第2話 夏が籠る

 体育館内にキュッキュッと、体育館ばきのゴムが擦れる音が響き渡る。窓を締め切って、熱がこもった体育館では夏休み中にも関わらず、地獄の特訓が行なわれていた。


「インビジブル・ハウンド!!!」

 俺が繰り出した必殺サーブによって、球は思い描いた通りの軌道を描いて相手コートの真ん中辺りに降り立った。


「な、何ぃっ!?」


 通常の軌道でそのまま真っ直ぐテーブルの外側へ逃げると思ってもらっちゃあ困る。

 俺の開発した新必殺技『インビジブル・ハウンド』は、膝を曲げる屈伸運動を使い、相手から見るとまるで姿を消したかのようにテーブルより下へしゃがむ。

 直立状態からの移動エネルギーを全てピンポン玉を縦方向にスピンさせる事に使い、相手のコートの真ん中からバックスピンを掛ける必殺のサーブだ。


 欠点は、もしカウンターを返された場合、テーブルよりも下でうずくまっている形となるため、全く対応ができないという点だった。


「って……、必殺技名を叫んだらバレるだろうが……!」


 対戦相手の榎下の長い腕が、テーブルの真ん中でバウンドして、これからまさにバックスピンを掛けようとしているピンポン玉の前にラケットごと覆い被さる。

 ラケットに跳ね返ったピンポン玉は俺のコートにバウンドして、うずくまる俺の目の前で床に落ちた。


「くっ!」

 必殺技の弱点。それは叫ぶと戦術がバレることだ。卓球は一球を打つ時間は1秒もない。必殺技を叫ぶ場合は、その技名を球を打つ瞬間に言い終わることが望ましい。つまり、球を打つ前に『インビジブル……』と言い始めていなければならない。

 相手からしてみれば、『あ、こいつ今からインビジブル・ハウンドを打つつもりだな』ということが分かってしまうのだ。


「インビジブル・ハウンド黙式もくしきを使うべきだったか……!」

「そもそもな。必殺技叫んだら『インビジブル』でもなんでもないじゃんか、それじゃあ」


 根本的な問題点を指摘してくれたのは対戦相手であり俺の良きライバル、榎下えのもと しゅうだ。

 長身の長い手足を生かしたカットマン戦法を使い、俺を翻弄する。というのは世を忍ぶ仮の姿。俺が正攻法の必殺技の開発をするのに余念が無い一方、彼は相手の戦意を削ぐ、デバフ技の開発に余念が無い性格の悪いねちっこ野郎なのである。

「じゃあ今度は俺の新・必殺技を受けてもらおうか。これは俺が必殺技名を言っても言わなくてもお前に逃れるすべは無い」


「な、なんだと……?」

「黙式・『凪』」


「必殺技名を名乗ったら黙式じゃないだろ」

「ふっ」

 いつもと同じ流れるような平凡サーブをかましてきた榎下のピンポン玉は、まるで風に乗っているかのように不思議な軌道を描いて、俺から見て左側に流れて行った。その軌道が読めずに大きくからぶってしまう。


「どうだ!」

「って……、扇風機で風を送ってるだけじゃないか!」

 俺が指さした先には、テーブルの横から古びた扇風機があって、こちらに風を送っていた。じめじめと蒸し暑い体育館での風は生ぬるいなりに気持ちいいが、ピンポン玉の軌道が変わるので、本来はこんな近くに置いていいものでは無い。


 風を送ってる時点でルール違反だし、そもそもそれじゃ『凪』じゃないだろ!


「分かっていないのか。風を送っているのにどうして技名が『凪』なのか。黙式なのにどうして技名を言い放つのか。その矛盾に正直ツッコミを入れずにはいられまい。そのメンタルの穴を突くのがこの技の真骨頂」

「な、なんだって……!」


 一球1秒にも満たないラリー。少しの風で動いてしまうピンポン玉。球の軌道は掛けた回転の方向によってあらゆる方向に跳ねていく。それは自分の鼓動や心の機微、腕や指の力の加減ひとつによっても変わってしまう。


 こいつは俺の精神に『ツッコミを入れずには居られない』という枷を作り出した。その枷によって俺の全力のシステムを狂わせたのだ。


「実戦段階では、窓をこっそり開ける程度だがな……。日々ダジャレの開発に余念が無い、日向っちの環境技『クーリッシュ・ワールド』に着想を得たんだ。どうだ、凄まじいだろう」


「え? ボク?」


『黙式・凪』の原因である扇風機の前で風を浴びるのに必死な、黄色いシャツを着ている男子が日向 氷河。椿ノ峰高校卓球部2年三羽ガラスの一人だ。


 何を隠そう、この俺。赤き衣をまといし、小松原こまつばら あつしこそ卓球部2年三羽ガラスのリーダー。日々必殺技の開発に余念が無い。『小手先の篤』と呼ばれ、対戦相手には恐れられている。何でも笑いを堪えるのに必死らしい。


 そして長身のカットマン。青いシャツを着た榎下えのもと しゅうは卓球部2年三羽ガラスのキャプテン。日々デバフ技の開発に余念が無い。『遅咲きの柊』と呼ばれたがり、もうそろそろ咲いてくれないと困るなとボヤく。


 最後に三羽ガラスの中で一番背が低い、前陣速攻型。三羽ガラスの最終兵器。日向ひゅうが 氷河ひょうが。日々ダジャレの開発に余念が無い。『八つ裂きの氷河』と呼ばれ、そのキレのあるダジャレは夏に重宝される。


 県総合体育大会は既に5月に終わっていた。先輩たちはとう部活を引退していた。そうなると、次こそ大会に出る機会がやってくるに違いないのだ。部員もそう少なくない卓球部の学校の代表になるためには、倒さなければならないライバルたちが校内にひしめき合っている。

 榎下も日向も例外ではない。


 ただしかし、そう邪険にも扱ってはいけないと思うのだ。卓球は相手が必要なスポーツだ。強くなるためには、より強い相手と戦うよりほかない。壁あてばかりしたところで、強くはなれない。榎下も日向も、俺が強くなるための立派な戦力なのだ。


「篤、暑し」

「百万回言われたダジャレはやめろ、日向」

「いやもうホント暑いわー。ただでさえ暑いのに、体育館は熱が籠るよなあ」

「卓球やバドミントンは風が吹いたら軌道狂うから、窓も開けられないしなー!」

「もう今日は、やめにしよーぜ、マヨネーゼ」

「今日のダジャレはクオリティ低くない?」

「いや、今のは五七五だから」

「クオリティ高っ!!」


 いや、低いって。

 部室棟でシャワー浴びて、さっさと帰ろう。

 ……と思った矢先に、シャワー室の張り紙に気づいた。


『シャワー室故障につき、使用禁止』


「なんだこれぇ」

「壊れてるんならしょうがねーぜ、ノイローゼ。字余り」

「8月7日まで使えないってさ。まじか。今日は2日だから今週全部使えないじゃん」

「ふーんなになに。ほら、ここの横の紙見てみろよ。修理までの間、無料で銭湯に入れるらしいぜ。椿紅薔薇湯つばきべにばらゆだって。知ってる?」

「知らんなぁ。どこよそれ」

「ツバデン使って、ここからふた駅だって。鍔迫つばぜ辻駅つじえきから歩いて2分」

「銭湯かぁ。楽しそうじゃん。ちょっと行ってみよーぜ、カプレーゼ」

「そうだよなぁ。無料だもんなぁ」


 銭湯のレシートを持ってくと、ツバコーの生徒は電車代が返金されるらしい。至れり尽くせりな待遇。どれもこれもシャワー室を修理している期間だけ。


 行ってみるか。せっかくの夏休みだってのに、毎日学校に行って練習ばっかしで、どこにも遊びに行ってないし。ちょっとだけ、気晴らしに出かけたかったから。



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