第5話  底知れぬ輝き

 視聴覚室に鶴見先生がいた。あとは、俺とさち姉と橙井。

 イベントは無事終了し、あとは後片付け程度である。

 後片付けと、後始末。事件の後始末は、主役にお願いしなければならない。

 指輪の持ち主であり、原因を作った鶴見先生に。


「古賀さんから、返してもらったよ」

 鶴見先生の薬指には、結婚指輪が戻っていた。


「彼女がずっと持っていたんだね」

「そう。そして、その本物の指輪にそっくりな指輪に自分のイニシャルを彫って、代わりに落としたんだ。先生が自分を見つけてくれるようにってね」


 そっくりな指輪をつくるためには、本物の指輪を持っている必要がある。そっくりな指輪の持ち主が、本物の指輪を持っている犯人だったというわけか。

 いつまでも指輪が見つからなかったのは、古賀さんがずっと持ち歩いていたから。


 その指輪が落ちていたのは、俺が掲示板を見て周っている四号棟、つまり一学年の誰か。補修クラスに通っていたイニシャルK.Kの生徒の誰かだった。

 シンデレラのガラスの靴のように、指輪にぴったり合う人を探してほしかったんだと。そんなもの、普通は気づくことができないだろう。


 しかし、この学校には『ツバキノミネート』という例外がある。

 掲示板の近くに転がしておけば、あるいは。指輪紛失事件が大きくなればなるほど、誰かが推薦状を出して、彼らが動くこともあると、期待していたのだろうか。

 もしそうだったとすれば、この結末は、きっと彼女の、古賀さんの願った通りになったのだろう。

 指輪に刻まれた願いは、確かに叶ったのだ。


「しかし、教師として、彼女の思いに応えることはできない」

「そりゃそうだろうさ。彼女もそんなことはわかっているよ。でもね、人が人に恋する気持ちは、そんなことじゃ止まらない」


「なら、どうすればいい?」

「好きな人に自分以外に好きな人がいるなんて、好きな人が既婚者なんて、好きな人に嫌われているだなんて、好きな人が既にこの世にいないだなんて、そんなことはありふれている。それでも、人は人を好きになるんだ。その気持ちを大切にしてほしい。鶴見先生、花嫁姿になって、あなたをみつめる古賀さんの顔を見て、どう思いましたか?」


「私は……」

「気圧君。君も古賀さんの幸せそうな顔を見ただろう。あのきらきらと輝いた瞳を」


 たとえ許されない事だろうと、彼女はそっくりな指輪を作り出し、作戦を実行した。その行動力はさち姉の比じゃない。

 人を好きになるということは、そこまでにも人を動かすのか。彼女の想いは成就しなかったが、人知れず計画は成功を収めた。彼女の底知れぬ輝きは今、先生へ届けられたのだった。


「たとえ絶対に叶わない恋だろうと、夢だろうと、仮初の幸せだけでも彼女は満ち足りた。だから、本物の指輪を先生に返したんだと思う。そして、僕はその時に先生の顔を見ていた。その時の先生の顔は、とてもやさしい顔をしていたんだ」


 笑って、その場だけを取り繕うような顔じゃない。

 嫌って、彼女の好意を踏みにじるような顔じゃない。

 どうすれば、彼女の気持ちを大切にしてやれるのかを、必死に考えるような顔をしていた。


「その答えは誰にも分からない。それでも、見つかるまで探すべきだ」


 鶴見先生の迷ったような顔が、憑き物が落ちたようなすっきりとした顔になったような気がした。


「……そうだね。簡単に答えを出すような話でもない。私も、生徒も、成長することができる。それが、学校というものだね」

 鶴見先生は、ありがとう、と深くお辞儀をして、視聴覚室を後にした。


 俺が古賀さんの幸せそうな顔を見ている時に、橙井が神妙な顔をしていたのは、先生の顔をみていたからだったのか。

「先生の本心を知りたかった。もし彼が古賀さんの好意に気付いて、それをもてあそぶ教師だった場合、何らかの法的社会的措置も覚悟しなければならない。ま、そんなことは杞憂に終わったよ。今は非常勤だけれど、きっと彼は、良い教師になるよ」

「鶴見先生は、学年を問わず人気ですよ、男子女子分け隔てなく、優しいって」


 さち姉がフォローを入れた。

 そりゃそうだろう。なんたって、一学年以外の校舎にも指輪は落ちていたって話なんだから。見知らぬ指輪の数が、鶴見先生への好意の裏返しなら、これほど分かりやすいことも無い。


「しかし、どうするんだ? 鶴見先生の落とした指輪は見つかったが、もう一つの依頼内容、指輪を落とすイタズラをやめさせるのは、別途対策が必要だろう」


「心配無用だよ。鶴見先生がイタズラで困っていたのは、本物の指輪が見つからなかったからさ。見つかってしまえば、いくら偽物がたくさん落ちていたって、彼は無関係。困ることは無いだろう? 後は、風紀委員のお仕事だ。彼らに任せよう」


 ぎぃっと椅子に背を預け、満足そうにくつろぐ橙井。


「さ、ココちゃん。私たちは私たちの仕事をしましょうね」

「え?」


 さち姉の顔は真剣そのもので、ココちゃんと呼ぶな、といつものようにツッコミを入れる隙が無かった。俺は嫌な予感がした。


「撮影した写真を加工、レイアウトを調整してオリジナルポートフォリオを作りましょう。今から用意しておけば、文化祭の時までには配布できるから!」

「ほら、俺写真とかそういうのよくわからないし……」

「よくわからないのがいいのよ。一般の人の意見も聞きたいの。手伝ってくれるわよね?」


 有無を言わせない、さち姉の笑顔。

 視界の端で、橙井が視聴覚室から出て行くのが見えた。あ、あのやろう!!


「は、はい……」

「ありがとう!! カエリちゃんはもう先に行っているから、後で合流してね!」


 ばびゅーん! とさち姉は、視聴覚室を後にした。

 ツバキノミネートのもう一人の生贄、瑞田みずた かえりは既に裏方として手伝わされているみたいだ。そういや、まだ会ってなかったな、今月は。


「…………」



 いや、まずは後片付けをしようぜ。

 6月の花嫁の幸せの欠片がちりばめられた部屋に一人残され、まだツバキノミネートの部活動が終わらないことを嘆いた。




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