約束は必ず守る…

ユヒミカ

第1話

 恋ノこのはの狙いは、教室で一番の特等席だと思われる、窓際の最後列だった。


 狙うは、F−7…


 目を瞑り、箱の中で引いたクジを、レース中の馬券のように、祈りながら強く握り締めた。


 運命の一瞬…


 箱から引き抜いたクシャクシャの紙を、恐る恐る広げた。


 ……え?


 うそ?!


 開かれた紙には、小学生みたい字で『F−7』と書かれていた。


 マジ!?



 −−−−−−−−−−−−



 あの時は、狙った万馬券が当たったような気分で、思いっきり叫びたくなった。


 この特等席で、高校生活最後の半年を、誰にも邪魔されず、のんびり過ごすはずだった。


 この隣に座る、疫病神さえ居なければ…


 横目で睨み付けながら、マイクでも拾えないくらい、小さな舌打ちをした。


 人生は、本当に思い通りにいかないことの連続…


 大抵の理想は裏切られ、大半の不安が現実となる。


 「それでは、今日の授業はここまで。このあと放送委員会の放送を聞いてから、昼休みに入ること。午後は冬休み前、最後の学年集会があるから、必ず参加するように。年末年始も近く、気が緩みがちだが、卒業するまで、しっかり高校生としての自覚を持って、生活をするように」


 生徒の間で、マニュアル浜口と呼ばれている担任が、形式的に授業を締め括り、颯爽さっそうと教室から出て行く。


 学年集会など、町内会のラジオ体操くらい、参加したくない行事だった。

 

 放送委員会からの内容は、東京第一高校の伝統行事、ミスター東京第一の発表のはず。

 

 ミスター東京第一は、全校女子生徒の間で、一番人気の男子生徒を決める、真面目に下らないイベントだった。


 近所の商店街にある、ラーメン屋の人気メニューの方が、まだ価値のあるランキングである。


 先日、ミスター東京第一を決めるための、女子生徒による、投票があった。


 私には、ど田舎の市長選くらい関係のない投票だったので、黒板に名前が書かれていた、日直の浅川に投票をした。


 ちなみに浅川は、下から数えた方が、多分早い存在だった。


 教室のスピーカーから、校内アナウンスを告げるチャイムが鳴る。


 『放送委員会です…これより…先日行われた…今年度…ミスター東京第一の…投票結果を…発表します…』


 見たくもなかった映画の、エンディングロールを見せられているくらい、無駄な時間だった。


 そもそも隣に座る嫌いな奴の名前が呼ばれる確率、100%行事が、楽しいわけない。


 既に廊下には、街灯に集う害虫のように、和久井ファンの姿が見えた。


 ミスター東京第一など、抱かれたい俳優ランキングくらい、どうでも良かった。


 『栄えある…今年度の…ミスター東京第一は…』

 

 早く終わらせてほしい…


 こんな、ナメクジが動いているような、じれったい喋り方をしてるのは誰だ…


 見つけたら今度後ろから塩を掛けてやる…


 『三年………S組』

 歌うま王座決定戦の、審査員長にでもなったつもり?


 発表が下手すぎて、余計にイライラした。


 手の届く所に、スピーカーのコンセントがあったら、間違いなく引っこ抜いている。


 『和久井楼真ろうまくんです』


 教室が、盛大な拍手で盛り上がる。


 国民栄誉賞かよ…


 クラスの女子は、バカの一つ覚えみたいに、キャーキャー言いながら、隣の席に座る和久井に、拍手を送っていた。


 この男にとっては、プロ野球と少年野球の勝敗くらい、分かり切った結果だったはず。


 和久井は、この学校で実際に在籍している、アイドルよりも人気のある、アイドルじゃない、アイドル的存在だった。


 学校の女子の大体は、和久井ファンクラブと言う、謎の秘密結社に入っている。


 クラスの女子が、和久井の周囲に、集まり出す。

 

 どいつもこいつも、和久井を射止めようなんて、買っていない宝くじの当選を期待しているくらい、バカげている。


 この学校には、有名人の娘や、女優のタマゴ、アイドルに、モデルまで在籍している。


 もし和久井に、彼女を作る気があれば、まさに時間通りの、昼飯前である。


 『もう一度和久井くんに…盛大な拍手を…』


 校舎が揺れんばかりの拍手に包まれる。


 ワールドカップで、日本がベスト3に残ったような、歓声と祝福だった。


 当の和久井は、他人事のように、ヘッドホンを付けて、タブレットをスクロールしていた。


 『これで…放送委員会による…放送を終了します』

 

 安堵に包まれて、深い息を吐くと、気に障ったのか、一瞬、和久井に睨まれた。


 ヘッドホンを着けてるくせに…


 睨みたいのは、こっちの方である。

 

 放送の終わりを告げるチャイムが鳴ると、続けて、昼休みを告げるチャイムが鳴った。


 早く教室から退散しなければ…


 このチャイムは、今の席になってから、私にとっての、警報でしかなかった。


 恒例となった、和久井ファンクラブの女子が、バーゲンセールの開店時のような勢いで、教室になだれ込んでくる。


 もうこの光景は、慣れたものである。


 なだれ込む勢いは、転売目的で、ブランドショップに並ぶ、外国人にも引けを取らなかった。


 いつもと違ったのは、普段見掛けない、よそ者の女子が、混ざっていたことである。


 足し算のできないバカでも、ゴマを擦りに、祝福しに来ていることは、分かった。


 授業などそっちのけで、扉の前に列をつくっていたはず。


 朝イチで、パチンコ屋に並ぶ客も、顔負けの根性だった。


 コイツらは、他にやることがないの?


 何の栄誉にもならない、ミスター東京第一に輝いた和久井は、多角的な業種に置いて、巨額の富を一代で築き、世界的企業として名を馳せている、和久井GLOBALグローバル経営最高責任者の、実子だった。


 その家族構成は、母親が大物女優、兄が政治家、姉が弁護士と、まさにドラマのような設定の、笑えるキャスティングが揃っている。


 おまけに首都圏トップクラスの成績である和久井は、ドラフト一位指名で、既に名門大学への進学が噂されている。


 もう脚本家が描いたような人生だった。


 「和久井くん!おめでとう!」


 柴犬のような髪色、アラブ石油王のような肌の色、カメレオンのような目の色、腹巻きのような靴下を履いた連中は、同じ国の同じ性別だとは、とても思えなかった…


 いや…

 思われたくなかった…


 いつの間にか和久井の周囲には、アイス棒に群がるアリのように、女子が集まっていた。


 相撲取りのような尻に、机が窓際まで押し出されるのは、カップラーメンが出来上がるより、早かった。


 「和久井くうん」

 ビジュアルだけで勝負する、売れないアナウンサーが出すような甘えた声は、熱帯夜に耳元で飛び回る蚊のように不快だった。


 食べてくれるはずのない弁当箱を差し出すバカや、勝手に隣に来て、写真撮影を始めるバカまで居た。


 今日は、お祭り騒ぎである…


 和久井の写真で作られた、手作りのウチワを、必死に振っている大バカ野郎を見た瞬間は、さすがに吹き出した。


 「ゴホンッ」


 ピストルを構えた刑事のような目で睨まれたので、咄嗟に咳払いをしてごまかした。


 次は、マシンガンでハチの巣にされる恐れがある…


 こんなところでバカにして笑えば、校内の8割を敵に回すことになる…


 武装無しで戦場に乗り込むようなものだった。


 こんな少女漫画みたいな場所では、ゆっくり昼食も取れない。


 和久井は、視界に入っているはずの、目障りな集団を前にしても、一切反応しなかった。


 和久井にとってのファンクラブは、道端に生える雑草の傍に放置された、犬のフンみたいな存在なのね…


 和久井が、ファンクラブに対して一度も反応をしたことがないのが、その答えだと思った。


 その無関心さを、クールだのカッコイイだのと喚く女子を見る度に、タライを頭に落としてやりたかった。


 ファンクラブに向かって『バーカ!』と心の中で叫び、席を立とうとした時だった。


 「いい加減にしろ」


 和久井が、ヘッドホンを外す。


 同じクラスになって約8カ月…


 和久井がファンクラブに反応したのは、初めてのことだった。


 これまで鎌倉大仏みたいに動かなかったから、本当に仏ではないのかと、思ったこともある。


 そんな和久井の堪忍袋の尾が、ついに切れたのだ。


 今後の動向と展開が気になった…


 月9ドラマの最終回くらい気になる…


 どうしよう…よし…


 悟られぬよう、数センチ上がった腰を、スローモーションで椅子に戻した。


 「俺には好きな女が居る。だから俺の周りを、ウロチョロするな」


 ここで場内にホイッスルが鳴り響く!


 早かった…


 実にあっという間の決着だった!


 ファンクラブが、ロスタイムで点数を取られた、ネット裏のサポーターのように崩れ落ちる。


 できることなら声を出して!指を差して!腹を抱えて!笑ってやりたい!!!


 拍手喝采です…

 万々歳です…


 ファンクラブの完敗です!

 私は祝福の乾杯です!


 これで心置きなく、いい気味で昼食に行ける。


 …ん?


 好きな女?


 こんなお宝ニュースは、お年玉袋の中身くらい気になる。


 隣のクラスの有名な雑誌モデルか?

 隣の隣のクラスの女優のタマゴか?

 隣の隣の隣のクラスのアイドルか?


 それとも…


 どこかに隠れ潜んでいるプリンスか?


 まあいい…


 誰であろうとファンクラブには、ざまあみろの話である。


 和久井の好きな女も気になるけど、今は食堂で買った日替わり弁当の中身の方が、正直気になる…


 もうこの場所に用はないわ。


 ここまでくれば、ファンクラブの存在など、ナノレベルよ。


 「こいつだ」


 腰を抜かしているファンクラブに、渾身の『ざまあみろ』を、心の中で浴びせた。


 その瞬間、誰かに腕を掴まれた。


 は?

 なに?!

 うそ!?


 もしかして『ざまあみろ』の声が?


 掴む腕の主を辿ろうとすると、無理やり腕を引っ張られた。


 気付くと座っていたはずの椅子は、和久井の膝の上になっていた。


 え???


 腰に腕が回り、更にグッと引き寄せられる。


 ※プチュン


 フリーズ…


 70億分の1の確率を引いたことで、思考の電源は落ちた。


 辛うじて意識はある。


 生きたまま棺桶に入れられたような気分…


 「分かったら、俺の前から3秒以内に消えろ。正直言うとハエより目障りだ」


 上流家系で育っているとは、とても思えない発言が、薄らと聞こえてくる。


 ハエ…?


 なるほど…

 群がっていたのは、アリ…じゃなくてハエだったか…


 まさか道端に生える雑草の傍に放置された犬のフンが…


 和久井本人だったとは…想定外である。


 いずれにしても、ハエが電源ボタンに止まってくれたおかげで、再び思考のチャンネルは、現実に切り替わった。


 棺桶から…じゃなくて現実に戻ると、ハンカチで涙を拭う子、放心状態の魂が抜けた子、なぜか睨みつけてくる子、葬儀場…じゃなくて教室は、一瞬でカオスと化していた。


 丸一日寝てて、起きた時くらい、まだ頭が朦朧もうろうとしていた。


 悪いことをした覚えはない!

 けど良いことをした覚えもない!


 罪悪感と優越感が混ざったような、複雑な気持ちである…


 皆!

 暗い顔してないで元気出してよ!


 なんて口が裂けても言えない…


 今はおしゃぶりを咥えさせられた赤ん坊のように、大人しくしていよう…


 いーや!


 待て…


 ここは和久井の劇団に付き合うべき?


 これまで溜まった鬱憤うっぷんを晴らすには、絶好のチャンスである。


 散々ダメージを食らった後、ノーガードの相手に、好き放題ストレートを打ち込めるくらい、大チャンスよ…


 今まで沢山の迷惑掛けられたし…


 設定は?

 実は幼馴染み?


 それとも…


 どんな役を演じようか模索していると、和久井ファンクラブは、三日月型に丸まった老婆のような背中で、次々と教室を出て行った。


 あ…


 待ってくれえ!!!

 腕を伸ばして引き止めようか迷った。


 「おい」


 これぞまさに目と鼻の先…

 振り向くと、和久井の顔がそこにはあった。


 頬っぺたが、赤信号に変わる。


 「いつまで乗っているつもりだ?」

 

 朝宮は、終着駅で降りようとしない客を、注意するくらい冷たかった。


 「あ…ごめんごめん…」


 会話をしたのは、初めてである。


 引っ張られた拍子に、ズレた椅子を足先で直し、何事もなかったかのように、席に座り直した。


 え???


 自分に対する視聴率は、100%だった。


 振られたギャグに応えて、誰一人としてウケなかった時くらい恥ずかしい…


 完全にもらい事故である…


 冗談じゃないぞの話だ…


 クラウチングスタートを取ろうか迷った…


 この場から今すぐ逃げ出したい…


 そうだ!!

 屋上へ行こう!!!


 「待て」


 鞄から日替わり弁当を取り出して、走り去ろうとした時に、弁当を奪われた。


 給料袋並みに大事な物が…


 和久井が、宙で弁当を持ち替えて、手の届かない距離まで遠ざける。


 「なにすんのよ?」

 不良漫画に登場する、主人公に成り切って睨み付けた。


 「面白い顔のレベルが更に上がったな」


 くそ…

 どう考えても、元々面白い顔って意味である…


 「決めたことがある」


 まさか…

 私の弁当を…

 

 「今年のクリスマスはお前と過ごす」


 なんだ…

 クリスマスか…


 は?

 

 この男は一体なにを言ってんの?


 「聞いているのか?」


 「は?」

 苛立ちで、顔が引きつっているのが、自分でも分かった。


 「聞こえなかったのか?」

 何でも当たり前のように、上から来る態度が、許せなかった。


 「聞こえてるから『は?』って返してんの」


 「意味が分からないなら教えてやる。俺と居れば楽しい幸せな時間になる」


 どこからその自信が溢れるのだろうか?


 「遠慮しとくわ」

 逆上のぼせ上がるなと思い、鼻で笑ってやった。


 「更に、生まれてきたことを、幸せだと思わせてやる」


 生まれてきたことを、後悔したと言った覚えはない…


 実に不愉快だった…


 『ふざけんな』の話である…


 「私のことバカにしてんの?」


 「バカにする理由はない。と言うより、もともとバカをバカにしても意味がない」


 完全にバカにされている…


 正面から立てられた中指は、天狗になっている鼻と一緒に、へし折ってやるしかない…


 「もう一度言う。クリスマスは、お前と過ごす」


 「私はあなたとクリスマスは過ごさない」


 「なんでだ?」


 「なんで私がそんな面倒くさいことしなくちゃいけないのよ」


 「面倒くさい?どの辺が面倒くさいんだ?」


 分かりやすく溜め息を吐いた。

 

 もはやその返しが、動画の途中で入る広告くらい面倒くさかった。


 「逆の立場だったらどうなのよ?今日初めて喋った相手に、こんなこと言われたら?」


 「バカだな。断るに決まってんだろ」


 バカにされていると言うよりは、ケンカを売られている…


 「だったらそれが答えじゃない」


 「だが俺がお前で、お前が俺だったら、俺はお前の言葉を受け入れる」


 『俺』と『お前』が多過ぎて、話の内容が一瞬では、理解できなかった。


 「どう言う意味?」


 どうせまたバカにされるに違いない…


 「物事には必ず大小のメリットとデメリットがある。人はその両方を天秤に掛けて、善悪や損得で行動する」


 「なにが言いたいのよ?」


 遠まわしな、回りくどい言い回しに腹が立った。


 「俺との時間で、起こり得るメリットとデメリットを、天秤に掛けてみろ」


 何様のつもりよ…


 「三日三晩徹夜して考えても、デメリットしか出てこないわ」


 和久井の眉間にしわが寄った。


 「なるほど…そうかそうか…お前の考えは良く分かった」


 やっと引き下がってくれた…


 あとはアフターメンテナンスをすれば、万事解決である。


 「喜んで受け入れる子なんて、ちぎった消しゴム投げれば当たるくらい、沢山居るわよ」


 和久井が呆れたように溜め息を吐く。


 溜め息を吐きたいのは、こっちの方だった。


 「お前は今日から卒業するまで俺の女だ」


 ……………


 いやいやいや……


 バカ過ぎる発言に、思わず苦笑した。


 人の話を聞いていたの?


 しかも女って…彼女?


 それも卒業するまでの期間限定?

 

 レンタル彼女の面接を受けた覚えはない…


 「お前に負担や苦労は掛けないって約束する」


 相手の事を考えない傲慢ごうまんな人間が、自分勝手を、突き通す時の常套じょうとう文句である。


 「その内容が、もう既に負担や苦労でしかないってことを分からないの?」


 「俺は必ず自分の言葉に責任を持つ男だ」


 「だからクリスマスも彼女も他を当たってって言ってるでしょ!」


 思わず声を張り上げてしまい、視聴率が200%まで伸びてしまった。


 教室の開いたドアの向こうには、人だかりができている。

 

 どさくさに紛れて、スマホを向けている非常識な奴まで居た。


 参った…


 こんなやり取りの動画を、SNS上に上げられでもしたら…


 「話の解らない女だな」


 「それはこっちの台詞よ。私じゃなきゃダメな理由はないでしょ?」


 こうなったら、説得するしかない…


 「別にファンクラブを追い払うために利用したわけじゃない。だから悲劇のヒロインを気取るな。お前じゃなくてもいいなら、最初から存在しない架空の女を、でっち上げてる」


 和久井の言う通り、もしただ相手をつくるためなら、他にいくらでも方法はある。


 だったらなぜ…


 「じゃあ聞くけど、私じゃなきゃダメな理由ってなに?」


 「お前に興味があるからに決まってんだろ」


 な…

 なにを…


 こんな恥ずかしい台詞を公衆の面前で…


 騙されるな…恋ノ葉…


 「成績はあんたよりバカかもしれないけど、人間としては、あんたより劣ってないわ」


 「お前は何の話をしてんだ?」


 「あんたの下らない茶番劇に付き合ってあげたのは、私の方でしょ?まずお礼を言うべきじゃなくて?」


 もう自分でも、何を言ってるのか、分からなかった…


 「お礼?さっきの話か?」


 「他にあるなら聞きたいわ」


 「お前は何もしないで俺の膝の上に座っていただけだろ。三流以下の大根役者にも程がある。あれじゃあ、せいぜい舞台の端に立つ木だな」


 くそ…


 興味があるなんて、とてもじゃないけど、思っていない発言である。


 「その三流の大根役者の木に頼ることでしか、あの状況を回避できなかったのが、あんたでしょ?」


 鼻で笑いながら、右手を差し出して、弁当の返納を要求した。


 「別に頼ったつもりはない。ただ一つだけ教えてやる」


 和久井は至って真剣な表情だった。


 「お前がただの木なら、俺はその木を根っこから支える土の中の栄養になってやる。お前がただの木なら、俺はその木が倒れないようにバランスを取る枝になってやる。お前がただの木なら、俺はその木に美しい花を咲かせる花咲か爺さんになってやる」


 ………


 え??


 笑いを取りに来てるの?


 笑った方がいいの?


 ん??

 それともまさか本気で言ってるの?


 だとしたら…


 それが一番笑える話である!


 「なにがおかしい?お前は俺のことを何も分かっていないようだな」


 「つい数分前に初めて喋ったのよ?」


 「そんなことは言われなくても分かってる」


 「だったら分からなくて当たり前じゃない」


 「残念だが、俺の方はお前のことをよく知っている」


 もうよく解らない…


 頭の中がシェイクされ過ぎて、目が渦巻き状態だった。


 さっきから言っていることが、お互い無茶苦茶で、会話になっていない気がした。


 和久井も普段から頭を使い過ぎているせいで、正常な機能を失っているのね…


 「私はなにも知らないわ」


 「これから知ればいいだけだ」


 「さっきから無茶苦茶だけど、本気で私を期間限定の彼女にしようとしてるの?」


 雨が下から上に上がるくらい、有り得ないことを聞いてしまった。


 「ギャグと冗談は言わない主義だ」


 花咲か爺さんの下りは、完全にギャグである。


 思い出して笑いそうになった。


 「だからさっきから、なにがおかしい?」


 「別に」


 「俺の混じり気のない、透き通るように真剣な眼差しをよく見ろ。嘘は言わない」


 剃刀のように切れ味鋭い思考…

 突発的問題でも瞬時に対応する柔軟性…

 首都圏トップクラスの成績…

 校内でのアイドル的存在…

 自信過剰で傲慢な性格…

 否定から入って人を見下す言動…

 自分勝手で…


 和久井の分析が、頭を駆け巡ったけど、途中から悪口になってきたので中断した。


 「透き通っているようには見えないわ」


 「そうか…濁っている目では、さすがに見えなかったか」


 この男は…


 くそ…


 挑発に乗るな…


 まともにイラついてたら思う壺である…


 「今日の放課後、一緒に帰る」


 「は?」


 「聞こえないなら、放送室のマイクでも使うか?」


 アナウンスでこんな話をされたら、緊急地震速報より、校内がパニックになってしまう。


 もう今の段階で、校内のネタになるのは、間違いなかった。


 「聞こえてるわ」


 「だったら同じことを言わせるな」


 当たり前のように吐き捨てると、ようやく弁当を返してきた。


 腹が減っていたわけではないみたいね…


 和久井は本気なのか?


 そうなると、私が買っていない宝くじを、当ててしまったことになる。


 いやいやいや…


 これと言って、飛び抜けた取り柄もないし、鏡は見たことあるけど、化粧はしたこともない。


 彼氏なんて、できるできないじゃなくて、作ろうと思ったこともない…


 そもそも和久井の彼女になることを夢見るバカどもを、アフリカ砂漠で、雪が降るのを待つくらいバカな連中だと、本気で思っていた…


 だから信じがたい…

 って言うかこんな展開信じられるわけが無い…


 「じゃあ放課後な」


 和久井が右手を上げて席を立つと、声を張り上げた。


 「それから動画を回してるバカが何人か居たな?法律を並べるつもりはないが、端末の発信源から所有者を特定するくらい、その道のプロなら、免許証を現場に落とした泥棒を捕まえるくらい、簡単だって事を忘れるな」


 和久井は、SNSに上げる前に、今すぐ撮った動画を消せと言う意味を、はっきりと込めて、教室を出て行った。


 全然解らない…


 なぜ自分が?


 いきなり総理大臣に指名されたような気分である。


 まさか…

 最近流行りのドッキリ…


 んなわけ…


 まさかこんな内容で、頭を悩ませることになるとは…


 深い溜め息を吐いて閃いた。


 そうか…


 悩まなければいいのか…


 本気と捉える分だけ、馬鹿を見るという結論を見出し、開き直って教室を出た。


 俗に言うヒソヒソ話を、教室でも廊下でも、されていたけど、深夜番組で、嫌いな芸人ランキングが紹介される、クソつまらない番組くらい、気にならなかった。

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