シーン1 派遣カップル始めました その2

 でも、もし万が一本当だったら――とうっすら考えていたことはある。

「……あの、一つだけ訊いてもいいですか? 俺のこと、才能があるって言ってくれましたけど、それって本当のことですか……?」

 それは、あの時かけてくれたその一言についてだ。

 当然、それは怪しい勧誘のための釣り文句だと思っていた。

 でももしそうじゃないなら、この人は万年オーディション一次落ちで演技力もない俺の才能を見出して、本当に芸能事務所にスカウトしようと思ったってことになる。

 俺がすがるような視線を向けていると、所長はしばらくキョトンとした顔をした後、不意にあっはっはと笑い出した。

「当然じゃないかきみー。私はこう見えて人を見る目があるんだよー」

「で、でも、俺はオーディションに受かったこともなくて、それにアクターズスクールでもさじを投げられたくらい演技力も……」

「他人の評価なんてどうでもいいよきみー。私がきみに才能を見出したんだから、それでいいじゃないかー」

「あ……」

「それにうちは、もともと一から育てる主義だからねー。スクールでの成績なんてどうでもいいんだよきみー。ただやる気さえあればねー」

 俺は所長の言葉聞いていて、なんだか感動で泣きそうになっていた。

 ダメダメな俺を全面的に肯定してくれる。ただそれだけで救われた気分だった。

「それで、どうなんだい? うちで働いてくれるのかなきみー?」

 そして最後にそう訊ねてきた所長だったが、俺の心はもう決まっていた。

「はい! 是非よろしくお願いします!」

 俺は深々と頭を下げて、その申し出をありがたく受けていた。

 ……人生悪いことばかりじゃない! こんな運が回ってくるなんて……!

「いやいや、こっちが是非ともよろしくだよきみー。事務所としても有望な所員が入ってきてくれるわけだからねー。……っと、じゃあこれを書いてねー」

 所長はそう言って、傍の棚から一枚の用紙を取り出して俺に手渡してきた。

 そこには所属契約書と書かれていて、もちろん俺は喜んで記入する。

「いやー、所長に見出してもらって、本当にラッキーでした! 実は俺、将来役者になりたくて……、でも全然演技力が身につかなくて、悩んでたんですよ」

 俺は契約書にペンを走らせながら、高揚する気分に煽られるように言った。

「ほーほー、そうだったのかい。そういうことなら安心しなよきみー。うちの仕事をやってれば、演技力なんて嫌でも身につくよー」

「マジですか!? ……はいっ、書けました!」

 書き終わった契約書を手渡すと、所長はうんうんと頷いて、

「よし、これできみはうちの所員だー。改めてこれからもよろしく頼むよきみー」

 それから握手を求めてきたので、もちろん俺は力強く握り返した。

 ……ああ、ここから俺の夢へと続く輝かしい軌跡が描かれていくんだな……!

「そ、それで、俺はここでどんなことをすればいいんですか!? あ、もちろん最初はレッスンでしょうけど、やっぱそれが済んだらまずはエキストラとかですか!?」

 俺は期待と希望を胸に抱きながら、前のめりになって所長に訊ねる。

 どんな厳しいレッスンだろうと絶対に耐えてみせると、心の中で誓いながら。

「ん? エキストラとかはやってないよきみー。なにせうちはカップルの派遣が専門だからねー。もちろんきみにも派遣カップルとしてがんばってもらうよー」

「…………へ?」

 だが、次に所長の口から出てきた言葉に、俺はピシリと固まる。

「……え? え? い、今なんて言いました……? カップル……? 派遣……?」

「どうしたんだいきみー。だから、うちはカップル派遣が専門の事務所なんだってばー。あれ? もしかして知らなかったのかい?」

 ………………………………………………………………え?

「あ、あの、ちょっと待ってください……? なんか頭が混乱して、所長がなにやらカップルを派遣とかいう意味不明なことを言ったような気が……」

「言ったよー。うちはそれ専門なんだよきみー」

「……………………カップル派遣って、どういう意味です……?」

「だから、文字通りカップルを派遣する仕事だよきみー。依頼に応じて、必要とされる場面でカップルの役を演じるんだよー」

「そ、そんな仕事、あり得るんですか……?」

「それがあり得るんだなきみー。実はこういう特定の役を必要とする人ってのは結構いるんだよー。そこでカップルってところに目を付けたのは私の着眼点のすごさなんだけど、これがまたハマってねー。まあ、究極の隙間産業ってやつ?」

 得意げな顔でそんなことを言う所長。

 その時、俺の中にある常識ってやつがガラガラと崩れていく音を確かに聞いた。

「……い、いや、待ってください。それってあれですか……? ドラマとか映画での、エキストラとしてのカップル役ってことですよね……?」

 なので、俺はなんとかそいつを建て直そうと懸命の質問をするのだが、

「違う違う。うちはそっち関係の仕事はしてないんだよきみー。こっちの現場は舞台とかフィルムの中じゃなくて、あくまでも現実だからねー」

 またまたそんな意図を一発で粉砕していく所長。

 ここに至って、俺は所長がマジで言ってるんだとようやく実感した。してしまった。

「いやいや! は、派遣カップル!? そんなの見たことも聞いたこともないですよ!」

 だから、俺は当然のように狼狽する。だが所長はそんな俺を見てフッと笑い、

「そんなことないよきみー。実はこういうのはそこら中にあるのさー。たとえば……、そうだ。先日私がきみに話しかけた喫茶店があっただろー? そこでイチャついてるカップルがいたのを覚えているかい? ほら、きみが恨めしそうな視線を向けてた、あれ」

「なんでそんなこと知ってるんです!?」

「あのカップルねー、実はうちの所員なんだよねー」

「えええ!? じゃ、じゃああれ、本物のカップルじゃなかったってことですか!?」

「そうだよきみー。あの店はカップル向けにもっとPRしたいってことで、うちに派遣を要請してきたのさー。ほら、思い出してみなよー。あの二人の席、まるで見せつけるみたいに、通りから丸見えの窓際の席だったでしょー」

 ……そ、そういえばそうだったけど。で、でも……、ええ!?

「他にもねー……。ほらほら鳴瀬くん、この番組見てみなよー」

 見ると、テレビ画面には水族館でのインタビューの場面が映っていた。どうやらそれは録画らしく、所長は目的の箇所まで早送りをする。そうして出てきたのは社会人同士のカップルで、今日はデートに来たんだとうれしそうにインタビューに答えていた。

「この二人もうちに所属してる派遣カップルねー」

「マジすか!? ……って、待ってくださいよ。この番組って確か、よくどっかのデートスポットとかを特集してて、そこでカップルにインタビューしてるやつだったような」

「そうだねきみー。でも、そういうのの中に本物のカップルがどれだけいることやらー。だってこの番組作ってる局も、実はうちの常連だしねー」

 …………………や、ヤバい。俺の中のガラガラ音がさらに激しく……。

「まだまだあるよー。……あ、そういえば鳴瀬くんってどこの学校なんだっけー?」

「え? おうりん学園ですけど……」

「あー、そこならねー」

 所長はごそごそと棚の中をひっかきまわし、なにやら冊子を一つ取り出して見せた。

「これ、見たことあるんじゃないのきみー?」

「これって、うちの入学案内のパンフレットじゃないですか」

 もちろん見たことはある。というか、昔結構評判になったものだ。

 このパンフレットの中の制服見本のところに写っている男子と女子が結構なイケメンと美少女で、しかも実際に付き合ってる恋人同士だという噂が流れたのだ。

 その噂と仲良さそうに写っている男女の写真、そして『たった一度の青春をここで』というキャッチフレーズが人気を呼び、受験者が一時期大幅に増えたらしい。

 その影響か、うちはやたらリア充を目指す陽キャが多いように思える。

「で、これが何か――……って、まさか!」

「そのまさかだよきみー。その二人も元うちの所員さー。今は辞めちゃったけどねー」

「じゃ、じゃあ二人が本当の恋人同士って噂も!?」

「へー、そんな噂があったのかい? うちは学校から頼まれて派遣しただけだからねー。多分それ、生徒を集めるために学校側が意図的に流したんじゃないかなー」

「なにやってんのうちの学校!?」

 ……軽く人間不信になりそうだ。こんな事実、俺は知りたくなかった……!

「とまあ、こんな感じでさー、世の中ってのは意外と本物だけで成り立ってるわけじゃないってことだよー。ま、それも戦略というか? ビジネスだからねー。これがうちのやってる派遣カップルってやつで、わかってくれたかなきみー」

 そう言って打ちひしがれている俺の肩をあっはっはと叩きながら、所長は楽しそうに追い打ちをかけてくる。だが、今の俺はそれどころじゃなかった。

 ……は、派遣カップルとかいう意味不明な仕事が存在するのはわかったし、社会には結構な闇の部分があるってのもわかった。わかりたくなかったがよーくわかった……!

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