第4話
駄菓子屋のあとには、公園とか、図書館とかを寄り道して、日が傾いてきた頃に、やっと比奈の家にやってきた。彼女の家は外から見ても古めかしさがある木組みの家で、一足踏み入れるだけで、木のにおいで充満しているのが分かった。私の横で、比奈が照れくさそうにしている。
「ごめんね、咲良ちゃん家みたいに綺麗な家じゃないけど……」
私は黙って首を振る。だからといって、なんだと思いもしなかった。むしろ、街の端っこの方にあるこの地区では、新聞に挟まった広告に乗っているような、つまり私の家のような民家の方がよっぽど珍しいのだ。どんなに広くても、綺麗でも、私の家には、この家のような暖かさはない。玄関に立ってすぐにそう思った。壁に飾ってある幼い頃の彼女の写真。比奈を挟むようにして若い大人の男女が写っている。たぶん、お父さんとお母さんだ。今と変わらないほどに明るい笑顔で、彼女は笑っている。他にも、幼稚園の頃に描いたものだと思うけれど、おばあちゃんの似顔絵や、学校の授業で作った創作物が、玄関に飾られている。それだけで、彼女は家族に愛され、そして彼女も家族を愛しているのだと分かる。
うちとは、大違い。私は、学校で作らされた自分の作品に、まるで興味が無い。作品と呼ぶのさえも躊躇う。ただ周りの作る物の様子を伺いながら、浮かないように、合格だけ貰いにいった、愛着もない工作だからだ。
教室に飾る期間が終わって、家に持ち帰らされるその時に、ゴミ箱に全部捨ててしまう。それは、やっぱり、愛着がないからでもあったし、両親も興味が無いだろうから。
でも私の感情は感傷的になるのではなくて、少しすっきりしていた。彼女は愛されて育って、愛されることを厭わずにいたから、人気者で明るくて勇気のある人になれたのだと感じることができた。
「あんまり見られると恥ずかしいよ」
彼女は笑うと、大きな声でただいまと言った。しんとしていた屋内に快活な音が響くと、少しして奥から出てきたのは、お婆ちゃんだった。さっき見た飾られている写真に写っていた人と同じ人だから、比奈のおばあちゃんだ。その人は、私の姿に気が付くと、優しい皺を寄せて微笑む。
「あら、お友達?」
「うん、咲良ちゃんって言うの」と彼女が言いかける間に、私は深く頭を下げて「水橋咲良です、おじゃまします」と言った。緊張で裏返らないようにした私の声はひどく単調で、きっと愛想なく映ったことだろう。いや、事実、私には愛想などないのだから、それで正解なんだ。もっと普通でいいはずなのに、どうして緊張してしまうのだろう。自分が情けない。顔がかあっと熱くなるのが分かった。
「いらっしゃい、咲良ちゃん。綺麗な名前だねえ。さ、そんなところにいないで、上がってください」
促されて、私と比奈は靴を脱いで玄関に上がる。私は再度「おじゃまします」と言った。
彼女の部屋に案内される。軋んだ音のする廊下を進んだ。部屋は洋室で、彼女の部屋というには、かなり落ち着いていた。でも、多分だけれど、彼女の自室が明るく、なんでも揃っている必要ははないのだろう。きっと家族で過ごすだろうから。
「ランドセル、預かるよ」
彼女が後ろから、私のランドセルを脱がす。私は従って、両腕を後ろにやって、彼女が取りやすいようにした。
「ありがとう」
「いいえ」
彼女の部屋の窓からは、木々が見える。家の後ろは林だった。太陽の光は邪魔されず、室内には傾いた陽光が入ってきて、ほんのりと明るいをきょろきょろとしていると、私のランドセルを置いた彼女が「お座りくださいませ」と冗談交じりの口調で椅子を勧めてくる。言われた通り座ろうと思ったけれど、そうすると、彼女の座る椅子がなくなってしまうことに気が付いた、予想通り、私に椅子を勧めた彼女が床に正座したので、私はせっかく譲ってもらった椅子ではあるけれど、私は彼女と同じように床に座った。
彼女は少しだけ目を大きくして、やがて小さくつぶやいた。丸い瞳が光っている。
「優しいね」
「……普通だよ」
別に普通のことなのに。
私は結城比奈の顔をじっと見つめた。視線が交差する。数秒そうして、彼女は後ろに隠した手から、じゃーんとトランプを取り出した。
「やろっか」
「あんまりルールわかんないよ」
「教えるから」
「ありがとう」
「いいえ」
トランプを箱から取り出したとき、おばあちゃんがひょこりと顔を出した。
「あ、トランプかあ。ねえ咲良ちゃん、好きなお菓子はある?」
「好きなお菓子……」
少し真剣に考え込んでしまう。甘いものなら大抵は好きなのだ。
「なんでもいいよ」と、今度は比奈が言う。その表情は少しだけいたずらっぽかった。その表情の意味を考えているうちに、私の口からすっと出てきたのは「プリン」という単語だった。
「そうかいそうかい、プリンか。作りがいがあるね」
おばあちゃんは腕をまくって、力こぶを作ってみせる。
「作るって」
「おばあちゃん、お菓子作るのが好きなんだよ」
好きなお菓子を聞かれて答えただけなのに、図々しい子になってしまわないだろうかと心配になる。だから私は「申し訳ないので……」と断ろうとしたけれど、顔をしわくちゃにして嬉しそうなおばあちゃんの顔を見たら、それを言うのは憚られた。
「咲良ちゃんは今日何時に帰るんだい?」
そう聞かれて時計を見る。さっき部屋を見回したときにも見た気がするけれど、それから少し時間が経っていた。
「五時にはここを出て帰らないと……」
「ふむ」
おばあちゃんが時計を見る。針はもう四時を指していた。ここに来る前に、散歩がてら寄り道をしてきたのだ。お昼からはだいぶ時間が経ってしまっていた。プリンというのは作るのに結構時間がかかるのではなかったか。冷やす必要もある。けれど残された時間はあと一時間しかない。
「材料まで買いに行っていたら間に合わないかねえ」
おばあちゃんが残念そうに言う。作るだけでなく、わざわざ買い出しにまで行ってもらうわけにはいかない。お菓子作りが好きだという彼女のおばあちゃんの手作りお菓子を食べてみたい。きっと美味しいに違いないだろうけど、迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「あの、また早い時間に来ます。せっかく作ってくれるって……ごめんなさい」
「謝らんでいいのよ。咲良ちゃんはなんにも悪くないから。ご両親を心配させる方がもっといけないものね」
どうせ、心配なんてしない。そう反射的に言いかけ、言ったら変に思われると思って、口を噤んだ。
時計の針の音が聞こえるようなぎこちない時間が流れたあと、彼女がおもむろに口を大きく開ける。
「あっ、ねえ! 泊まっていきなよ!」
まるで世紀の大発見をしたかのように顔をきらきらとさせて、彼女は言った。彼女の顔がずいっと近づいてきて、私の手を掴む。
「ね、ね?」
「こら比奈。あまり無理言っちゃ……」
おばあちゃんが彼女を窘めるが、諦めていないようだった。乗り気ではなかった、いや、とても魅力的な話ではある。すぐにでも頷きたい。けれど胸中にあるのは、私が友達の家にに泊まるということを経験したことがなく、それを聞いた母がどう言うのかが、分からないという不安だった。
このまま黙って泊まってしまおうか。遅く帰っても母は怒らない。一日帰らなかったくらいで、何がどうと言うのだろうか。けれど私のその邪な気持ちは、おばあちゃんによって否定されてしまう。
「もし泊まるなら、ご両親に確認しなきゃね」
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