第15話 呼び声
九回の裏。
スコアは2-0で日本のリード。
佐藤直史の投球数は、ここまで79球。
アメリカの攻撃は九番からであるが、ここでも代打を出してきた。
直史のピッチングに少しでも慣れているはずの九番の方がマシな気もするが、ギアを替えてからの直史のピッチングは、その強度がそれまでとは全く違うものである。
(20球で二人をアウトに出来たら、100球目が三人目の対戦となるから、そこで決めるなら100球を超えてもいい)
ただしそのラストバッターと思っていた選手に出塁されたら、マウンドを降りなくてはいけなくなる。
そう説明して念のため、島野監督にはクローザーの用意はしてもらうことにした。
これまで最も多くても、一イニングに14球しか投げていないピッチャーが、なんの冗談かという話である。
だが、仕方ないのだ。それが佐藤直史。
この投手は俺SUGEEEくせに慎重すぎるのである。
カーブから入る。
ドロップは落差がありすぎて、ゾーンを通っていてもおおよそボールに取られる。
なのでこの試合ではほとんど使ってこなかったのだが、それが逆に良かったのか、ストライクのコールである。
バッターが思わず審判の方を向いているが、一応ちゃんとゾーンは通っているのである。
残念だが、そういう審判に当たったことを嘆いてくれ。
二球目はまたカーブを使った。
落差よりは変化量をたっぷりと、スピンをつけて投げ込む。
これも明らかにゾーンを通っており、キャッチする場所も先ほどよりは高い。
ドロップカーブよりは速度があったので、バッターはこれも見送ってしまった。ツーストライクである。
MLBは一時期球数を減らすために、ちょこっと動いて打ち損じを狙う、ムービング系のボールが全盛であった。
それに対してフライボール革命があったわけだが、変化量の大きいブレーキの利いたボールには、まだ手を出したピッチャーは少ないのかもしれない。
(普通ならカーブの後にはストレートを予想するよな)
(普通じゃなくてもそうだとは思うだろうけどな。カットボールとかで詰まらせてもいいけど)
(いや、やっぱり三振を取ろう)
(じゃあこれで)
無言ながらのサインの応酬で、追い込んだバッターへの三球目。
スピードボールに、ストレートにヤマを張っていたバッターは振るが、スプリットよりも速く沈む球に空振り三振。
これで残り二人である。
こんなやり方は一度しか通用しない。
序盤は打たせるピッチングをして、能力や傾向を誤認させる。
そして中盤は相手の対処次第だが、スタイルを変えるなり決め球を変えるなり、柔軟に対応する。
最後の四巡目には、全力で技術と能力で制圧する。
まあ球数制限さえなければ、もう少し精神的には楽な手段が取れただろうが。
トーナメントを勝ち抜く方法を、全力で応用したのみである。
(直前でリストになかった俺を入れたのが、監督のファインプレイかな)
なおこの決勝戦、島野は守備に関しては、何も言うことがなかった。
先頭打者はこれが、直史との四度目の対決となる。
先ほどの打席ではヒットを打たれたというか、あえて打たれても大丈夫なように投げたが、その伏線は分かっているだろうか。
まずはカットボールを外す。
外からギリギリゾーンに入るかどうかというところだが、判定はボール。
樋口のキャッチングは上手いが、わずかな動きでも左右は分かっているのか。
ならばと投げたスプリットには左への傾きがある。
それを打ちはしたものの、足元からファールゾーンへ。
空振りをしなかったということが、情報を与えてくれる。
(小さな変化球には当ててきた。最初の球がストライクに宣告されてたらな)
そうは思うが、すぎたことである。
ここで大きく変化するボールで、ストライクを取りたい。
だが単純にカーブは使いたくない。
前の打者に二種類のカーブを使っているので、やや不安なのだ。
ならば左打者相手であれば、シンカーを使うか。
利き腕側に曲がるボールだと、ツーシームが一番簡単とも言われる。
そもそも握りを変えてストレートを投げるつもりで投げれば、自然と縫い目でその回転がかかるからだ。
シンカーの投げ方は人によって色々であるが、直史の場合は抜くイメージを大きくしている。
MLB基準のボールであっても失投しない、とても良い子である。
140kmほども出ているボールが、左バッターからは逃げていく。
それを下手に追いかけず、素直に空振りするところが、バッターとしては潔い。
打ってもボテボテのゴロにしかならなかっただろうが、これで最後に投げる球は予測出来る。
ストレートだ。
球速は平凡であるが、どうやらスピン量が多く、ホップ成分に優れたストレート。
ピッチャーならこの場面で、最高のストレートで勝負しないという選択はない。
伸びのあるストレートに、上手く合わせられるか。
投じられたコースは、内角。
(甘――い!?)
ボールが来ない。
チェンジアップだ。それも特にブレーキの利いた。
スイングを止めることも、ぎりぎりまで溜めてカットすることも出来ず三振。
これでツーアウトである。
二人に対して七球しか使わなかった。
これであとはもう、充分にボール球を投げられる。
アメリカの二番打者、マイケル・サンダー。
MLBでも革新的な二番打者最強論によると、若手はおろかベテランまで含めても、五指のレベルに入るバッター。
高打率、高出塁率、高長打率、そして当然の高OPS。
最後の打者には相応しい存在だが、少しずつタイミングは合ってきているように思う。
予定通りの追い込み方をすれば、最後に打ち取る球は決まっている。
問題はそこまで持っていくまでに、打たれないかということ。
この試合もいきなり初回にクリーンヒットを打たれた。
もちろんあの時とは、組み立ても使う球種も変える。
何よりボールにこめる出力が違う。
こいつで終わらせる。
初回にヒットをいきなり打たれたのは忘れていない。
だがもし打たれたらどうするのか。
いや、そんなことは考えずに、全力を出せばいい。
このバッターは初球からミートしてくる。
バッターとしての当て勘が優れているのだ。
それも踏まえた上で、最初のボールはスプリット。
懐に入るプリットは、バットには当たったが、三塁側スタンドへのファールフライトなった。
このバッターもレベルスイングに近いアッパースイングのフォロースイングをする。
沈む球でも下から合わせて、フライに出来るのだ。
(厄介なバッターだ)
沈む球を綺麗にフライに打ち上げることが出来る。
ならば違う方法を考えよう。
スライダーを外に外したが、全く反応はなかった。
なるほど、遊び球には意味がない。
(まあ、全然三振しないバッターだしなあ)
樋口のサインに、直史は頷く。
懐に飛び込むツーシーム。
これを打ってきたが、後ろのフェンスに飛ぶファールボールとなった。
見逃していれば、ボールになったかもしれない。
だが打てるところに、しっかりとしたボールが来たら打ってしまう。
なるほど、このバッターの限界はそこにあるのか。
打てると思ったところは打っていく。
だが狙い球を絞れば、もっと簡単にアベレージを高く出来るだろうに。
いわゆる一つの、ボールゾーンにまで手を出す選手とは違うが、ゾーンに来たら狙い球でなくても打ってヒットにしてしまう。
そして失投は容赦なくホームラン。
失投じゃなくてもホームランにしてしまう大介よりは、まだマシとしか言いようがない。
カウントでは追い込んでいる。
あと二つボール球が投げられるので、それを振らせることが出来たら、さぞや楽なものだろう。
実際のところはそんな希望的な観測はしない。
ボール球であっても、打たれる可能性はある。
バックを守っているショートの彼は、そういう球を打つのが超得意である。
とりあえずまた一球、外に外れていくスライダーを使う。
全く反応せずに見送り。際どい球ですらないと、あっさりと見極められていたのだ。
これで平行カウントになったので、出来れば次で決めたいところである。
打てる球を打つ。
実にシンプルな考えのバッターである。
ここで内角へのツーシーム。
わずかに体を引いたが、外れてボールとなる。
フルカウントになった。
ストレートを投げる。
なんとなくバッターの直感を持つ者は、それが予測できた。
だが同時に、そのストレートは打てないのではとも思った。
球数に余裕がある。
それがなんと素晴らしいことか、終盤まで縛りプレイをしていたことが、ここで活きてくる。
このバッターの幻惑に失敗していたとしても、打たれるのはソロホームラン。
次のバッターに対しても、そのまた次のバッターに対しても、まだ勝負することが出来るだろう。
二点を取られる前に、この残りの球数で勝負する。
勝てる確率はどれだけ高いだろう。
ゆったりとした力感のないフォームから、肉体の全てが連動して加速する。
そして投げられた球は、ストレート。
打てると思ったサンダーは、その自分の判断が誤りであったことに気付く。
だがこの加速してしまったバットは止められないし、軌道の変更も出来ない。
空振りしたバットの上を、ボールが通過した。
ゾーンから外れた、ボール球がミットに収まった。
ストライクスリー。
現地の放送ではアナウンサーが叫ぶ。
スリーアウト。ゲームセットである。
よっこらせ、と樋口が立ち上がる。
笑顔でマウンドに駆け寄ってくる他のナインと違って、直史は気が抜けて疲れた顔をしていた。
野球は頭で勝負するスポーツだと、直史は強く主張している。
確かに今回も、脳に糖分を補給するのが、大変だったはずである。
直史は帽子を取ると、まずアメリカチームのベンチに礼をして、それからスタンドの三方向に向かって礼をした。
なんでこいつこんなことしてんの、と他の選手は困惑したが、帰ってきたのは万雷の拍手である。
それも立ち上がって、本当に日本の優勝をというか、直史のピッチングを讃えていた。
直史的には理由がある。
試合はもう終わった。
だからここから先は全て、次の大会の前哨戦である。
傲慢な勝者ではなく、謙虚な感謝。
それを示していけば、次の試合でも日本が、観客から敵視されることもないだろう。
喜びの感情を爆発させるのもいいが、だいたいにおいて人間は、謙虚な人間の方を好むものだ。
派手な選手は確かに話題になるが、それがその人物にとって、プレイする上でプラスになるとは限らない。
だが、直史はやりすぎたようである。
球場のスタンドから聞こえてくるのは、あれである。
屋内競技では特に響くあれだ。
「M・V・P! M・V・P!」
「「「M・V・P! M・V・P!」」」
「「「「「M・V・P! M・V・P!」」」」」
WBCにおいてのMVPは、確かに優勝チームのピッチャーが選ばれることが多い。
MLBでもどちらかというと、シーズン最優秀選手は野手が多く選ばれて、シリーズMVPは投手もそれなりに選ばれることもある。
確かに直史は二勝一セーブではあるが、同じチームにチームの得点の四割ほどを叩き出した者がいるだろうに。
「どうしよう、これ」
「知らん」
樋口にも冷たく返される直史であった。
ヒーローインタビューはともかく、記者会見まで大々的に行われるのが、アメリカ流の大会というものだ。
いや別に日本だってあるのだが、あまりマスコミに露出しすぎるのは良くないと、日本のアマチュアでは言われてたりする。
ただ直史は疲れていた。
なので通訳を介するインタビューであったのは、逆に幸いだったかもしれない。
『今のお気持ちを教えてください』
「とにかく疲れきっています。シャワーを浴びて24時間ぐらいは眠りたい」
『決勝は一人で投げきりましたが、それについては』
「気の抜けないバッターばかりだったので、必死で対策は練り上げた。それでも状況によっては判断が必要で、それはだいたいキャッチャーに任せていた」
『決勝での球数はもちろん史上最小で、ヒットもわずかに二本と、完璧なピッチング内容でしたか?』
「完璧ではない。そこに到達するには、球数制限が厳しかった。だけど最善を尽くしたつもりだし、結果が出てよかった」
MVPについては色々と議論が分かれたが、直史が選ばれた。
だが第一ラウンドのMVPは、大介が選ばれた。
そしてベストナイン代わりの12人。
投手が三人に、指名打者が一人となっている。
この12人の中には、直史と上杉、そして織田、咲坂、大介の五人が選ばれることになった。
MVPに選ばれたことに、直史は感想を求められた。
「これはもちろんバックを守ってくれた全員と、そして何よりボールを受けてくれた相棒との間のものだから、出来れば半分に切って彼に渡したかった」
なんともそつのない返答であり、それを聞いていた本性を知る者は、ゲラゲラと笑ったものである。
特に直史の隣にいた樋口は、必死で無表情のまま笑いをこらえていた。
まだ20歳の青年が、史上初めてのアマチュアでのMVP。
さらに言えば日本のアマチュア規定のため、賞金も受け取ることが出来なかった。
賞金の分配金も受け取れず、本当に消耗品と実費のみ。
まさに名誉のためだけの戦いであった。
かくしてWBCというお祭り騒ぎは終わる。
直史にとっては、自分にとって最後の最大のお祭り騒ぎだという認識があった。
ただしアメリカのメジャーリーガーの、本当のトップ層が出てこなかったのは、残念以外の何者でもない。
ちなみに優勝チームのメンバーに与えられる賞金は、直史と樋口の場合、大学の学生奨学金として寄付された。
そこから無料の奨学金となって、二人には渡されることになる。
何者も名目というのは大切なものであるのだ。
「よし、これで大学院に行くまでの生活費は完全に間に合う」
「そういやお前はそうだったか」
樋口は呆れたものであるが、学生にとっては大きな賞金なのであった。
・佐藤直史の決勝における記録
打者29人 被安打二 失策による出塁一 (ダブルプレイがあるため29人)
球数92球 奪三振12個
四死球0 失点0
×××
まだもう少しだけ続くんじゃよ。
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