シーン1 派遣カップル始めました その4

「え?」

 比奈森さんは最初、俺の言葉にキョトンとした顔で首を傾げていた。

「あ、えっと……、鳴瀬くん、だっけ? こんなところで会うなんて、なんか奇遇だね」

 だがやがて俺がクラスメートだと気がつくと、比奈森さんも驚いた様子ながらそう言ってニコリと笑った。その笑顔が突然で、俺は思わずドキリとしてしまう。

「おやー? なんだ鳴瀬くん、もしかしてこの子を知ってるのかいきみー?」

「え、ええ、同じ学校のクラスメート……です」

 所長の質問に、俺は少し言葉に詰まりながら答える。

 ただ、俺は比奈森さんのことについてはほとんど何も知らない。

 同じクラスになったのは二年生になってからだし、会話を交わしたこともほぼない。

 知っていることといえば、あんまり目立たないけど誰とでも垣根なく接する人当たりのよさと、いつも柔らかな微笑みを浮かべているといった印象くらいだ。

 ようするに、文字通りの『単なるクラスメート』だ。

 お互いに、高校生活を同じ教室で過ごしているという以外では何の接点もない関係。

 ……だったはずなんだけど、

「ど、どうして比奈森さんがここに?」

 まさか、こんなところで出会うとは思ってもみなかったので、俺はもちろん困惑する。

 しかしその時、所長が間に入ってきて「まーまー」とお互いを制し、

「クラスメートとこんなとこで偶然バッタリとなったら驚くのは無理ないけどさー、どうやら彼女はお客さんとして来たらしいじゃないか。まずはちゃんと応対しないとねー」

 そう言って、比奈森さんに事務所の奥へどうぞと促した。

 比奈森さんがテーブルを挟んで俺の対面にあるソファへと座ると、所長は俺の隣に腰掛けて比奈森さんと向かい合った。そうして軽く会釈しながら、

「いやー、どうもはじめましてー。私がここ霧島芸能事務所の所長をやってる霧島祥子です。以後お見知りおきをー」

 と、やっぱりダルダルな雰囲気のまま挨拶をした。客を前に、いいのかそれで。

「あ、はじめまして。私は比奈森優衣といいます。桜凛学園の二年生です」

 だが比奈森さんは、そんなナメた態度の所長に対して礼儀正しく頭を下げた。

「いやー、ご丁寧にどうもー。それでお客さんということだけれども、今日はうちに仕事の依頼をしに来なさったってことでいいのかなー?」

「はい。そうです」

「ふーん……」

「……あの、どうかしましたか? 私の顔に何か付いてますか?」

 なぜか所長は興味深そうな顔で、比奈森さんのことをまるでなめるようにジロジロと見つめている。ますます失礼なことこの上ない。

「あ、そんなことないよー。ごめんねー、うちに直接訪ねてくるお客さんってのが珍しくてねー。しかもそれがこんな可愛い女子高生となると、いよいよレアでねきみー。まーそれはいいとして、今日はどんな依頼でいらっしゃったのかなー」

「あ、はい。それは……」

 比奈森さんは頷いて所長の質問に答えかけたが、その瞬間チラリと俺の方を見た。

「あ、ごめんごめん、横にクラスメートがいたんだったねー。でも安心していいよー。この鳴瀬くんは、何を隠そううちの所員だからねー」

 そんな比奈森さんに、所長は俺の肩をバシバシ叩きながらそう言った。

「え? 所員って、ここは芸能事務所なんですよね? ということは、鳴瀬くんって実は芸能人だったの? すごいね」

 すると比奈森さんは、そう言って俺へ尊敬するような眼差しを送ってきた。

「い、いや、所員って言っても、俺も今日入ったばっかりだし……。そ、それに俺はちょっと演技の経験があるってだけで、芸能人でもなんでも……」

 その視線があまりにも真っ直ぐだったため、俺はしどろもどろになる。

「そうなんだ。でも、鳴瀬くんって演技の経験があったんだね。それってやっぱりすごいことだよ。じゃあこれからデビューに向けてがんばっていくんだね。私、応援するよ」

 だが比奈森さんはさらにそんなことを言ってきたので、俺は「あ、ありがとう」と返しつつも、照れくささに視線を逸らすしかなかった

さっきも言ったが、俺は比奈森さんのことをほとんど何も知らない。

 二年生に上がったばかりでまだ日も浅いし、もともと女子と話す機会もあんまりなかったから当然なんだけど、それでも何度か挨拶を交わしたことはある。

 その時もこんな優しくて明るい笑顔で「おはよう」と言ってくれたことを思い出す。

 そしてその時「この人なんかいい人っぽいな」と感じたことも。

 ……どうも、その感覚は間違っていなかったようだ。

「とまーそんな感じだから、鳴瀬くんに聞かれても問題はないよー。もちろん依頼内容については他言無用ってことで厳命するしねー。わかったかい鳴瀬くんー?」

「も、もちろんです。あの、俺、絶対誰にも言わないから」

 そんなことを考えていると、所長がそう話を振ってきたので、俺は慌てて頷いた。

 すると比奈森さんは少しだけ間を置いた後「わかりました」と言って続けた。

「あの、私、実は彼氏役を派遣してもらおうと思って来たんです」

「「彼氏役?」」

 その意外な言葉に、俺と所長の声が綺麗にハモった。

「……えーと、その彼氏役ってのはあれかな? 文字通りの意味でいいのかなー?」

「はい、私の彼氏の役を演じていただける方です」

 所長の確認に、比奈森さんは頷く。

「はー、これはまた、なんとも意外な依頼がきちゃったなー……」

 その反応に所長は困惑している様子だった。だがそれは俺も同じで、あのちょっと付き合っただけでも適当で大雑把な性格だとわかる所長でさえこれなんだから、俺の方の戸惑いはもっと強いと思う。……比奈森さんが彼氏役……?

「あの、無理なんでしょうか?」

 腕を組みながらしきりに首をひねっている所長に、比奈森さんがそう訊ねると、

「うーん、ぶっちゃけて言えば無理だねー」

 所長は本当にぶっちゃけた感じでハッキリとそう答えた。

「というのもねー、うちはその手のサービスをやってないんだよきみー。うちはそもそもカップルの派遣が専門だからねー」

 比奈森さんはその言葉に、キョトンとする。そんなの知らなかったという顔だ。

「それに、そうじゃなくてもうちはそういう『依頼主となんらかの関係を演じる』って仕事はしてないんだよねー」

 所長の説明に、比奈森さんはよくわからないとばかりに首を傾げる。

 だがそれは俺も同じだった。所長の言葉はどういう意味だ?

「あー、なんていうのかなー、つまり私達の仕事はあくまでも特定の場面で必要とされる役を演じることなんだよねー。そういう意味では映画やドラマと一緒で、カップルが必要とされる場面でカップルとしての役割を演じるってのだけが仕事の内容なんだよー」

「……えっと、それってようするに依頼主は監督で、俺達所員は依頼主の用意した空間の中でカップルの役を演じるだけの、いわば出演者ってことですかね……?」

 俺が口を挟むと、所長は「そーそれそれー」と俺の背中を叩いた。

「さすが鳴瀬くん、理解が早いねー。あくまでもうちの仕事は、依頼主の求める場面でカップルとして振る舞うってだけなのさー。そういうわけだから、依頼主との関係を演じるような『彼氏役』みたいなのはうちではやってないんだよー。申し訳ないねきみー」

 俺はその説明を聞いて、内心頷いていた。……なるほど、確かにそれは『役』だ。

 派遣カップルとか聞いてなんだそりゃって思ったが、特定の場面で特定の役を演じるってことに関しては、確かに真っ当な役者としての仕事と言える。

 ……まあ、それでもトンデモな仕事だってことには変わりないと思うけどさ……。

「そうなん、ですか」

 それはさておき、比奈森さんは所長の話を聞いて少し残念そうに俯いた。

「すいません。じゃあ私が勘違いしちゃったのかもしれません。ネットでここのページを見て来たんですけど、望む人材を派遣してくれるって書いてあったように見えたから」

「……ちなみに所長、俺も事前にここのページを見たんですけど、なんか異様にぐちゃぐちゃしててすごく見づらかったですよ?」

「えー、あれは私がわざわざ自分で作ったページなのにー。古本屋で二十年くらい前のHTMLの本を見つけたから、いっちょやったるかーって感じでがんばったんだよー。見た目もかなりこだわって、センス抜群だっただろきみー?」

「トップページでMIDIが鳴って来訪者カウンター付きのページとか、化石かと思いましたよ……。しかも文字が七色に輝いてるわ、無駄にスクロールしまくるわ……」

「それがいいんだよきみー。まーでもあのページは途中で飽きちゃったんだよねー。うちの依頼主は人伝に来ることがほとんどだって気がついてさー。あっはっは」

「しかも未完成かよ!?」

「あの、ということはやっぱり、私が勝手にお仕事の内容を勘違いしていたんですね。ご迷惑をおかけしてすいませんでした」

 俺が所長にツッコんでいると、比奈森さんはそう言って頭を下げた。

 この件に関してはあんなクソページを作った所長が完全に悪いので、そんな律儀に謝る必要なんてないのに。なんだか俺が申し訳ない気分になってきたぞ……。

「でも、それでも私、どうしても彼氏役が必要なんです。なんとかならないでしょうか」

 だが続けてそう言って頼み込む比奈森さんに、俺は驚いた。いつも柔和な雰囲気の彼女が食い下がってくるなんて、そんなにも彼氏役なんてものが切実に必要なのか……?

 とはいえ、やっぱり所長は断るしかないだろうと俺は思った。

 ここも一応は芸能事務所を名乗っている以上、対応していない仕事を受けてトラブルになるのはマズい。常識的に、所長が首を縦に振ることはないだろうな。

「いや、なんとかなるよー」

「ええ!?」

 だが、そう考えている矢先に所長があっさりと首を縦に振ったので、俺は驚愕する。

 ……なんか事情通っぽいことを考えてた俺の立場は!?

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