後ろの席の木島さんが大人気Vtuberの中の人だと俺だけが気付いている

ああああ/茂樹 修

第1話




 突然だが、諸君らは「Vtuber」なるものをご存知だろうか。大手動画配信サイト「WOWtube」を中心に活動する、アニメアバターの配信者の総称だ。


 もっと言うなら、諸君らは大人気Vtuber「雨宮ミサキ」をご存知だろうか。Vtuberグループ「ウェザーキッス」の雨担当、あまみーこと雨宮ミサキである。登録者数はつい先月80万人の大台に乗り、コンビニではちらほらとタイアップのお菓子が棚に並べられ、大手メーカーによるフィギュア化企画も進行中。しかし何より魅力的なのは彼女の丁寧な配信そのもの……いやよそう、俺はこんな前提条件を確認するために授業そっちのけで悩んでいる訳じゃない。


 確認、そう確認だ。Vtuber界における最大のタブー、「中の人」問題についてだ。


 いわゆるアニメキャラに命を吹き込む声優さんとは違い、Vtuberの中の人が顔出しをする事はない。あった場合がもはや一部の例外として扱っても過言ではない、というレベルでだ。

 少し乱暴に聞こえるかもしれないが、感覚的にはヒーローショーや着ぐるみの中の人…そっちの方が近いと思う。いやむしろ事務所所属の人は口止めされているらしいあたり、そこよりももっと厳しい。


 そこで本題に写る。題するならそう、『リスナーはVtuberの中の人にどう接するべきなのか』である。


 そんな事より授業で当てられる心配をしろ? いいや問題ない、今日は13日で俺の出席番号は12番。つまり後ろの席の木島さんが当てられる…ごめん、やっぱり問題だった。


「ぁ、はい…」

「そこ、訳してみろ」


 だって。


「ぁ、その……」


 この声だ。かぼそい蚊の鳴くような声小さな声。少し天然パーマのかかったモフモフのロングヘアーに、前髪で目元は見えない。いつも猫背でオドオドしている木島さんらしい喋り方でも、俺(枠が立ったら即RT、コメント欄には「今日も楽しみ」と書き込んで、累計スパチャ金額は小遣いのほとんどで初配信からの古参)にはわかる。


「わかりません……」


 ーー彼女こそ今をときめく大人気Vtuber、雨宮ミサキの中の人だと。


「はぁ……じゃあ前の席の海堂、解いてみろ」

「えっ」






 昼休み、弁当片手にやってくるのは、決まって見慣れた眼鏡の男。


「なぁ海堂、『えっ』はないだろ『えっ』は」


 忠告みたいな言葉を吐きながらも、にやけた顔を隠そうともしない伊藤彰だ。


「仕方ないだろ、考え事してたんだからさ…」

「どうせあれだろ? 推しについてってやつ」


 空いた横の席に座り、右手に弁当左手にスマホ。マナーモードを確認してから、箸より先にアプリを起動。


「お前には言われたくない」

「オレのは推しじゃねーよ」

「じゃあなんだよ」

「担当」


 そう言ってアイドルゲームに元気に出勤ももちログイン。弁当の蓋を開けながら、デイリー周回にも手を出すのがこの男のルーチンワークだ。本人に言わせると本業らしいが、それなら飯食いながらはやめろと言いたい。言ったこと無いけど。


「なんだっけ、お前の好きなVtuber」


 ーーガタッ。


 先程の授業中とは打って変わって大きな物音を立てるのは、後ろの席の木島さんだ。その単語に反応してしまうのは、初配信でVtuberに憧れてオーディションを受けたと語っていた雨宮ミサキにしてみれば当然だろう。


「あ、あー……名前、なんだっけなぁ〜?」


 瞬時にすっとぼける俺。やめろ伊藤推しが後ろで飯食ってんだぞ。一人で。


「は? 推しの名前だろ忘れるわけないだろ」


 ごもっとも。


「いや、何かそういう時ってあるじゃん……」

「おいコラさっさとスマホ出せよチャンネル登録どころかメンシも入って半年バッジで最古参だってこの間言ってた」

「あー家に! 家に忘れてきたから!」


 あからさまに動揺する俺、そして諦める伊藤。それもそうだこいつは友人のスマホより溜まった無料石でアイドルを引く方が大事なのだから。そうだお前は大人しく箸を突きながら担当アイドルを愛でているのがお似合いだぜ。


「木島さんもさ」

「っ!?」

「えっ!?」


 とか思っていたらいきなり推しに向かって暴投を始める伊藤。俺も思わず聴き慣れた驚き声を上げる木島さんに振り向かずにはいられない。


「笑わなかった? こいつの『えっ』に」


 そこか、そこまで戻るのか伊藤。お前アイドルゲームのマネージャーだかあって女子に平気で話しかけるよな、なんだその鍛え方はよ。


「そ、そんな事……無いと思います」


 苦笑いを浮かべる木島さん。そりゃそうだここでそうですねウケましたという彼女ではない。


「バカお前、木島さんだって答えられなかっただろ」

「あっ」


 小声で伊藤に促せば、今度はこいつが間抜けな声を上げる番だった。バッドコミニケーションだよ馬鹿野郎がよ。


「その、夜遅くまで配し……ゲームしてて。予習忘れちゃったんです」


 うんうん深夜の一時半までね。


「木島さんゲームする人なんだ…何のゲーム?」


 ファイティングクエスト3だよ!


「あっ、えっと、戦うやつ……」

「面白いの?」


 クソゲーだよ!


「ど、どうかなぁ……結構難しくって」


 だから十一時終わり予定が一時半になったんだよ!


「へぇー……あ、そうだ思い出した」


 何をだよ!


「お前の推し。雨み」

「伊藤!」


 俺は急いで立ち上がり、伊藤の肩を強く叩く。眼鏡越しに驚いた伊藤の目が少しだけ俺を見つめるが、そんな事はお構いなし。


「……トイレ行こうぜ」


 とにかくこの場を離れる事だけが、俺に出来る最大限の『推し事』なのだから。




 放課後、じゃあオレ無課金の向こう側に行ってくるからとバイトに向かった伊藤をよそに、俺は教室で黒板消しクリーナーのスイッチをつけていた。理由は単純日直だからだ。


「昼飯なんとか学食で食えないかな……」


 ついそんな言葉が口につく。推しが後ろで昼飯を食っているというシチュエーションだけならまだしも、無神経極まりない伊藤がいるのはそろそろ心臓が持ちそうにない。


 だが俺も伊藤も弁当派だし、そもそもそんな小遣いはないし母親に学食で食いたいと宣えば私の飯に文句でもあるのかと返ってくること間違いなし。息子の心臓が破裂してもいいのかと詰め寄ればワンチャンあるかもしれないが、それを言えば病院に連れて行かれるのは確実だろう。頭のだけど。


「ご、ごめんなさい海堂くん……」


 と、少し息を切らした木島さんが教室に戻ってきた。推しに名前を呼ばれるなんて誕生日に赤スパ投げないと難しいというのにありがとうございます雨宮ミサキさん通称あまみー。


 じゃなくて。


「いいよ、気にしないで」

「その、バイト先からメールが来てて急いで返さなきゃならなくてですね…」

「そっか、大変そうだね」


 えっなにバイト先からの急ぎの連絡ってもしかして新しい企画の打ち合わせとか? いや待てよそろそろオリ曲出すかもとか言ってたなだがタイミング的にそろそろ新衣装とかもあるのか? そうだなにせこの前チャンネル登録者数80万人という大台に乗ったんだそろそろそういう話が出てもおかしくないよな、いやむしろ遅すぎるぐらい。


「海堂くん、その、黒板消し……」

「あ、ごめん……考え事してたから」


 オタクキモいなと自嘲しながら、木島さんに黒板消しを手渡す。そうだここにいるのはあくまでクラスメイトの木島美咲さんであって、雨宮ミサキではないのだ。普通に接すればいいんだよな、うんうん。


「もしかして、その……すっ、好きなVtuberのこと……ですか?」

「えっ!?」


 今日何回目だこの言葉。いやでもあれだ、ここは変に否定するのもおかしな話だ。普通に普通に。


「ああうん、ちょーっと名前ど忘れしちゃってるけどね……」

「ふぅん、海堂くんって薄情な人なんですね」


 からかうように木島さんは小さく笑う。その喋り方がよく知っている物だったから、思わず心臓が跳ねてしまう。


「た、たまたまかな……」


 彼女から目を逸らしたくて、思わず辺りをを見回してしまう。そこで気付く、教室にいるのは俺と彼女だけだという事に。


「本当に好きなんですか?」

「えっ!?」


 そりゃあもう単推しですけど!?


「その……Vtuberのこと」

「あ、うん。結構、いやかなり好きかも……」


 照れ隠しに頬を掻きながら、控え目に気持ちを表現する。それでも十分伝わったのか、前髪で隠れた彼女の目尻がほんの少しだけ下がってくれた。


「そう、良かったです」

「良かったって?」


 思わずそう聞き返せば、今度は彼女が焦る番だった。肩をビクッと振るわせて、身振り手振りで慌てふためく。少しすると深呼吸して落ちついいて。


「実はですね、海堂くん」


 そう言ってから彼女は、口の横に左手を当てて、「耳を貸して」のしぐさをする。


 恐る恐る右耳を近づける。実はって何だもしかしていうのか自分が雨宮ミサキだといやまてそれは事務所との契約で言えないって二ヶ月ぐらい前の配信で言ってたようなというかこれって実質ASMRっていうか機材ないからまだ出来ないって本邦初公開か良いのか俺死ぬのかいいか死んでも良い人生だったなどとオタク特有の早口を脳内再生するけれど。


「私も……Vtuberが大好きなんです」


 彼女からゆっくり離れる。大好きなんですの言葉が妙に鼓膜に残って何度も反芻したくなるけど、今ここにいるのはやっぱり木島さんだから。


「一緒だね」

「ですねっ」


 夕日が差し込む教室で、二人小さく笑い合う。彼女との適切な距離感はまだまだ測れそうにないけれど。


「それで、海堂くんは誰推しなんですか?」


 その質問は聞かなかった事にして、黙って黒板を綺麗にした。






『みなさんこんあまみ〜。ウェザーキッスの雨担当、雨宮ミサキです』


 夕食後、俺はベッドに寝転がって姉貴のお下がりのタブレットで推しの配信を見ていた。もちろんRT済みで配信開始前には『今日も楽しみ』とコメント済みだ。


『今日はですね、ふふっ……なんといい事があったんですよ』


 その一言でざわつき始めるコメント欄。おめでとう! とかおっ新曲か!? でもそれじゃなさそうだと、何となくだが俺は思う。


『あっ、いや全然そういう事じゃなくて……学校でいい事がですね』


 さらにざわつくコメント欄。だがその大半は、陰キャなのに!? という驚きがほとんどだ。いやまぁそうなんだろうけどさ。


『学校でですね、Vtuber好きだよ〜って人がいて。もしかして、わたしのこと推してくれてたりなんかしたら嬉しいかなーって、そんな事なんですけどね』


 思わず手放してしまったタブレットが落下し、顔面に直撃する。え、それ俺の事か俺の事だよねいやもしかして違うかもしれない自意識過剰だろこれけど木島さんが他の人の話てたの見てないしいや一日中見てたわけじゃないし確証はないな等と非常に気持ち悪い事を一通り考えてから、改めてタブレットを持ち直す。今度は顔面に当たらないよう、うつ伏せに寝直してから。


 それから、コメント欄に指を伸ばす。指先は震えていて、雨宮ミサキの中の人に気付いてしまった俺だけど。彼女との適切な距離感を鑑みて、精一杯の文字を打つ。




「きっと推してるよ」



 

 

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