第14話 代表の意地
ワンナウト満塁で、バッターは四番の南波。
(これで一点も取れなかったら切腹ものだぞ)
パのホームラン王である南波であるが、打率も三割に乗せている。
大介が三番にこだわっているので四番が回ってきたというのは、ちゃんと分かっている。
だがここにいるのは、それでも四番に選ばれたからこそだ。
この場面で一番まずいのは、もちろんダブルプレイである。
だが一塁ランナーの大介は足も速いので、ダブルプレイ崩れの間に一点ということもある。
三塁の樋口もキャッチャーのくせにやたらと速いが、この場面では内野に打てば、まずホームでフォースアウトだろう。
つまり、外野に飛ばすことが絶対条件。
内野の間を抜けていくヒットなど、そんな都合のいいことは考えない。
既に外野はある程度定位置から下がっている。
一点を取られても、二点目は防ごうという腹か。
四番の役目は、チームに勝利をもたらすこと。
ピッチャーはいくら相手を封じても、点を取ることは出来ないのだ。
大介が敬遠や、ほぼあからさまに歩かされた後、それなりに結果を残してきたと言える。
だが決勝でも、この扱いか。
怒りが南波を支配している。
そして南波は、そんな怒りを昇華する方法を知っている。
飛ばすのだ。
フルスイングして、打球を飛ばす。
ホームランだとかどうとかではなく、自分に出来る限界にまで。
相手のピッチャーのデータから、おそらくスプリットで内野ゴロを打たせるか、ストレートで押し切ることを考えているだろう。
だがアメリカ側の選手は、日本のことをそこまでちゃんと調べているのだろうか。
もちろんスコアラーや分析班はいるので、そのあたりの情報もしっかりと得ているはずだ。
しかし選手たちはどれほど、この大会に意義を感じているのか。
自分のピッチングを、自分の一番自信がある球を投げて、それを見てもらうことにしか興味がないのではないか。
MLBの若手というのは、そういうイメージがある。
狙うのはスプリット。
初対戦のこの場面、圧倒的にピッチャーが有利である。
だが状況的に言うならば、何か一つでもエラーが出たら、確実に一点が入る。
三振か内野フライ。それ以外は点が入ると覚悟しなければいけない。
ピッチャーは球威で押して三振か、あるいは内野フライに打ち取りたい。
だがだからこそ、スプリットを使って目をそちらに向けさせる必要がある。
(ボールのゾーンに落ちてくるスプリットを、ゴルフスイングでぶっ叩く)
明らかなボールゾーンであっても、それを上手く外野フライにするぐらいは出来る。
データはしっかり入っている。ただ問題は、データと現実の差異だ。
一球目からスプリットを使ってくるなら、それを見てイメージとアジャストして、二球目のスプリットを打つ。
二球目以降からは全部ストレートを投げられたら、それは打てない。
だが全てをストレートにしない方法を、南波は考えついている。
もっともそれもまた、駆け引きであり賭けではある。
初対決はピッチャーが有利。
そう考えれば、メジャーリーガーなら自分の自信のあるボールで勝負してくる。
そこまで見抜けば、あとはもう分かる。
初球はスプリット。ストライクからボールのゾーンへと落ちた。
そして二球目の伸びるストレートは、高めに決まった。
三球目はまたストレートで、南波はそれをフルスイングした。
これでストライク先行。あと一球で三振が取れる。
だが、今のフルスイングをどう見た?
メジャーリーガーは自信家であるが、同時にこの場面では、絶対に南波を抑えたいはずだ。
ならスプリットで三振させるか、最悪でも内野ゴロを打たせる。
これがシーズン戦なら強気でいけるかもしれないが、メジャーリーガーのとってはさほど重要な大会ではない。そこがまたむかつくところだが。
そのあたりの選手の、性格の傾向まで押さえたあの資料はどこからもってきたのか。
そして投じられるスプリット。
南波はそれを完全に掬い上げた。
完全に掬い上げすぎたせいで、高く上がりすぎもしたが、それでも飛距離は出ている。
(四番なら、何が何でも一点は取らないといけないだろ)
一塁の手前まで歩いてきたが、一塁と二塁のランナーはすぐに帰塁出来る位置にいる。
三塁ランナーの樋口だけが、しっかりとタッチアップの姿勢である。
フェンスのほんの手前で、センターがキャッチする。
強肩ではあるが、それでも助走を使えず、樋口の足なら充分。
ノースライで駆け抜けて、まず先取点が入った。
一点が入った。
そして日本応援団は、あのセンスのかけらもない歌を歌いだす。
『佐藤が投げるなら、一点あれば大丈夫』
まさにセンスの欠片もないが、本当に簡単に憶えられる歌である。
まだランナーは残塁していたが、とりあえずこれで一点。
「一点か。厳しいなあ」
攻守交替で、よっこらせとベンチから立ち上がる直史である。
この回はまたヒット一本を打たれたものの、ツーアウトからだったので問題はなし。
最後には三振を取って、またバックスクリーンに0の数字が浮き上がる。
この回は一本ヒットを打たれて、12球を投げた。
六回を投げた時点で、球数は53球。
残り三イニングで、47球を投げられる。厳密に言えばもう少し多いが。
アメリカチームはやや待球策を取って来たが、はっきり言ってその判断は遅すぎる。
「水柱さんにビンタくらっても仕方のない遅さだなあ」
直史の呟きにうんうんと頷いている者が何人かいるあたり、プロ野球界にもオタクが増えているということだろうか。いや、そんなマイナーなネタでもないが。
七回の表の日本の攻撃は、またも代わったリリーフピッチャーに封じられた。
一応ヒットは一本出たのだが、自分の打席が回ってきた樋口が、完全にキャッチャーモードに入っていて、あっけなく三振をしたのだ。
切り替えが早い。これこそまさに判断の早さである。
残り三イニング。
クリーンナップの三番から始まるこの回、アメリカは点を取れないとまずい。
そう思うかもしれないが、日本代表と同じく、下位打線にも三割超えのバッターが揃っている。
ただここは、少しは球数に余裕がある。
(球数制限を計算に入れないといけないだけで、本当に全く別のゲームになるもんだな)
直史はそんな呑気なことを思いながら、見送り三振と空振り三振を取った。
そして積極的に振ってきた五番打者は、ピッチャーゴロでアウト。
合計12球である。
畏怖や畏敬の視線が集まる中で、バッテリーは正しく状況を判断している。
「打たせていって方が良かったな」
「あのクソ審判、絶対に買収されてるぞ」
樋口の口が悪くなっているのは、明らかにストライクゾーンが狭くなったからだ。
三番と四番への球数を、一球ずつ多く使わされた。
理由はどうあれ、低めのストライクゾーンがやや狭くなっている。
もっともそれをアメリカの選手は、まだ気付いていないようであるが。
審判の独断ならともかく、チーム全体が関与しているなら、アメリカは自由と正義の国というスローガンを捨てるべきである。
「まあWBCは最初の大会から明らかに、アメリカ有利で進んでたからな」
リーグ戦の組み合わせなど、強豪とは終盤まで当たらないようにされていたり、日本が同じチームと三度も対戦したりした。
そこまでやって決勝にも残れなかったのだから大笑いである。
だがこの、色々と制限されていた試合も、終盤である。
「ここからは全力で行くか」
「分かった」
残り二イニングで、35球を投げられる。
もう打たせて取る必要は、ほとんどないと言ってもいい。
だが二人の計算とは別に、この試合にフラストレーションを溜めている者もいる。
この試合、四打席目の大介。
状況はツーアウトでランナーなし。
もし歩かせたら先ほどは大きな当たりを飛ばされた四番である。
ヒットは数本出ているものの、日本のピッチャーは安定して崩れない。
一点を帰すのが厳しい。
だからといって、安易に大介に力押しはだめなのである。
初球のストレートを叩いたら、打球がスクリーンの上まで飛んで越えていった。
あれって越えられるものなのか!? とメジャーリーガーを呆然とさせる場外ホームラン。
(まあ二点あればいいだろ)
それにこの場外は、おそらくアメリカの心を折った。
WBCにおける大介の成績は、39打席24打数19安打。
ホームランは六本、打点は30点を記録している。
笑えるのが安打の内容で、単打、二塁打、本塁打が六本ずつで、三塁打が一つ。
狙っているのか? と言われそうな数字である。
もちろん大介が狙っているのは、常にホームランか打点のつくヒットである。
日本のプロ野球選手は、さっさとメジャーに行ってくれと願っているのだが、メジャーリーガーは逆のことを思った。
来るにしても俺が引退した後にしてくれ、というものである。
WBCは確かに、リーグ戦では弱い国と当たることもある。
だが大介は決勝トーナメントの三試合で、11打数の八安打、三ホームランなのである。
一試合に一本の割合でホームランを打つ打者など、ピッチャーにとっては最低の悪夢である。
なお大介は日本シリーズにおいても、実は一試合に一本の割合でホームランを打っている。
お祭り男の面目躍如である。
ベンチに帰ってきた大介に対して、左手を上げる直史。
バカ力のハイタッチで手が痺れては困るからという、繊細なその思考は相変わらずだ。
「二点あれば充分だろ」
「まあ、心は折れたかもしれないな」
直史としてはやはり、六点ぐらいはリードはほしい。
だが口にしなくなっただけ、彼も大人になったのだろう。
……大人ってなんだろう?
続く南波はもう役目は果たしたとばかりに、呆気なく三振して戻ってきた。
いくらなんでも大振りしすぎである。
とりあえず八回の裏の、アメリカの攻撃が始まる。
残り投げられる球数はあと、35球。35球しかないのだ!
おそらく足りないと思っているのは本人だけで、樋口でさえも充分と思っていそうだが。
六番バッターから始まる回だが、全く油断できないのは分かっている。
ここでもブレない直史は、よりホームランの可能性だけを潰していく。
スルーやスプリットを、低めに投げる。
あるいはカットボールを使って、内野ゴロを誘う。
そんな内野ゴロを打たせるようなボールでも、外野に運ぶのがさすがと言うべきか。
幸いにも野手の正面だったので、イージーなフライにはなったが。
(上手く掬ってくるなあ)
下手に打ち損じを狙うのだ、危険である。
打ち損じてもパワーで持っていってしまうという、そういうパターンであるのだ。
必要なアウトは、あと五つ。
二点を取られる前に、あと五つのアウトを取る。
使える球数は、今三球使ったので、残り32球。
球数制限さえなければ、余裕の数字なのだが。
正確に言うと、既に対戦しているバッターに対しては、その打席の途中に球数制限にかかっても、そのバッターにだけは投げられる。
つまりあと31球以内で、四つのアウトを取ればいい。
(ここからは制限なしでいく)
(了解)
アメリカチームもここに来て、守備にめを瞑った打力選手を代打で出してくる。
逆に言うと守備に難があっても代表に選ばれるだけあって、その打力には定評があるのだろう。
だがどれだけ鋭いスイングであっても、当たらなければどうということもない、
スルーを完全解禁する。
そしてカーブを上手く使ってカウントを整え、確実に三振を奪う。
続く八番にも代打が送られてきたので、しっかりと料理する。
小さく動くスプリットで、最後に空振りを取った。
この回は14球を使い、三振を二つ奪った。
これであとは20球を使って二人を打ち取れば、最後の打者には何球を投げてもいいわけだ。
ホームランはまずいが、それ意外なら守備でなんとかしてくれる。
だが直史は希望的観測はしない。
頼りにはするが、それとは別に自分でも全力を尽くすのだ。
九回の表にも日本の攻撃があったが、ここでの追加点はなし。
二点差のまま、アメリカの最後の攻撃に移る。
まさかこんな試合になるとは。
何度もパーフェクトをしていたピッチャーと言っても、それは国内での話。
国際試合にそんなことが出来るとは思っていなかった。
それに一イニングを投げたキューバ相手ならともかく、オーストラリアの実力はさほどでもなかったのだ。
初回からヒットが出て、打てると思った。
だが実際にはヒットを打たれてもエラーがあっても、絶対にホームベースは踏ませない。
奪三振も多いピッチャーだと言われていたが、この試合では比較的に少なかった。
だからいつかは捕まえられると思ったのだ。
それがこれはなんだ?
ヒット二本が出たのはいいが、ほとんどが打たされている。
実際にはピッチャーには、狙った場所に打たせる技術などは存在しない。
だがゴロかアウトか、どちらかになりやすい方法は存在するらしい。
そしていざとなれば、確実に三振を奪いにくる。
どこからどこまでが計算であったのか。
もっと打つのが難しいピッチャーなら、初回からもっと慎重にいったろう。
だが初回のヒット、その後も三振が少なかったことで、雑な積極さが出てしまったのか。
どこで修正するべきだったのか。
少なくとも日本が先取点を取った時点では、何かをする必要があったのだ。
そして追加点を取ってから、あのピッチャーは変わった気がする。
これまでの球にはなかった、ストレートの球威に変化球の鋭さ。
八回にはこれまで投げてなかった球種も使って、確実に三振を奪いにきてくる。
そして実際、三振に倒れている。
体力的なものか、それとも作戦なのか。
いや、やはり上杉が投げられないということなのか。
上杉がいれば、ここまで温存せずに、もっと早い段階で代わればよかった。
それが記者の話では、普通にキャッチボールもしていたという。
二点ははワンチャンスでの逆転がある。
それでもこの二点差は、とてつもなく遠いものに思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます