第2話

 屋上にあるいつものベンチに座り、弁当を開けると、隣のクラスの伊織いおりが血相を変えて、走ってきた。


 その表情は、B級ホラー映画に出てくる悪魔のようだった。


 「こ…恋乃葉…」


 伊織は、喘息の発作のように、息を切らしていた。


 十字架があったら、デコに押し付けていたところである。


 『その体型で階段をダッシュして、よく膝が無事だったわね』と言う言葉は喉元で飲み込んだ。


 「縄跳びしながらフルマラソンでもしてきたの?」


 昼食の邪魔をされて不愉快だったので、伊織では、一生できないであろう表現をした。


 「いや…」


 大きく深呼吸をした伊織が、真剣な表情で目の前に屈みこむ。


 屈む時に膝が『ポキポキ』っと鳴って、笑いそうになった。


 「本当なの?」


 「え?」


 「和久井くんとの話よ!なんで親友なのに言ってくれなかったの?」


 簡単に親友という言葉を使われたことに、虫唾が走った。


 同じ学校で、ちょっと喋っただけで、私たち親友よね?

 なんて、そんな慣れ合いには、反吐が出る。


 伊織は、二年の時に同じクラスになり、少しだけ喋るようになっただけの仲である。


 大学に進学し、会社へ就職し、家庭を築いて大人になった時、高校時代のように親友と呼べる関係なんて、そう簡単じゃない。


 親友なんて一握りの感覚もない、ミクロの確率である。


 少なくても伊織は、その拳の中に入る相手ではない。


 「ねえ!聞いてる?」


 下らな過ぎて『聞いていなかった』と言いそうになった。


 「話に尾びれ背びれが付いてるわ。そもそも話自体に信憑性や現実味がないことくらい、考えれば分かると思うけど?私よ?」


 伊織が顔をじっと見つめてくる。


 「それ言われちゃうとそうだけどさ」


 くそ…

 鏡見てから言えよ…

 

 「じゃあどこまでが事実なの?」


 「確かにクリスマスを一緒に過ごすとか何とか言われたわ。でもそれは場面で目障りな女子を追い払うための道具として、私を利用したに過ぎないわ」


 「でも今日一緒に帰る約束したんでしょ?それに期間限定で付き合ったとか?」


 クラスの外へ吹聴してるバカを見つけたら、必ずスピーカーと言うあだ名を付けてやる…


 「そんなことも言ってたわね」


 「ほら…和久井くん本気なんじゃない?」


 本気か冗談かなんて、分かる訳がない。


 どちらにしても目の前の悪魔には、関係のない話である。


 「可能性はゼロじゃないわよ」


 だとしても、コイツに言われるのは、何故か腹が立った…


 「まさか」

 

 人がサルを結婚相手に選ぶくらい、有り得ない…


 「仮にもし和久井くんが、本気で言ってるとしたらどうするの?」


 本気で??


 私と??


 それは考えもしなかった…


 サルが私と?


 いや…


 考えとしては逆である…


 和久井がサルと?


 「くそ…」


 自分で自分をサルに例えてしまい、思わず舌打ちした。


 「考えたくもないわ」


 わざと素っ気ない態度をつくった。


 「そっか…ごめん…余計なお節介しちゃって」


 空気を察した伊織が申し訳なさそうにうつむく。


 「私は恋乃葉にとって最高の思い出が創れるなら色々と助言できるかな…なんて思って」


 偽善者極まりない発言である。


 なぜなら伊織は、和久井ファンクラブのメンバーだからである…


 どうせファンクラブに属する連中の差し金だと思うと、時間の無駄で、付き合い切れなかった。


 「もう和久井の話はおしまい。お弁当食べるわよ」


 とは言ったものの、弁当にはミートボールしか残っていなかった。


 伊織が潤んだ目で頷く。


 幼き頃に飼っていた、ハムスターが死んだことでも、思い出したのね…


 どうやら一度吐いた偽善は、飲み込んだら意味がないと言うことを知っているらしい。


 再び弁当を膝の上に置いて箸を付けた。


 和久井とのやり取りが、再び頭の中でリプレイされる。


 思い出すだけで、イライラする…


 鼓動が速くなる。


 チャイムが鳴るまで、隣の家の晩御飯ほど興味が無かった和久井のことが、頭から離れない。


 くそ…


 和久井のせいで、大好きなミートボールの味が分からなくなっていた。


 午後に行われた集会は、冬休みの過ごし方や、年始の学校行事などについてだった。


−−−−−−−−−−


 集会が終わり、教室に戻ると、マニュアル浜口から『年が明けたら、卒業旅行のアンケート用紙を配るから、各自なんとなく考えておくように』との話があった。


 卒業旅行か…


 用紙には『不参加』と書くつもりだった。


 終業のチャイムが鳴り、両腕を伸ばして欠伸をした。


 「おい」


 隣を振り向くと、和久井が眉間に皺を寄せていた。


 「え?」


 「俺の女なら、もう少し言動に気を使え」


 逆に眉間に皺を寄せてやった。

 「まだそんなこと言ってんの?」


 「なんだと?」


 「そんなふざけた話はもうおしまい」


 「俺が決めた事を勝手に終わらせるな」


 和久井の中では、自分中心で世界が回っているのを、確信した瞬間だった。


 「あんたの彼女になりたいから是非よろしくお願いします、なんて頼んだ覚えはないわ」


 「一度咲かせようと思った俺の言葉は、咲くまで枯れない、咲くまで折れない、咲いたら生涯散らさない」


 深い…


 聞いているこっちが恥ずかしくなりそうな、詩である。

 

 笑いを堪えるのに、太ももを抓るしか手段はなかった。


「それはあんたの勝手だわ」


「帰る支度はできたのか?」


 人の話が全く聞こえていない様子である。


 今度は子供でも解るように聞いた。


 「ねえ…本気で一緒に帰るつもり?」


 「当たり前だろ」


 どう角度を変えて考えても、当たり前だとは思わなかった。


 和久井に何の目的があるのか、サッパリ解らない。


 ただ一緒に帰るのを、断る理由を探したけど、見つからなかった。


 「じゃあ帰るぞ」


 肩が下がるくらい溜め息を吐いてみたけど、効果は微塵みじんもなかった。


 もう一度溜め息を吐いて、和久井の背中を三歩下がって教室を出た。


 教室を出てからの廊下、階段、下駄箱、多目的コート、正門、どこを歩いても注目の的になった。


 なんで私がこんな見せ物に…


 不祥事を起こした後に、地元商店街を歩く有名人になったような気分だった。


 放送室のマイクを使わなくても、校内全体に情報は出回っていた。


 間違いなく、校内での嫌がらせや、SNSでの、誹謗中傷を受けるパターンである。


 家の庭で、和久井に見立てたわら人形に杭を打ち込む姿が、イメージできた。


 でも高校へは、友達づくりに来た訳でも、誰かに好かれるために来た訳でもない…


 自分が人にどう映るかなんて、選挙ポスターじゃあるまいし、どうでもよかった。


 果たして自分が何のために学校へ来ているのかも疑問だったけど、それは今考えることではない。


 大通りまで歩くと、高級そうな車が路肩に停まっていた。


 「お疲れ様でした」


 スーツを着飾った中年の男性が、コンクリートに額がつきそうなくらい頭を下げる。


 和久井は無言で鞄を渡すと、慣れた様子で、開けられた後部座席に乗り込んだ。


 ヤクザの組長が、車に乗り込むワンシーンのようである。


 毎日こんなVIP待遇の登下校をしているのか?


 毎日電車とバスを経由して、サラリーマンと一緒に窮屈な思いで、登下校している自分がバカバカしくなった。


 「なにをしている?早く乗れ」


 「あ…え?」


 戸惑っていると、中年男性は、笑顔で挨拶をしてきた。


 「こんにちは。わたくし楼真ろうまさまの生前より、和久井家の運転手として使われております、相澤と申します」


 「えーっと…初めまして…和久井くんのクラスメイトの椿つばき恋乃葉このはです」


 「自己紹介はいいから早く乗れ」


 和久井の気は、線香花火並みに短い…


 今までファンクラブに反応しなかったのは、タブレットとヘッドホンのおかげね。


 「はいはい」


 苦笑する相澤に軽く頭を下げて、後部座席に乗り込んだ。


 「おじゃまします」


 高級感溢れる本革のシートに座ったのは、スーパー銭湯に備え付けられた、マッサージチェア振りだった。


 政治家にでもなったような気分である。


 「青山」


 青山?


 紳士服などが売っている店の?


 「かしこまりました」


 和久井が行き先を告げると、相澤はゆっくりと車を発進させた。


 自分の置かれている状況が、まだ信じられなかった。


 下校途中で信号待ちをしている生徒たちを見ると、なぜか懐かしい気持ちになった。


 人は決して平等ではない…


 生まれてきた時点で、人生の終着駅は、ある程度決まってる。


 その過程の中で、どこ行きの切符を購入し、どこの駅を目指すのかを、自分で決める。


 そこでの判断が、人生の分岐点になる。


 人生は選択の連続…


 もしかしたら私は、人生を変える天国への極上プレミアム線か、はたまた…人生のどん底に急降下する、地獄の特急列車に乗車してしまったかもしれない…


 人生なんて死ぬ時は所詮、砂時計のように儚い時間だったと気付く…


 探して見つからないことはない…

 探さなければ見つかる訳がない…


 かと言って、和久井が運転する列車の乗組員になるつもりはなかった。


 でも…


 もし自分が、一度きりの人生で、これまでに見たことのない景色が見れるとしたら…

 

 それは一体どんな景色なの…


 少しだけだけど、興味はあった…


−−−−−−−−−−


 代官山に近い青山に着くと、お洒落なお店が、所狭しと、建ち並んでいた。


 どうやら和久井の言った青山とは、地名のことだったらしい。


 青山なんて来たのは、初めてである。


 車が停車すると、和久井は目の前のガラス張りの店に入っていった。


 店名を告げることなく、相澤が解ったということは、普段から和久井家の利用する、御用達の店ということ。


 高そうな毛皮のコートを羽織ったマネキンが、その気になってポーズを決めている。


 すぐその気になる自分も、同じ服を羽織ったら、15分は鏡の前から動かない自信があった。


 和久井の後に続き、自動ドアを潜るのを一瞬躊躇ためらった。


 誰が見てもお洒落に鈍感な自分が、こんな店に入るのは、最初で最後…


 「和久井さま、いらっしゃいませ」


 店一推し確定の美人店員が、ネギを背負ったカモを逃がさんとばかりに、満面の笑みで馴染みの迎え入れをする。


 こんな一等地の店で、普段からショッピングするなんて、デパートの婦人服売り場のセール品を漁る私とは、感覚が全く違った。


 「取り合えず、冬用でこいつに合うコーディネートをできるだけ多く用意してくれ」


 和久井が、店員に向かって自分を顎で差す。


 「それからコーディネートが済んだら、上の美容室へ連れて行ってやってくれ」


 は?!


 私?!


 「ダイヤもちゃんと職人が磨かなきゃ、ただの石ころだからな」


 え?


 自分をダイヤモンドに例える和久井を見て、掛かりつけの眼科を紹介しようか、真剣に悩んだ。


 「なに言ってんの?」


 思わず噴き出してしまった。


 「お前は自分の素材を理解してないんだよ」


 眼科ではなく、精神科を紹介した方が良さそうである。


 「素材を理解してないから、自分を上手く料理することができない」


 「もともと料理する気なんてないわよ」


 「そんなこと今のお前を見れば、サルでも解る」


 くそ…


 サル?

 

 どうやら、和久井もサル表現が好きらしい…


 「素材を理解していないお前は、食材の買い出しに行っても、料理の仕方が解らないから、冷蔵庫の中で腐らせるタイプなんだよ」


 「あんたは、相手の好き嫌いも考えずに、自分の作った料理を振る舞って、一人で勝手に自己満足に溺れるタイプよ」


 「面白い。それで俺を分析してるつもりか?御託を並べる前に、黙って俺の言われた通りにしてみろ」


 御託?!


 「先に御託を並べたのは、あんたでしょ」


 「俺が言ってるのは、全てお前のためだ」


 勘違いしているようなので、終止符を打つしかなかった。


 「私はあんたの言いなりでも奴隷でもなければ、クリスマスも一緒に過ごすつもりないし、まだ彼女にも、なった覚えはないわよ?」


 ??


 咄嗟とっさに『まだ』と言う言葉を付けた自分の図太い性格に、我ながら感心した。


 「もういい。文句は新しい自分と対面してから言ってこい」


 新しい自分?


 「数時間後のお前なら、いくらでも話は聞いてやる」


 数時間?


 そんなに掛かるの?


 早く帰って、昨日録画した韓国ドラマを見たいのに…


 「ちょ…ちょっと!」


 和久井は、呆れたように捨て台詞を吐くと、背中を向けて、店を出て行った。


 その背中は、数時間後の結果も、お前の性格も、全て解った上での行動だと、言わんばかりの、自信に満ち溢れた後ろ姿だった。


−−−−−−−−−−


 壁に掛かる時計を見ると、かれこれ三時間くらい経った…


 色々とやってもらっている立場で申し訳なかったけど、いい加減疲れた…


 芸能人やモデルは、毎回テレビや雑誌の撮影の度に、こんな退屈な思いをしているのか…


 って言うよりも…


 そんなに時間が掛かるほど、私の既存が悪いってこと?


 やっとヘアメイクも化粧も終わり、従業員用の個室で、コーディネートされた服が着付け終わると、ちょうど扉がノックされた。


 店員が扉を開けると、やはり和久井だった。


 防犯カメラで監視していたかのように、はかった登場である。


 和久井は黙って近寄ってくると、顔を覗き込んできた。


 「思った通りだ」


 満足気な和久井に、ショップ店員と美容師は、頭を下げて、個室から出ていった。


 「ほらよ」


 手渡されたハート型の手鏡を見て、ハート型の手鏡をセレクトした和久井よりも、衝撃を受けた。


 だ……だれ??


 本来の面影が跡形もなく消えているように見えた…


 これが職人の魔法…


 もはや自分がどんな顔のパーツをしていたのかも分からない…


 これは喜んだ方がいいのか?


 我ながらいい女だけど、どうも複雑な心境である。


 「女にとって化粧はステータスだ。可愛い服を着て、お洒落な髪型にして、綺麗な化粧をすれば、世界が変わる。世界が変わるってことは、その先にある人生も楽しみになる」


 和久井の言っている通り、外見しか変わっていないのはずなのに、一瞬で世界が変わった気がした。


 「どうだ?俺に文句はあるか?」


 なにも言い返す気はなかった。


 認めたわけではない…


 何を言っても、またイタチごっこの水掛け論が、目に見えていたからである。


 慣れない時間が続いた今の自分に、そんな戦闘体力は、もう残っていない。


 「別に文句はないわ」


 「お前のベースは富士山なんだよ」


 「は?」


 「富士山と言えど、天気の悪い日では、なかなか美しく見えない」


 私を世界遺産に例える和久井こそ、世界遺産ほど珍しかった。


 「だが雲一つない天気のいい日は、遠い他県から見ても、絶景の美しい存在感を放つ」


 「富士山だって星だって、遠く離れた場所から見るからこそ、美しいのよ」


 「捻くれた女だな。富士山や星だって、近くで綺麗な存在感を保つ見方はある」


 「どうやって?」


 「大切な存在として、いつも思い出せるように、ここにしまう」


 和久井が、自分の胸を叩く。


 「今の綺麗なお前は、たとえ離れても、この先ずっと俺のここに居る」


 恋愛小説に出てきそうな台詞を、よく淡々と口に…


 「なんせ俺の読み通りだ。素顔も悪くないが、それは俺だけが見れる特権にしておけ」


 「は?」


 「察しが悪いな。二人きりの時だけって意味だ」


 なんとも独占欲の強い男である…


 既に化粧や服装、言動まで強要されそうになっているのに…


 いや…もうされている…


 彼女になんかなったら、きっと下着の色まで強要されてしまう…


 下着の色?!


 自分の顔が紅潮していくのが分かった。


 トマトが施されたパンツを履いてるなんて、口裂け女になっても言えない…


 せめてイチゴなら…


 とかそう言う問題でもない…


 「化粧なんてしたことないわ」


 「覚えればいいだけの話だ。何でも初めからできる奴はいない。子供が父親とキャッチボールから始めて、野球ができるようになるのと一緒だ」


 認めたくなかったけど、なかなか解りやすかった。


 「それからコレも」


 和久井が、扉の外に置いてあった、大きい紙袋を持ってくる。


 紙袋には、私でも知っている、ハイブランドのロゴが印刷されていた。


 「なにこれ?」


 「勉強道具に見えるか?これは今日嫌な想いを掛けた詫びだ」


 嫌な想い?


 ああ…


 教室での茶番か…


 「もういいわよ。こんなの受け取れないわ」


 「黙って受け取れ。それとも渡したプレゼントを引っ込ませて、俺に恥かかせる気か?」


 「そんなこといちいち考えてないわよ」


 「だったらまず開けてみろ。明日からのお前に必要な物だ」


 仕方なく紙袋の封を開けた。


 紙袋の中には、化粧に必要とされる沢山の道具が揃っていた。


 おまけに香水とハンカチまで入っている。


 「こんなに…やっぱりもらえ」


 「お前は今日から変わったんだ。昨日までは何の変哲もない高校生活を送っていた、窓側の特等席に不釣り合いな、冴えない眼鏡を掛けた、根暗な幸薄女だった」


 悪意しかない物言いである。


 「もう悪口にしか聞こえないんだけど?」


 「まだ話は終わってない」


 まだ言うのか?


 最後まで聞いて、自分のメンタルが耐えられるか心配になった。


 それと和久井もクジ引きで、あの特等席を狙っていたのが、よく解った。


 これぞまさに日頃の行いである…


 ざまあみろ!!!


 「所詮トマトは、コース料理のメインディッシュにはなれない。だがサラダにすればどうだ?ハンバーガーに入れれば、ハンバーグに引けを取らない存在になる」


 ト…トマト??


 トマトが頭から離れない…


 料理のバリエーションを変えれば、メインディッシュにもなれる、そう言う話をしたいんだろうけど…


 けど、トマトと言うキーワードが出てきた以上、そんなことはどうでもいい。


 辺りを見渡して、防犯カメラを探したけど、それらしき物は見当たらなかった。


 「トマト?なんでトマト?」


 まさか…


 本当に隠しカメラで…


 んなわけ…


 「なんで?って今朝のサラダに出てきたのを思い出して使っただけだ。別に深い意味はない」


 有り得ない妄想の誤解が解けて、少しだけ安心した。


 「人も食べ物も一緒で、素材を理解して料理すれば、必ずその中で、栄える存在になれる」


 人も食べ物も一緒…

 の時点で、突っ込みどころ満載だったけど、大人しく聞いた。


 「今日は俺たちが、付き合った記念すべき日だ」


 思わず小さな溜め息が漏れた。


 まだ言ってる…


 この男に、対外的と言う言葉の辞書は、ないようである。


 住む世界の違う、サラブレッドで自信過剰な男の話を鵜呑うのみにするなんて、バナナの皮で滑って転ぶ奴くらいバカである。


 私の頭は、そんなバナナみたいに軟らかくはないはず…


 これは和久井にとっての×ゲームとか?


 絶対になにか裏があるはず…


 辛く痛い思いをするのは、確実に私である。


 和久井と付き合う自信なんて、ある訳がない。


 知らない歌で、ノド自慢に出演するくらい、不安しかない。


 「少しだけ考えさせて」


 「好きにしろ」


 和久井は、想定内だと言わんばかりの表情で、部屋から出て行った。


 頭の片隅で、期間限定の和久井の彼女になることを、考え出してしまっている自分が居た…

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