シーン1 派遣カップル始めました その3
で、いろいろわかったうえで今自分が置かれている状況を整理してみると、だ。
……つまり、こういうことか? ここは芸能事務所と名乗ってはいるが、いわゆる映画やらドラマやらの普通に想像するようなメディア向けのお仕事はしてなくて、その代わりにカップルを派遣するとかいうわけのわからない活動をしている、と……?
さっきの所長の話を聞く限りでは、残念ながらそうらしい。そして、俺はそんなところに、ロクに仕事内容も確かめもせず足を踏み入れてしまったということで――
「……すいません。俺、帰ります」
「ちょっ!? おいおいおい! ちょっと待ってよきみー!」
その事実に気づいた俺はすぐさま立ち上がり踵を返したが、その瞬間所長に後ろから抱きついて引き留められた。
「もう契約もしたっていうのに、なに帰ろうとしてるんだいきみはー!」
「それは本当に申し訳ありませんでした! 勘違いした俺が全面的に悪いのでそこは謝ります! でも俺は、普通に役者として現場の仕事ができると思ってたんですよ! それで演技力も身につけられるとですね!」
「だからそれは大丈夫だってばー! むしろこっちの現場はリハもなければカットもない一発勝負のマジモンなんだから、そこに放り込まれた方がよっぽど訓練になるってー!」
「カップル派遣とか意味不明なことしてて、そんなの期待できるわけがないじゃないですか! お騒がせしました!」
……早とちりした俺が間抜けだったってのは弁解の余地もないが、だからってこんなわけのわからない仕事なんてできるか! 冗談じゃない!
俺は必死に逃れようとするが、所長もまた放すまいと力を緩めない。そうしてしばらくの間「ぐぬぬ……!」「うぎぎ……!」と俺達がもみ合う声が事務所に響いていたが、
「…………っ!?」
次の瞬間、ふと視界にあるものがよぎって、俺は不意に動きを止めた。
「お!? 考え直してくれたのかいきみー!?」
所長は俺に抱きついたままそう言うが、俺は答えなかった。
なぜなら、俺は壁に飾られたある人物の写真に釘付けになっていたからだ。
「こ、これ……! これは霧島
そう、その写真とは、俺が憧れてやまない俳優・霧島公平のものだったのだ。
わずか二十歳の時に日本アカデミー賞の主演男優賞を獲得した若き天才俳優。
彼の演じる役はどれも素晴らしくて、まさに俺が目指すべき俳優像そのものであり、雲の上の存在と言っても過言じゃない人だ。
そんな人の写真が事務所内に無造作に飾られているのを発見し、俺は驚いた。
しかもその写真はこれまで見たことのないもので、ポスターとか写真集から切り抜かれたものだとは思えなかった。なんでこんなものがここに……!?
「おや、鳴瀬くんはそいつを知ってるのかい?」
「知ってるなんてもんじゃないですよ! 俺の憧れの俳優です! というか、俺がオーディションを受け続けてるのも、この人が理由なんですよ!」
「うん? どういうことだいきみー?」
「俺、どうしても
「ほーほー、なるほど、そうことだったのかー。普通養成所ってのはビジネスのためにできるだけ人を集めようとするんだけど、あそこ――シノプロは意識高いからなー。養成所といってもほぼ本採用と同じような扱いだし、だからオーディションも回数は多いけど数は絞りに絞るんだよねー。まあ、そのぶん実績もすごいんだけどもー」
所長は俺の話を聞いて、腕を組みながらうんうんと納得するように頷いた。
「つまりきみはうちで働きながら、シノプロの養成所のオーディションに受かるくらいの演技力を身につけようと思っていたわけだねー」
……ま、まあ、ここも芸能事務所だから? あわよくばここからデビューなんて打算的な考えが一瞬も頭をよぎらなかったかと言われればウソになるけど……。
でも基本的にはその通りで、本物の芸能事務所のレッスンを受け、現場での経験を積むことで演技力を磨き、実力で養成所に受かってやろうって気構えだったんだ。……が。
「そうは思ってたんですけどね、まさかやってることがカップル派遣なんてものだったとは……。どうも俺の早とちりだったようで、この話はなかったことに……」
「だから待ちなさいって。そういうことならきみがうちを選んだのはまさに運命だよー。なにせきみの憧れの霧島公平も、実は昔うちで派遣カップルしてたわけだから」
「え!?」
俺はその一言に、弾かれたように振り返った。
「この写真が、まさにその証拠だよきみー。ってか、うちってもともと私と公平の姉弟で始めた事務所だしねー」
「は!? きょ、姉弟!? どういうことですか!?」
「どういうこともなにも、私は公平の姉だよきみー。ほら、苗字が一緒でしょー?」
あっけらかんと言う所長に、俺は思わず言葉を失ってしまった。
……いや、まさか、そんな……!?
た、確かに、所長の名字が霧島公平と同じ『霧島』だってことは気づいてはいたし、そもそもこの事務所の名前に霧島と入ってることだって意識はしてた。
実のところ、俺がここにとりあえず足を運んでみようと思った最後の決め手になったのも、その霧島という名前だったんだ。
憧れの俳優と同じ苗字。でもだからって、そこが霧島公平と関係があると思うほど、俺は単純じゃない。どうせ単なる偶然で、そんなことあるはずないじゃないかと思いつつ、ある意味願掛けのようなつもりで訪ねてきたのだが――
……ま、まさか本当に関係があっただと!? しかも所長が霧島公平の姉!?
い、いや、それもスゴいことだけど、でもそんなことより……!
「き、き、霧島公平がここで働いていたっていうのは……!?」
「本当のことさー。あいつはここでの仕事を通じて演技力を身に着け、それからシノプロに入ったんだよねー。つまり、あいつが天才俳優と呼ばれるようになったのもうちでの仕事のおかげってわけだよきみー。そういうことだからきみも是非――」
「是非ここで働かせてください! 派遣カップルでもなんでもします!」
「……うん、見事な180度回転だねー。そういう現金なところ、私は好きだよきみー」
俺は所長の手を握りながら、思いっきり前のめりになってそうましくたてた。
なんか若干引かれたような気もするが、そんなことはどうでもいい。
……まさか、まさかあの霧島公平も昔ここで働いていたなんて……!
偶然とはいえ俺がここにやって来たのは、まさに運命じゃないか!
「そ、それで、派遣カップルって具体的に何をすればいいんですか!? 俺は一体どういった役を演じれば!? あ、そういえば所長は霧島公平のお姉さんなんですよね? さ、サインとかお願いしてもいいですか!?」
「鳴瀬くんってテンション上がると突っ走る系のキャラなんだねー。まあそっちの方が扱いやすいから、私は嫌いじゃないよきみー」
まーまーと興奮する俺をなだめて、所長は再度ソファへと座るよう促す。
そうして棚からファイルを一つ取り出すと、それを広げながら説明をし始めた。
「派遣カップルの仕事はさっきも言った通り、カップルを必要としている人のところにいってその役を演じることだよきみー。うちは依頼主のニーズに応じて、いろんなタイプのカップルを派遣するってわけだねー」
「いろんなタイプ、ですか?」
「そう。カップルと一言でいってもいろいろあるんだよきみー。まあその時々の人員によって変わってくるんだけど、今うちが派遣できるのは王道の高校生カップルから大学生や社会人のカップル。他には百合カップルとかオタクと美女カップルとか」
「ゆ、百合カップル? オタクと美女……?」
所長の指さすファイルに目を落とすと、そこには派遣可能な種類のカップルリストがあって、他にも『オネショタ』とか『合法ロリ』とか『美少年(小動物系)』とかいう怪しい文字が並んでおり、俺はどうリアクションしていいかわからない気分になった。
「ほら、いろいろあるでしょー。それだけニーズが多様というわけだよきみー。まあ、私もこの仕事を始めてから知ったわけなんだけど、世間は広いねー」
……広いというかディープって感じがするが……、それはともかくだ。
「それで、俺は一体どんなカップルを演じればいいんですか!?」
霧島公平がここで演技力を磨いたっていうのなら、怯んでなんていられない。
憧れの人と同じ経験ができるなんて、こんな幸運は滅多にないんだからな!
「いやー、それなんだけどねきみー」
だが俺の熱意とは裏腹に、所長は微妙な笑みを浮かべる。
「きみが入ってくれたのはいいんだけど、よく考えてみれば今きみとペアを組めそうな人がいないんだよねー。うちはカップル専門だから、一人じゃどうしようもないし」
「え……? じゃ、じゃあ俺はどうすれば?」
「もう一人誰か見つかるまでは、とりあえず待機ってことになるかなー」
「そんな!? それじゃ意味がないじゃないですか! せっかく演技力を磨けると思ってたのに……! そ、そうだ! 緊急で人員募集とかかけられないんですか!?」
「おいおいバカ言っちゃ困るよきみー。そもそもうちは一般で募集とかかけてないんだよねー。うちの所員は全員、私がピンときて直接スカウトした人だけなんだよきみー」
「じゃあ、所長がまたスカウトに出て……」
「そんなピンとくるような人がそこらにホイホイいるわけないよー。きみを見つけたのだってほぼ偶然で、しかも数カ月ぶりにやっとゲットできた逸材だっていうのにさー」
……い、逸材? そんなこと初めて言われた。すげーうれしい……!
って、今はんなことでのぼせ上がってる場合じゃなくて。
「そ、それじゃ俺はどうすれば……!」
「そうだねー。……あ、じゃあこんなのはどうかな? きみ一人で彼女といるつもりで演技するんだよ。名付けて『エア彼女カップル』」
「ただの悲しいやつじゃないですか!? さすがにそんなニーズないでしょ!?」
「うーんダメかなー。じゃあ美少女フィギュアとデートする『二・五次元カップル』っていうのは――……おや?」
とその時、所長が俺の尊厳をガン無視したような提案をしていると、ふと何かに気づいた様子で事務所の入り口の方へと顔を向けた。
なんだ? と思い、俺もそれにつられて振り向く。するとそこには会話に夢中で気がつかなかったのか、いつの間にか一人の少女が立っていた。
「おっと申し訳ないねー。もしかしてお客さんなのかなー?」
所長が立ち上がって近寄ると、その少女は「あ、はい」と頷いた後、ふと視線をこちらに向けて俺の存在に気がついた。
そうして目が合った瞬間「あっ!」と俺の口から驚きの声が飛び出た。
というのも――
「ひ、比奈森さん……?」
そこに立っていたのは、俺と同じクラスの女子生徒である比奈森
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