―夢―
「おまえ、大人になったら何になんの?」
そう聞かれた時、何と答えただろう。そんなに前の話ではないのに、遠い記憶を探るように考えた。確か、他の子は医者や侍などと言っていた気がする。国長なんて大それたことを言う子もいた。
――あの時、自分は何と答えただろうか。
「おーい! 隠れん坊するぞー!」
神社の境内で一人の子供がそう言った。彼は子供達の中ではまとめ役みたいな存在で、彼を中心に皆が集まり出す。
褐色の肌をもつ子供達は見るからに健康そうで、彼らが飛び跳ねる度に、白銀色の髪が綿毛のように揺れた。その楽しそうな様子を植え込みの影から見ていた幼子は、意を決して彼らに近付いた。
「ぼくもいれて」
躊躇うように言った彼を、子供達が困った顔で見た。中には嫌悪感を露わにしている子供さえいる。彼の姿は酷く貧弱で、肌は青白く、着ている着物は粗末だった。
「寄るな、
一人の子供が叫んだ。言葉の意味が分からずに幼子が首を傾げると、今度は別の子供がおずおずと言う。
「お前、
「そう……なの?」
だから自分はいつも叱られてしまうのか、と眉を下げた。今まで、どうして皆に殴られるのか分からなかったのだ。では、彼らの仲間にも入れてもらえないのだろうか。幼子は輪の中心をじっと見つめた。
「この子も入れてやろうぜ」
視線に気付き、まとめ役の子供がそう言った。他の子供達は顔を見合わせたが、彼の言葉は影響力が強いらしく、やがて異存は無いと頷き合う。その様子に幼子の表情は輝いた。
まとめ役は、何故か仲間を一人一人呼び寄せて耳打ちをした。その間、自分を捉える彼らの目に居心地の悪さを覚えたが、最後には皆と同じように、彼も輪の中心に呼ばれた。
「お前が鬼だよ。俺達、隠れるのが得意だから一生懸命探すんだぞ」
皆には何と伝えたのだろう。気になりはしたものの、自分も耳打ちをしてもらって安堵した。大きく頷いて笑顔を向けると、彼もまた笑顔を返してくれた。だから、頭に浮かんだ疑問は忘れることにした。
どれくらいの時間が過ぎただろう。夜の
夢中で子供達を探す彼を、屋敷の女中が迎えに来た。彼女は目をつり上げ、何やら喚きながら彼の頭を拳で殴った。詰られていることは分かるが、理由が分からない。殴られる痛みと恐怖に、しゃくりを上げて涙した。そして見たのだ。引き摺られて屋敷に戻る途中、涙と鼻水に汚れた自分を、顔を腫らして物のように扱われる惨めな自分を、子供達の中心にいた彼が眺めているのを。その顔は笑っていた。
屋敷に帰った幼子は虚無感でいっぱいだった。そんな彼を、女中はさらに詰り、殴った。
「止めんか!」
突然、威圧的な声が彼女を制した。声を発した初老の男は、逃げるように走り去る女中に一瞥をやると、人好きのする笑顔を見せた。冷たい目を向け、時には暴力を振るう屋敷の者達の中で、この男一人だけが幼子に優しかった。
「ほら、菓子をやろう」
貰った菓子を手にし、幼子がちらりと彼を窺うと、男は食べろと微笑み、自分の膝に彼を乗せてその頭を撫でた。羽が触れるような感触に安堵を覚え、幼子は力を抜いて体を彼に預ける。すると間もなくして、男の動きに変化が現れた。髪の表面に触れていた指に段々と力が加わり、地肌にまで這わせる。
「きゃっ」
舐めるような手つきに気を取られていた幼子が、突然、尻を掴まれて悲鳴を上げた。身を捩って逃れようとするも、男は下肢にまで手を伸ばし、浴衣の上から幼子の陰部に触れる。彼は怯えて男の顔を見上げたが、目の当たりにしたのは、世にも
男は目を血走らせ、息を弾ませていた。
幼い彼には、卑猥な行為の意味など見当もつかない。ただただ恐ろしかった。そして悟った。裏切られたことを。騙されて嵌められても、殴られた時でさえも感じなかった怒りが体を駆け巡る。 腹の底から熱湯のように込み上げてくる物を抑えきれず、気付くと狼の姿になって男の喉元に噛み付いていた。
怒り狂った男は幼子を床に叩きつけると、術を使って彼の姿を狼のまま留め、厩舎に放り込んだ。
「この生口! 恩知らずの混血めが! ここで皆にいたぶられて最期を迎えるがいい!」
少なからず、これまでは権力者である男の目があったため、幼子への暴力は控え目に行われてきた。だが、その男が見捨てたとなれば、彼に手加減をする者は誰もいない。その後、彼は、水も食料もろくに与えられない中で、粛正の名を借りた、息抜きと八つ当たりの対象となった。
ある日、度重なる暴力と飢えで意識が混濁する彼の耳に、数人の男達が言い争っている声が聞こえた。しかし、その内容までは聞き取れない。浮いたり沈んだりを繰り返す不安定な意識の中、ぼんやりとだが、誰かに抱きかかえられている、ということは分かった。
耳元で男の声が呟く。
「小僧、お前はここに居てはならん。この地を出て、人として生きろ」
その言葉を聞いたのを最後に、幼子は完全に意識を手放した。
*
「おまえ、大人になったら何になんの?」
そう聞かれた時、自分は何と答えただろうか。そんなに前の話ではないのに思い出せない。遠い記憶を探るように考えた。
(あ……そっか……)
嗚呼、分かった。思い出せないのではない。答えていないから記憶が無いのだ。だって、自分はあの輪には居なかったのだから。彼らが話しているのを、いつものように物陰に隠れて聞いていただけなのだから。
(ぼくは一人ぽっちだ)
れん。
(だれもしんじられない)
蓮。
(でもさびしいの。さびしいよ……)
「蓮」
鮮明になったその声と共に、意識は急激に浮上した。
「起きて、蓮。もう直ぐ年が明けるよ」
月下の、少女のわりには低くて落ち着いた声が蓮の胸に響く。
(ゆ……め? 僕、夢を見ていたの?)
汗を滲ませる蓮の額に手を添え、月下が首を傾げる。
「怖い夢でも見た?」
彼女に心配をかけまいと
「除夜の鐘だよ」
その鐘の音と同じくらい、穏やかな月下の声を聞きながら、蓮は鼻歌をうたった。外れた調子でうたうそれは、彼女が彼に教えてくれた“たんたかたんの唄”だ。彼にとって、この唄は歓喜の唄だった。
そう、これは歓び。
千切れそうだった心はゆく年に残し、くる年を彼女と共に迎える喜び。
やがて、どこからか花火が上がる。新年を迎えた合図だ。
「新しい年を元気に迎えられて良かった。今年もよろしくね、蓮」
月下が蕩けるような優しい笑顔を蓮に向けた。その笑顔に心を溶かしながら蓮は思う。
(僕の夢は……)
貴女と、貴女の大切なものを護ること。
――新しい年、おめでとう。
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