カンショウを燃やす

紫鳥コウ

「おい! 父さん!」


 一部始終に、おれは、もう、たえきれない。


「姉貴を泣かせやがって! 親のくせによ!」

「うっせえ! オレの金で生きてんだから、そんな口をきくんじゃねえよ!」

「一発、なぐらせろ!」

「あん? オレを殴ったら、どうなるかわかってんのか?」

「もう、おれは高校生だぜ?」

「だからなんだっていうんだ?」

「父さんの顔に、でかいアザつけたるわ!」

「この野郎!」


 おれは、父さんに胸ぐらをつかまれて、そのままぶっ倒されて、馬乗りになられて、とんでもなく強い力で、畳に押しつけられた。


 パーンッ。


 そして、首から上が飛んだのではないかと思うほどの、ソウカイな、ビンタを喰らわされた。


 バンッ。


 おれが喰らわされた「パーンッ」より、にぶい音。玄関のドアが、勢いよく閉められる音。姉貴は、家を飛びだしてしまったらしい。


 もう夕方だ。こんな田舎、夜になったら、暗くてたまらない。それに、もうすぐ冬だ。なんの準備もなしに、勢いで飛びだしたら、ロクなことはない。


 ――追わねえと。


 おれは宣言どおり、父さんの顔面を、思いっきり「グウ」で殴ってやった。そして、よろけた父さんをはねのけて、外に飛びだした。おれだって、なんの準備もしていない。


 ――でも、行く場所くらいわかってる。


 おれは、ためらいなく、海の方へと続く道を走っていった。


 走っても走っても、姉貴の姿は見えやしない。姉貴も走ってるんだな。陸上部のな走りに、なまりが入ったような重い足をした帰宅部のおれが、追いつけるはずがない。


 ――じゃあ姉貴。海で会おうぜ。


 それにしても、もうあたりは真っ暗になってきた。無音。無音という音だけが聞こえてくる。人も動物も虫も川も山も道も畑も田んぼも空気も、なにもかもが、息をしていない。


 ここは宇宙なのか。息ができるおれはエイリアンなのか。街灯は六等星なのか。擬似宇宙の妄想。吐き気がするほどの感傷モード。


 冷たい風にさらされた、腫れたほっぺたが、ずっと、おれを現実にくくりつけているから、センチメンタリストに帰依きえしなくてすんでるんだけど、まあ、そんなセンチメンタリストの方が、父さんみたいなリアリストよりマシだな。父さん、リアリストのお面をかぶって、そのまま顔面に溶接してしまってるわ。


 まあ、父さんのことが嫌いなんじゃなくて、父さんの考え方とかふるまいが、おれのその時々の感情と調和できなくなったときに、たえられないくらいのイラダチが、胃液みたいなしょっぱさで、食道をかけあがってきて、のどを焼いてくる。


 腹いっぱいで、胃液が消化に使われている奴じゃないんだ。かけあがってくる。おえおえ言ってる。メシくってる余裕なんてないんだよ。


 ああ、なんか、おれって、やっぱり、センチメンタリストになってんのかな。もっともらしい比喩を使って、認識をねじまげてる。もうすぐ冬だし、しかたないのかもしれないけど。雪国は、冬に近づくにつれて、センチメンタリズムがまんえんしてくんのよ。


 ターボエンジン搭載の姉貴には追いつかない。さすが県代表。このままふたり走り続けたら、何万光年の距離がひらくんだろうな。


 まあ、終着点は海だし。


 海にザブンと飛びこんで、ぷかぷかしてたら、もっと遠いところに行っちゃうけど。姉貴はそんなことはしないだろう。だし。


 おれはいま、凍死までのカウントダウンのまっただ中。汗をかいて、シャツがベトベト。そのうち、凍えておかしくなっちゃう。


 凍死って、想像できない死に方だな――と、そんなことを考えていると、なにかを蹴とばしたみたいだ。ライターだ。ちゃんとまだ使える。しめたもんだ。

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