第13話 その日

 WBC第二ラウンド決勝トーナメント決勝戦。

 微妙に日本有利になりやすい日程だったのだが、アメリカはしっかりとピッチャーの球数を計算し、全員がフルで投げられる状態になっている。

 調子をやや落とした者もいるが、それも計算の範囲内。代えの選手の準備は出来ている。

 選手のモチベーションは、それほど高くもない。

 それはトップレベルの選手がほとんど参加していないということで、アメリカ自体はこの大会に、そこまでの情熱を抱いていないと分かるのだ。

 もちろん一般の野球ファンは、若手中心とは言え各球団から選手を集めたこのチームを、アメリカ代表として応援はしている。

 そういった応援を考えると、気のないプレイは出来ないなと考える、プロフェッショナルの集団である。

 特に3Aの選手などは、ここで活躍することが、メジャー昇格への近道だとも理解している。


 そんなアメリカの分析に時間をかけた直史は、瑞希に会う暇もなくて、そこはやや不機嫌であった。

 直史が不機嫌であると、その苛立ちは対戦相手にぶつけられるので、悪いことばかりではない。

 決勝戦は現地時間で18時から。日本ではおおよそ午前10時から生放送である。


 メジャーで年俸が2000万ドルも3000万ドルもする長期契約の選手は、基本的に怪我をした時の損害を考えてなかなか出場出来ない。

 そして日本チームにしても、今回はメジャー組を集めていないし、柳本のようにメジャーに行ったばかりの者や、タイタンズの荒川のように特殊な事情で、参加していない者もいる。

 キャンプをたっぷり使って調整するベテラン組も参加していない。

 それでも日米両国の若手有望株などが集まっているため、世界的な大会としては、一番レベルが高いものであると言えよう。

「そんな中でアマチュア二人がスタメンっていうのも、なかなかにすごいものがあるな」

「今さら何を」

 呑気すぎる直史の言葉に、呆れる樋口である。


 決勝だけあって雰囲気が違う。

 西海岸最大の球場に、満員のベースボールジャンキーたちが集まっている。

 日本からの応援団も一角を占めているが、まずまず全体的にアウェイと言ってもいいだろう。

 だがライガースと甲子園で対決することに比べれば、ファンの応援もおとなしいものである。

 比べる方が悪いとも言う。




 決勝戦だけあって最初にきっちりと整列し、両国の国歌が流れる。

 そしてMLBではなく世界野球ソフトボール連盟(WBSCのお偉いさんが始球式をしてくる。

 織田が空振りして、場内から拍手が上がる。


 日本は先攻を取れた。これで一回の表に大介が放り込んでくれたら、かなり相手をするのは楽になるのだが。

 あちらの先発が101マイルを投げると言っても、その程度なら大介は軽々と打ってきたのだ。

 先頭打者の織田はボールを見ながらも、出塁のことを考えている。

(甘く見られてるな。ここまでの試合の様子を見なかったのか?)

 だがナチュラルに油断しているのなら、その間に決定的な一打を決めてしまおう。


 二球目から積極的に打ちに行ったが、手元で鋭く変化した。

 カットボールだ。バットの根元に当ててしまい、イージーなファーストゴロとなる。

 球速表示を見れば、今ので155kmが出ていたのだ。


 なるほど、上杉の劣化品だ。

 それでも日本の打線のほとんどを打ち取るには充分すぎるだろう。

 二番の咲坂には変化だけを伝えた。

 そして大介には、彼にしか出来ないことを言う。

「勝負は一撃。ホームランを狙って打て」

 大介以外は、連打で得点することも難しいだろう。


 試合前のミーティングでは、直史は三点あればどうにか完投するなどと言っていた。

 だが織田には良く分かっている。

 あいつは一点あれば大丈夫な場面でも、保険として大言壮語は吐かないタイプだ。


 ベンチの中で直史は、日本打線の攻撃を見ている。

 相手のピッチャーはメジャー経験のある3Aらしいが、カットボール以外に優れた変化球はない。

 大介なら打てるはずだが、ここはまだその時ではないだろう。

 咲坂に続いて、大介もまた内野ゴロ。

 相手ピッチャーの得意なカットボールに、翻弄された形となった。




 必要なのは勝利だ。

 その絶対条件を満たすのに必要なことを、直史は考える。

 パーフェクトピッチなどというものは必要ない。

 ノーヒットノーランさえも必要ない。

 味方が一点を取ってくれれば完封に封じ、味方が二点取ってくれれば、一点以内に抑える。

 簡単なことではあるが、球数制限が厳しい。


 完投する必要がある。

 そのためには、相手に粘られてはいけない。


 マウンドに登って、丁寧に整地する。

 投球練習はボールではなく、地面を気にして行う。

 大丈夫。いつも通りだ。

 楽しいピッチングの時間の始まりだ。


 先頭バッターを二球で内野ゴロに打ち取る。

 次の打者が右方向に痛烈な打球を打って、ライト前のクリーンヒット。

 あっさりとパーフェクトもノーノーも消えた。

 普段の佐藤直史とは違う、ランナーを出してしまうピッチング。

 しかし全て計算通りである。


 続く三番も二球目を打ったが、ショート正面のゴロ。

 6-4-3のダブルプレイで、結局は三人で終わらせた。

 計算通り。予定の範囲内。

 島野と一部のコーチ、そして大介には話してある通りに、試合は進行している。

 一回の裏にさっそく、6球という球数のイニングを作れたのは大きかった。


 日本代表の多くが、直史が初めてヒットを打たれるのを見た。

 こいつも人間だったんだなとは思うが、それでもそこで崩れなかった。

 下手な記録にこだわって、そこで集中力が切れるピッチャーではない。

 だがクリーンヒットを打たれるのは、やはりピッチャーとしての限界はあるのだ。




 二回の表には日本も初ヒットが出るが、後続が続かない。

 何も期待していなかった直史は、樋口と視線だけを合わせた。

 そして二回の裏のピッチングを開始する。


 先頭の四番打者への初球は、高めに浮いたストレート。

 ずいぶんと高く上がったが、ファーストフライであった。

(この調子、今の内に)

 五番バッターのピッチャー返しは、大介の守備範囲内だった。

 完全にヒット性の当たりだが、ショートゴロにしてくれた。


 おそらくこれを見ている応援団や視聴者は、直史の調子が悪いと思っているだろう。

 その感想は正しい。

 表面的に見れば、そうとしか見えないだろうからだ。


 六番バッターに打たれたフライは、外野の奥にまで飛んで行く。

 不味いかなと思ったが、織田が追いついてくれた。

 これでこの回は、三者凡退となった。

 ただし三振が一つもない。

(これは球数は楽でも、精神的にはキツイな)

 ただしこの回、四球しか投げてはいない。


 ベンチに戻った直史は、無表情であるが深く息を吐いた。

 同じように深く息を吐き、樋口はプロテクターを外す。それを手伝うのは上杉正也である。

 この回には打順が回ってくる。

 直史の隣に、上杉がやってきた。

「わざとか?」

「はい」

 壮行試合においては日本代表はやらなかったし、やっても意味がなかったこと。

 だがこのWBCの舞台であれば、意味のある手段がある。

 それをさせないために、必要なことだ。

 センターがバックしなければいけない所まで打たれたのは、計算外であったが。


 この試合において直史は、他のピッチャーを誰一人信用していない。

 投げられない上杉にだけは、協力してもらうため話してあるが。

 九回が終わった時点で、日本がリードしていること。それが直史の勝利のための絶対条件。

 極端に言ってしまえば、一点しか取ってくれていなければ完封するし、二点取ってくれていれば一点以内に抑える。

 だが無得点だけはどうしようもない。


 三回の表も日本の得点はない。

 クラッチバッターの樋口も、得点機会ではないこの場面では、ヒットが出ない。

「あと七回か」

 無表情のまま直史がマウンドへ向かう。

 誰にも知られないように、こっそりとこの試合を支配するために。




 七番バッターがサードライナーに倒れ、八番バッターからようやく最初の三振を奪う。

 九番バッターにもまた、内野フライを打たせた。

(思ったよりもストレートで空振りが取れないな)

 この試合に限っていえば、むしろそれはいいことだ。

 だが九番であってもストレートにアジャストしてくるのか。


 変化球を使うのはいい。

 ただしフライを打たせるためのストレートが通用しにくいとすると、プランは見直さなければいけない。

 だがこの三回もなんだかんだ言って、球数は九球に抑えている。

 アメリカ側は気付いていないか、そもそもその可能性自体を無視している。

 もちろんそれはそれで、こちらにとってもありがたいことだ。


 実は球数制限には、例外が一つだけある。

 バッターと対戦している時に球数制限に達した時だけは、そのバッターの打席が終わるまでは、ピッチャーはマウンドに立っていてもいいのだ。

 極端な話、九回ツーアウトを取ったところで、球数が99球であった場合。

 ラストバッター相手には10球を使ってもいいのである。

 まあいくらなんでもカウントの途中でリリーフをさせるというのは、ピッチャーにとって酷だという話である。




 四回の表も、アメリカ代表のピッチャーは交代しない。

 100球まではともかく、五回ぐらいまでは投げるつもりなのだろう。

 MLBにおいては、先発の球数が厳密に守られているので、リリーフ陣が日本よりも豪華になる。

 クローザーの質まで考えると早めに点を取っておきたいと考えるのだが、クローザーの特徴を考えてみれば、むしろ打ちやすいとも言える。


 クローザーに必要なのは、奪三振の能力だ。

 これはリリーフ陣にもある程度同じことが言える。なぜならピンチの時に登板を果たすことが多いからだ。

 最も確実にアウトを取る奪三振の能力は、平均的に相手を抑える先発よりも、より求められている。

 だがそういったクローザーのストレートなどは、大介の大好物である。


 この回、二打席目の大介はクリーンヒットを打ったが、一塁に残塁である。

 盗塁を仕掛けなかったのは、まだここが勝負どころとは判断しなかったからである。

 試合は微妙に、動きそうでありながら動かない。

 完全に投手戦の様相を呈しているが、アメリカの先発は圧倒的に球数が多くなっている。


 三回までほぼ完全に抑えながらも、打線が無援護。

 不貞腐れるピッチャーがいてもおかしくないところであるが、直史はそのピッチャーとしての起源から、打線の無援護には慣れている。

 どうせ大介が最後には一本打ってくれるだろうと思えば、それまで耐えればいいだけである。

 もしチャンスに回ってくれば、樋口も打ってくれるだろう。


 この回もボール球を振らせる三振と、イレギュラーによるエラーが発生した。

 ランナーが初めて三塁に進んだが、ツーアウトからなら三振に取ればいい。

 13球も投げてしまって、奪三振も二つあった。

 まずい投球内容だ。

 今日の課題を考えるなら、三振するまでに打たせて取るのが正しいのだ。




 ベンチに戻ってきて、どっかりと座る。

 そして樋口と並んで、糖分の摂取とスポーツドリンクで水分と塩分も補充する。

 からっとした空気だけに、思ったよりも水分を失っているはずなのだ。

「まずいな」

 樋口は分かっている。

「一桁の回を、あと二つは作りたいな」

 直史も分かっている。


 アメリカは早打ちをやめてきた。

 あれだけヒットやいい当たりを打たせたのに、慎重になってきているのだ。

 なので最後には、三振でアウトを取らなければいけなくなった。


 五回の表、樋口は自分まで回るかと、レガース以外を外しておく。

 だが目の前で八番打者が打ち取られて、結局は無駄になってしまった。

(先取点がほしいな)

 樋口としては、さすがにこの試合はリードに専念したい。

 だがアメリカの先発を打ちあぐねている。

 なおこの時の先発は、三年後にサイ・ヤング賞を取ることになるのだが、それは未来の話である。


 五回の裏。

 先頭打者を初球チェンジアップで、セカンドゴロにしとめた。

 いい感じの入り方であったが、やや待たれて打ったような感じがする。

 今の凡退はただのボーナスだなと、切り替える直史である。

 続く打者は、追い込んでからボール球を振らせることに失敗。

 ここでやっとスルーを使って、またも三振である。

 三つ目のアウトはファールフライをサードがキャッチした。


 上手くいった。

 一桁の球数に、また成功している。

 だが次の回からは、上位打線の三巡目である。

 それをツーアウトの場面で対応できたら、むしろありがたいのだが。




 六回の表、これが大事だ。

 アメリカは球数制限まではやや余裕があったのだが、回の頭ということで、ピッチャーを交代する。

 防御率が平気で2以下のような、点を取られないリリーフ陣。

 まだしもリリーフなら代替がいるということで、アメリカチームにおいて一番層が厚いのは、このリリーフ陣であろう。

 このあたり中継ぎ投手に対する、首脳陣の軽視が見て取れる。


 代わり端であるが、リリーフのピッチャーはそれよりもひどい、自分の責任以外のランナーがいるところから、登板を命じられることも多い。

 なのでこの立ち上がりが悪いことに期待するのは、あまりに都合が良すぎるだろう。

(三振を取る力が高いんだよな)

 そうは言っても、狙えば打てる。


 ストレートだけに絞っていた。

 上杉の高校時代と同じぐらいには速い。

 そのボールをセンター前に叩き返し、樋口は一塁に出た。

 やはり、打つべき時に打つ男である。


 ランナーをためて大介で勝負。

 シーズン中と同じことを島野は考えるが、果たしてアメリカのピッチャーは大介と勝負してくるだろうか。

 するだろうな、と思う。

 大介がいつも自嘲的に言っていた。

 170cmもないスラッガーから逃げるなら、そいつはメジャーリーガーではない。

 NPBにおいてはもう、どうしようもない状態となっている。

 大介と勝負することは、確率的には必ずヒットになるのと同じことだ。

 だが点を取らせないというなら、シーズン中ならやってくるだろう。


 送りますか、と織田が視線で尋ねてくる。

 それはまずい。大介の前で塁が空いていたら、歩かせることを前提としたピッチングになる。

 織田に出されたサインは、出塁重視。

 そして織田はそれに応えて、フォアボールを選んだ。


 ノーアウト一二塁。

 ここから点が取れなければ、よほどの無能采配である。

 ただもし送りバント成功で二三塁にした場合、大介の敬遠される可能性が高くなるということだ。

 ただそれでも、ワンナウト満塁。

 いやワンナウト満塁であると、むしろゲッツーが取りやすくなるが。


 向こうの監督が何を考えているのか。

 せめてワンナウト一三塁ならば、大介を敬遠する可能性は低くなるが。

 ここでも歩かせてノーアウト満塁ともなれば、どうなるか。

 さすがに敬遠しては押し出しになるので、その選択はありえない。

(好球必打やけど、球数を多く投げさせて)

(了解)

 八球を投げさせた後、咲坂はファーストゴロに倒れたが、進塁打にはなった。

 そしてワンナウト二三塁で、バッターには三番の大介。


 問答無用で、即座の申告敬遠がなされた

「まあそうなるわな」

 大介はここまでの試合で、八割近い打率を残している。

 さらに長打力も考えれば、勝負を避けるのは当たり前だろう。


 ワンナウト満塁で、バッターは四番の南波。

 意外と点が入らないこともある状況で、日本代表の四番に回ってきた。

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