第2話 海よりも青く


「おお〜っと? もしかして同じクラスの確か……真向まむかい 鳩麦はとむぎくん、だっけ? あれ違うっけ? ってそれ、絵を描いてるの〜?」


 突然後ろから名前を呼ばれたので、振り返るとそこには同じクラスの海藍うみあいさんがいた。フルネームを覚えられていることに少し驚いたが、僕もある理由から海藍さんの名前を憶えていた。


 体育祭まであと一ヶ月。体育祭で競うことになる全部で6色の、各組を応援するためのポスター制作をしていた。僕が描くのは青組のポスター。

 青を基調とし、健全な絵柄であること。

 それ以外は特にテーマは無かった。

 僕はこの一年一組の教室で下書きを描いていた。本当は美術室を使いたかったが、先輩たちが卒業制作で使用しているため、予約を取らないと使用できないためだ。本塗りの時を狙って予約を入れている。

 今はスケッチブックを開いて、試し塗りをしているところだった。


 それに、一年一組の教室は、四号棟の一番上の階。この高校で一番見晴らしのいい場所にある。窓の外から見える海とその景色は、晴れていれば最高に綺麗だ。海を描く場所としては、ここ以上には無いとさえ思える。……立ち入り禁止の屋上を除けば。


「へぇ~、凄! 真向くんって美術部だった? もしやして青組のポスター?」

 あまり話したことはないけれど、絵をまじまじと見つめる海藍さんが近づいてくる。僕は彼女と目を合わせないように絵の方を見た。

「うん。これは下書きなんだ」

「おぉ〜う上手だね~! トカゲっぽい!」

「いや、鯨……のつもりなんだけどね」

 海で潮を吹いている、かなりポピュラーな鯨を描いたつもりだったのだけれど。


「え、ごめん! 海でを吹いてるからウミイグアナかな〜って……残念」

 ちょっと僕のカタログにはない生物だった。

「でも、なかなか攻めたチョイスだね〜。青い生物なら、ニホントカゲがポピュラーかなって思ったりもしたけど……鯨かぁ」

「とりあえず、海藍さんがトカゲ好きなことは分かったよ」

 それに、鯨は青く描いていない。空と海を青く塗っていた。鯨は添える程度だった。


 水彩で全体的に青色に塗っているから空と海の境界が、曖昧で分かりづらかったかもしれない。

「うーん、でも海って塩水だよね。そして水って透明だよね。なのにどうして海って青いんだろ?」

「それは、空の色を映しているから……じゃなかったかな」


「でも、海の底は? どんどん青く藍色になっていかない? どんどん空から遠ざかるのに、どーしてだろね?」


「どうしてって言われても……」


 僕の絵では海面の色しか描かれていなかった。

 僕は試しに海に潜ることにした。


 絵を描くとき、僕はまず、頭の中にその風景を思い描く。

 この絵を描くとき、僕は鯨が海面を泳ぐ様を、遠くで見ていた。

 空は快晴。大海原に鯨が一匹。潮を吹いて、尾ひれで波を作り出していた。


 それは誰もが思い描く、青い空と青い海。

 でもそれは誰もが思い描く、ありきたりの風景だった。


 僕は鯨と共に海へ潜ることにした。

 海面に顔を付け、深く潜る。尾ひれを使い、水を蹴った。海面から遠ざかるほどに、空から遠ざかるほどに、海はより深く、青い、濃い色になっていった。

 青から藍色に。藍色から紺色に。瑠璃色になっていった。


 瑠璃色。そう、海藍さんの名前は瑠璃というんだ。海藍うみあい 瑠璃るり。海に藍色に瑠璃色。キレイな青色が浮かんだ。一度見たら忘れない名前だ。

 実はもう一人、同じクラスに青嵐あおあらし 葵乃あおのさんというクラスメイトもいる。海藍さんと仲が良いように思える。僕からしたら、海藍さんと青嵐さんが仲がいいのはある意味必然だと思えた。


 絵の中は空気が無くても好きなだけ泳ぐことができた。

 だから僕は不思議だった。

 どうして空から遠ざかるほどに、青色はどんどん濃くなっていくのだろう。

 それは海藍さんから教えてもらった、ヒントのように思えた。

 海面を泳ぐよりも、海深くを泳いだ方が、より深い青色を描くことができる気がした。


「……くん。真向くん。だいじょぶ?」


 はっと、気付くと僕の前で手を振る海藍さんがいた。

 ぼーっとしていたらしい。僕のイメージの中では、きちんと現実世界と同じだけの時間が流れる。

「あぁ、ありがとう海藍さん。確かに、海の底の方が青いね。参考にしてみるよ」

「ふふふ。楽しみにしてるね〜、体育祭!」


 海藍さんが笑うと、ドキドキしてしまうくらい可愛かった。


「あ、ちなみにウミイグアナってこういうフォルムなんだよ〜。知ってた?」

 海藍さんがスマホでウミイグアナの画像を見せてくれた。

 これはあまり参考にはならなかった。

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