第10話 波乱の前兆

※ プロ編でライガースキャンプのお話があります。


×××


 WBC決勝トーナメント二日目。

 日本は一日お休みである。

 この日も二試合が行われて、世界の四強が決まる。


 日本代表は練習をしつつも、テレビ中継を見る間は、それを休みとする。

「大会中なのに練習をしっかりするって、ちょっと俺には分からないんだけど」

 普段は死ぬほど練習もトレーニングもしている直史が言っても、あまり説得力はない。本人も隠していないし。

 ただし任意の参加と言われたので、直史は朝に軽く調整をしただけで、ロスの市街に繰り出すことになった。

 そうは言っても別に遊ぶわけでもない。

 軽く街の中を流した後は、瑞希と一緒にスタジアムで試合を見る。

 

 一応第一ラウンドのリーグ戦では一位通過したアメリカである。

 対戦相手はプエルトリコで、メジャーリーガーを輩出していて、この大会にも参加している。

 本来なら野球発祥の国として、レベルの高い野球をするのがアメリカだと思っていたのだが、やはりトップのメジャーリーガーよりは落ちる。

「なんだか……あまり上手くないと言うか、身体能力で無理矢理捕ってる感じがするんだけど」

 瑞希はワールドカップも見ていたが、あの時はまだ高校生ということもあり、技術の巧拙はこれから伸びるのだろうと思っていた。

 だがここに出てくるのは、メジャーとマイナーを往来しつつも、メジャーの体験がある選手である。

 それがまだ経験不足の選手なのだとしたら、日本の守備のレベルはどれだけ高いのか。


 だが直史としては、その意見には同調出来ない。

「アメリカの野球には、もちろん技術の上手い下手はあるんだけど、それ以上に大切なことは、スピードと正確さだからな」

 日本人の選手に比べると、基礎とも言えるような動作はしない。

 だがとにかく速く正確であるという結果さえあれば、その過程は無視してもいいのである。

 もちろん守備の専門家になるような選手もいるが、アメリカのメジャーリーグベースボールは、高度な技術と粗い技術が、ほんの少し隣にあったりするのだ。


 丁寧な技術を教える日本のやり方では、絶対に間に合わないタイミングを、身体能力で無理矢理にアウトにする。

 それもまたアメリカの野球の一面であるのだ。

 だからと言って技術を軽視するわけではなく、上手い選手は本当に上手い。


 日本の伝統的な守備である、正面で捕れだの体で止めろなどというのは、古いというか合理的でない。

 グラブの使い方やその角度、またどのタイミングでキャッチするかなど、根本的なところを教えていなかったりする。

 なので日本人が日本人の野球を見れば、それが上手い守備であると勘違いするが、たとえば大介などは、とにかくアウトにするために打球に跳びついていた。

 身体能力が高ければ、基本だけでは絶対に出来ないプレイが出来るのだ。

 もちろん無茶なプレイで怪我をする可能性もあるが、そこで怪我をしないのもまた、身体能力である。


 アメリカのプロスポーツ選手、特に四大リーグの選手は化け物揃いである。

 そう言うと武史は「ラリー・バード!」と身体能力の高くなかったレジェンドを上げてくるのだが、あれは頭脳が化け物である。

 その基準だと直史も立派な化け物になってしまうので、常識人を気取る直史としては、身体能力が化け物なのは天才、頭脳が化け物なのは秀才型と、無駄な努力にも似た分類をしている。




 ロサンゼルスは横に長い街だと言われる。

 ニューヨークの摩天楼に比べると、それほどの高層ビルは本当に中心街にしかない。

 そしてここでも車の免許は必須である。

 治安はそれほど悪くないなどと言われるが、日本の大概の場所よりは絶対的に悪い。

 これがまた直史の、アメリカが嫌いな理由なのである。


「まあ私も本拠地はニューヨークですけど」

 二人を連れまわすセイバーは、そもそもが経済というか、市場原理の鬼である。

 ショービジネスやエンターテインメントにも資金投入はしているが、本業ではない。

「将来的にはアメリカに住むつもりなんですか?」

 直史としてはセイバーのメンタリティがどうなのかは、少しだけ気になるところである。

「アメリカのどこに住むかにもよりますけどね。近年はネット環境があるので、家から一歩も出なくてもどうにかなりますが、正直なところ家にずっといると子供にかかりきりになるので」

「ああ、幾つになったんでしたっけ?」

「この間二人目が生まれました」

 また女の子だったようで、どうやって男を育てるべきか分からないセイバーとしては安心だったそうな。


 ロールスロイスを使ってロス市内を巡るわけだが、ほとんど観光客のノリである。

 ハリウッドなどもあるのだが、別に二人はそういったところには興味はない。

 二時間もあれば本が一冊読めるわけで、評価が確定した映画を家で見ればいいというタイプだ。


 アメリカのいいところのプレゼンをするつもりであったセイバーなのだが、考えてみれば自分はあのジメジメと寒いニューヨークが本拠地であり、ロスは仕事でしか来ることはない。

 ただ球団経営に少しでも関われるのは、西海岸の方が多い。

 それにセイバーにとっては暮らしやすいところでも、アジア系が暮らしやすいところではなかったりするので、アメリカはアジア人には住みにくいかもしれない。

 だが金があれば別である。

「ニューヨークでやってくれるなら、もっと色々と案内案内出来るんですけど」

 セイバーの本拠地は、本来は東海岸だった。

 金融やショービジネスの世界も、ロスは確かに大きいが、ニューヨークもそれ以上に大きい。

 関わっていたボストンの球団も東海岸であるし、アメリカは一つの国であっても、地域性が違うのだ。

 もっともそれはどの国であっても、そこそこ国土が広ければ同じなのだろうが。




 セイバーは直史の才能を、最も異質なものだと思っている。

 MLBのピッチャーで言うならば、グレッグ・マダックスが一番近いのかもしれないが、マダックスよりもさらにスピードと球種があり、コントロールも優れている。

 今のMLBではさらにフィジカルの向上が言われており、現在はおろか一昔前でももう通用しないタイプだと言われているが、MLBのピッチングに新たな価値観を導入できるだけの、特別な存在だとは思っている。

 だが直史は、プロの世界には来ない。

 MLBどころかNPBでさえ、彼にとっては別世界のことなのだ。


 直史をプロの世界へ誘える人間はいない。

 たとえば恩師である存在、そう言ってしまえばいささかうぬぼれかもしれないが、自分や秦野、そして恩人という意味ではジンなどを動かしても、プロへ進ませることは出来ないだろう。辺見は論外である。

 人間関係ではなく、金ならばどうかと思う。直史は別に金で動かない人間というわけではない。

 ただプロスポーツの世界で手に入れる大金には興味がないというか、不確実であるとはっきり言っている。

 名誉、名声、自己承認欲などといってものはどうだろうか。

 直史は名誉や名声を、それなりに大切にする。だがそれを得るためにかける労力は限定している。

 それに野球によって得る名誉や名声には、それほどこだわりがないように思える。

 権力で無理矢理動かすのは論外である。そんなモチベーションを保てない方法で動かしてもプロでは……それなりに通用してしまうかもしれないが、セイバーの求めるレベルのピッチングはしないだろう。


 金でも女でも名誉でも権力でも動かない。

 おそらく一番動かせる可能性があるのは、人間関係なのだろうが、直史を動かせる中で、直史にそれを勧める者はいない。

 瑞希などもおそらくは、ある程度直史の活躍は見たいのだろうが、だからと言ってプロに進むようには言わないだろう。

 プロに進んでもいいかと直史に言われたら賛成するだろうが、彼女が自らそんなことを言うことはまずありえない。


 手詰まりだ。

 せめてあの壮行試合で、大介に打たれていれば、まだ野球の世界でやるべきことが残っていると思ったかもしれない。

 だがあの勝負は、セイバーの目から見ても、直史の完全な勝利である。

 一度も逃げず、一度も打たれず、四度目の勝負で勝った。

 直史の野球自体が好きだという姿勢は、確かにあるものなのだが、そのために他の何かを犠牲にしようとまでは思っていない。

 神様はどうしてこういう人間に才能を与えるのかとも思うが、直史の練習を知っているセイバーは、これが単なる才能であるとは思えない。


 直史は、執着心が強く、完璧主義者で、凝り性だ。

 これが野球の、ピッチャー以外のポジションでも発揮されたかというと、あまりそうとは思えないセイバーである。

 ピッチャーをするために生まれてきた。

 そんな人間だとは思うのだが、そこに「プロの」という言葉は付いていないのである。




 ナイターの準々決勝は、ホテルで観戦した。

 メキシコが勝利して、アメリカとのお隣さん対決である。

 まあ極端なことを言ってしまえば、日本は海があるので、キューバとさえお隣さんになってしまうのかもしれないが。


 あちらの山からアメリカが来るのかメキシコが来るのか、それはどうでもいい。

 まずは目の前のキューバである。

 リーグ戦での対決では、ボコボコに粉砕した相手であるが、二人のピッチャーが合流している。

 MLBでまだ23歳でありながらローテーション投手となっているメンデス。最速164kmのサウスポーであり、奪三振率が極めて高い。

 それでいながらカットボールでボテボテの内野ゴロも連発して、圧巻のピッチングを見せている。


 もう一人はデスパイネ。こちらはMLBのセーブ王を毎年争う選手であり、まだ24歳とこれまた若い。

 球速はMAXで166kmを投げるというが、上杉に比べたら普通であるし、上杉よりも球種が少ない。

 緩急をつけるチェンジアップと、スプリットの計三種類しかないのだ。

 

 確かに対戦するのは厳しいチームである。

 だが本質的な問題はそこではない。

 キューバが何を目的としているかだ。


 決勝戦で投げるためには、球数を50球以内に抑えなければいけない。

 だが屈辱的な大敗を喫したキューバは、せめてもの雪辱を果たすため、決勝で投げられなくても仕方がない50球以上、この強力なピッチャーを使ってくるかもしれない。

 全く点差がついていない状態であれば、上杉を50球以上使ってしまい、決勝で投げられなくなるという可能性もある。

 キューバの打撃力は甘く見てはいけない。

 上杉だからこそ、そしてあんな短いイニングだからこそどうにかなったのであって、ある程度の失点は覚悟しなければいけないだろう。

 あるいは……また直史を酷使するか?

 本人は平気な顔をしているが、直史を使いすぎることは、プロのピッチャーにとっては屈辱だろう。

 でもお前らよりいいピッチャーなんだから仕方ねーじゃん、とは言えないのが島野の辛いところである。




 ミーティングでキューバ戦を考えて作戦を立てる。

「まああの程度なら普通に打てるだろ」

 大介はそう言う。上杉に比べたら凡人、と。いやそれはそうだけどな。

 カーブとカットボールとツーシームで組み合わせるのだから、たいしたことはないと考えているのは本当である。

 サウスポーであるが、大介の苦手なタイプのピッチャーではない。


 もちろんこの二人をあえて温存し、日本には以前の戦力で挑む可能性もあるかもしれない。

 だがほとんどのピッチャーは、リーグ戦でボコボコにしている。

 よくもあれで次の試合に勝てたなと、不思議に思ったりもした。


 単純に勝つだけならば、上杉に100球投げてもらえばいいのだ。

 ただそれをすると、決勝で上杉が投げられなくなる。

 200球程度投げたところで潰れない選手を、選手の故障を防ぐという理由で制限するのは、本当にクソのような理屈である。

 だがとりあえず先発は、上杉以外を使う。

 上杉はどんな困難な場面でもあっさりと乗り越えてくれる、チートなピッチャーであるのだ。

 だが能力はチートであるが、使える場面が限定されているという点ではチートではない。


 大きな枷をはめられた上での、全力を出せという条件。

 シーズン中に150球を投げても軽く完封してしまえるピッチャーに、100球しか投げるなというのも変な話である。

 野球におけるピッチャーのみがそれほど過酷なのは、根本的にポジションの消耗度が違いすぎる。

 ルールを変えてももっと投げられるというのは、直史にも共通のことだ。




 そして付け焼刃ながら速球対策をした上で、試合へと臨む。

 大会三日目は、準決勝の一試合が行われるのだ。

 アメリカとメキシコの試合は、準決勝と決勝が連投になるので、ピッチャー運用ではかなりアメリカが不利である。

 いっそのこと決勝だけは、全ピッチャーの球数制限をなくすればいいのではとも思うが、それだと日本が有利すぎるのか。


 満員の大歓声が、日本選手団を包む。

 よく晴れた大空が、球場のマウンドから見える。

 日本と違ってアメリカは、ドーム型の球場を好まない。

 一度は作ったりもしたのだが、そこからまた野天タイプへと回帰したのだとか。


 直史にもその感覚はなんとなく分かる。

 マリスタ、甲子園、神宮と、投げてきた中ではやはり、ドームではない球場の方が、解放感がある。

 それにドームの球場であると、場外級のホームランは見れても、本物の場外ホームランは見れないだろう。

「よっしゃ、じゃあメジャーのトップレベルのピッチャーを、しっかりと味合わせてもらうか」

 大介は元気一杯であるが、どうせ上杉レベルのピッチャーはいないだろうと、楽観視もしている。

 160km台のピッチャーは確かに日本ではほとんといないが、上杉の170kmを打っている大介を相手に、球速だけでは抑えられるものではない。


 監督である島野はこの試合、、序盤から多くのピッチャーを継投していって、状況によっては上杉にも一イニングほどを投げてもらおうと思っている。

 ただ試合展開次第では、そのイニングが長くなってしまうかもしれない。 

 もっとも優勝のためには、上杉を50球以内で休ませるというのが、重要な条件になってくるが。

 あとはキューバが、大会の優勝と日本への逆襲と、どちらを考えるかでも試合の展開は変わるだろう。

 全力の発揮を球数制限で抑えられている日本は、その点では不利である。


 思惑は色々とあるのだが、キューバが本当の全力を発揮してきた準決勝。

 波乱の展開が、未来には待っている。

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