笑いながら涙が溢れるほどおかしかった。もっと楽しそうに喋ったらいいのに、二人とも。


 ――そういえば、もしかしたら、姉が家を出ていってしまってからというもの、私はここで笑ったことがなかったのではないか。そう思いながら、今まで話さなかったことを、たくさん話して、それで結局夕食は、いつもより三十分遅く片付けられた。



 ――両親は、私に露ほども興味がないものだと思っていた。私の育ての親は、どちらかと言えば姉だったし、姉が出ていってからは、本当に必要なこと以外話した覚えがない。それどころか、いまふと思い出したけれど、姉が出て行ったあと、私は両親に、なにか愚かな暴言を吐いたことがあったような気がする。会話がなくなったのは、それ以来かもしれない。私と姉との部屋は、ただ襖だけで仕切られて、空虚に存在している。がらりと開けても、そこには薄暗い空間と、頭もよく人柄もよかった姉の、たくさん写真が飾られた勉強机があるだけだった。


「学校で友達ができたの……」


 きっかけの言葉を呟いてみる。なんてことない些細な言葉。普通の家庭なら聞き飽きるような報告。道端に生えたたんぽぽよりも些細だった。


 思えば、思い返してみれば、剣道をやりたいと言った時、高い剣道の道具を用意して欲しいと言った時、二つ返事で了解してくれたのは、他でもない両親だったではないか。試合さえ見に来た。出るとは言ってなかったのに、その時たまたま欠員が出たから試合に出させてもらえたけれど、下手すれば、二人は無駄足だったのに。


 両親は私に勉強ばかり押し付けてきていると思っていた。いや、実際に押し付けられていた。けれど、そうなったのは、私が他にやりたいことも見つけず、勉強ばかりしていたからではなかったか。あるいは、大好きな姉を追い掛けたいのなら勉強する他ないという意味が込められていたかもしれない。父の書斎でこっそり本を読んでいたら、いつの間にか児童書が棚に置かれていたのは。美味しくもなさそうに食べるのに、わざわざハンバーグをこねてくれるのは。あれは、これは。


 両親などいてもいなくてもおんなじだと、ずっと思いこんでいた。……同じことを思われているのだとも。そうではないと、もっと早く気がつけていれば、私の人生は、もっと綺麗な、色と光で溢れたなにかに、なっていたんじゃないだろうか。

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