第6話 27球と9球
※ 今回も時系列的には大学編121話が先となります。
ただどちらから読んでもそれなりに楽しめると思います。
×××
究極のピッチングとはなんだろうか。
直史はこの後も何度も問われることになるが、全打者を三球三振に取ることではないだろう。
いやもちろんそれも、究極の形の一つではあろうか。
「五回が責任回数だから、一イニングにつき10球までで抑えようか」
実際のところは、三イニングまででいいとは言われている。
50球までに球数を抑えるのだから、そのあたりが現実的なラインなのだ。
「なあ、至高のピッチングってなんだと思う?」
樋口の提案に返事をせず、直史はそんな質問をする。
またか、というのが樋口の感想である。
「80球以内の完封だったか」
前に直史はそう言っていた。
全打者を三球三振でしとめれば、81球が必要になる。
80球以内で終わった試合というのは、実は珍しいがそこそこ存在する。
コールドではなく、九回まで投げてのことだ。
ちなみに直史が樋口とバッテリーを組んでから、一番少ない球数で完封を達成したのは、一年の秋の慶応大との試合だ。
それが四本のヒットを打たれながら、ダブルプレイや樋口の刺殺でアウトを取った80球である。
つまり直史は一度、至高のピッチングを達成している。
ちなみに最も球数の少ないパーフェクトは、一年の春のデビュー戦となった、東大相手の84球である。
また何か非常識なことを言うのかなと思った樋口であるが、一応は続けてみる。
「まあ五回までだし、45球以内のパーフェクトを目指すのはいいと思うが」
「いやそうじゃなくて、一人一球を打たせて取って、27球で終わらせるのがいいって話あるだろ」
「あ~、あることはあるけど、お前でも無理だよな。目指すとか言ったらさすがに頭おかしいと思う」
そんなことは考えてない直史である。
「いや、それはもちろん目指さないけど、今のシステムだと27球でも多い」
何を言っているんだこいつは、という顔をする樋口である。
「理論上、ピッチャーが一試合で投げて完封出来る球数の最少は九球だ」
何を言われているのか分からなかった樋口が首を傾げる。
「申告敬遠があるだろ」
そう言われても分からない。
「いやだから、申告敬遠で二人ランナーを出して、トリプルプレイを決めれば、一イニング一球で済むだろ」
「そういう形而上の問題は、もっと暇な時にしないか?」
マウンドの上でバカバカしいことを話し合う二人であった。
球数制限という概念が登場してから、野球におけるピッチャーの価値というのは、変化していると直史は思う。
打たせて取るのがいいというのは、確かに昔から言われることであるが、MLBのセイバー・メトリクスにおける投手の評価には、WHIPというものがある。
そのピッチャーが平均して、一イニングの間にどれだけのランナーを塁に出すかというものだ。
これはヒットだけではなく、フォアボールも含まれる。
つまりこの指数ではフォアボールを出さないピッチャーというのは、ヒットを打たれないピッチャーと同じように評価される。
直史が考えているのは球数という、ピッチャーとしての疲労度が分りやすいもので、そのピッチャーを判断するというものだ。
一つのアウトを取るのに、どれだけの球数がいるのか。
もちろんフォアボールは球数が増えるだけだし、それならヒットを打たれて次にダブルプレイにした方がいい。
打たせて取る投球術というのとは、ちょっと違う。
結論は同じかもしれないが、思考の段階が違うのだ。
球数が少ないピッチャーは、その分も長いイニングを投げられるようになり、今よりもさらに評価されるようになるだろう。
奪三振はランナーが出たときに、高い確率でアウトに出来るというものだが、とにかく大事なのは、ツーストライクまでは内野ゴロか内野フライを打たせることを考えて、追い込んだら三振。ランナーが出たら三振を狙いつつも、進塁打にはならないことなどを考えて投げる。
このあたりの価値観は、直史はかなり樋口と一致する。
ただ直史はランナーを出すこと自体を根本的に嫌うので、そこで少し齟齬があるが。
完全に一致するバッテリーなど気持ちが悪いので、それは構わない。
第三戦となるオーストラリアとの試合、日本は先攻で既に先制点を挙げている。
初回からのホームランは打たなかった大介だが、シングルヒットで打点は付けた。
その後に五番までは凡退がなく、一気に六点のリードである。
これは直史にとって都合がいい。
オーストラリアはとにかく、積極的に振ってくるしかないからだ。
初球の甘く入ったストレートと見せかけたスプリットは、見事にひっかけた。
ただ強振していたので打球の勢いは強く、大介がショートでなければ追いつけなかっただろうし、そこからサードにトスしてサードが送球という連繋も出来なかっただろう。
(これ絶対、また馬鹿なこと考えてるやつだ)
樋口は小さく溜め息をつくのだが、それを実際に達成してしまうのだから恐ろしい。
二番打者は二球で追い込んでしまったので、カーブを使ってストライクの三振。
三番は二球目を打ち上げてサードフライ。
わずか六球でのスリーアウトである。
ナイスピッチとベンチで誉められている直史であるが、樋口はジト目である。
もし一イニングを六球でしとめれば、五回を30球で終わらせることが出来る。
一イニングでも五球で終わらせれば、29球。
つまり、今回の場合は明日の試合はないが、連投も出来るという球数なわけだ。
二回の表にうきうきとしている大介と、セカンドの咲坂に、樋口は声をかける。
今日は二遊間に打球が飛ぶことが多いと思うんで、ダブルプレイよろしくお願いします。
「そういや先頭バッターに打たせたゴロ、けっこう勢いあったな。あいつ調子悪い……のか逆にいいのか分からねえよな」
大介の声は途中からぼやきになっていた。
樋口は確信している。
調子がいいか悪いかはともかく、一回のピッチングは完全に狙っていたと。
ある程度の守備力が、バックに期待されるピッチングであるが、ショートの大介とセンターの織田だけではなく、セカンドの咲坂もそれぞれのリーグでのゴールデングローブ賞受賞者だ。
センターの守備範囲は鬼のように広いし、セカンド周りとショート周りも、明らかにアウトの範囲は広い。
そしてピッチャー返しをすれば、直史が自分でアウトにする。
30球以内で五回を抑えるのは現実的ではないし、そもそも明日中一日の休みが入るため、30球の制限で試合を終わらせる必要はない。
それでも30球にこだわるのは、完全に直史の趣味であろう。
(えげつねえ)
前から思っていたことなのか、それともこの試合の表にコールド進行の点数が入ったからなのか。
どちらにしと悪魔的な考えである。
普通はそんなことを思いついても狙ったりしない。
佐藤直史は、普通のピッチャーとは違うロジックで動いている。
二回の表は二点の追加点で終わった。
それでも既に8-0であり、完全に日本の優勢は間違いない。
オーストラリアもキューバ相手に大量失点で負けているため、二位通過も絶望的だ。
このグループはキューバが強すぎて、そして日本がそれ以上に強すぎた。
二試合無失点で、二試合とも五回コールドなのだから、圧倒的と言うしかない。
そして二回の裏、直史の意図を悟った樋口は、それに協力する。
なぜなら、もし出来たら面白いからだ。
このあたり樋口も、業の深い男である。
先頭の四番打者に対しては、やや甘い高めのストレート。
これを好球必打と打ったバッターだが、打球はセンター織田の守備範囲でフライアウト。
(伸びるストレートでフライを打たせるのはいいな)
ただ決め球として使うには、組み立てに何球か使わないといけない。
なので初球で使っていくことが望ましい。
五番打者は初球でスプリットを使い、ピッチャーゴロを打たせた。
六番打者にはカーブから入って見逃された。
変化球は捨てているのかとカットボールを投げたらこれに反応。
ボテボテのファーストゴロは、直史がカバーに入ってスリーアウト。
この回は三振無しの、四球でチェンジである。
「なんか試合の展開が早いな」
ベンチに戻ってほっと一息の選手たちであるが、実際には攻撃の時間は長くなる。
この回も追加点が二点入ったが、この調子では五回コールドには届かない。
まあ球数の増えるオーストラリアは、どんどんとピッチャーも代えているのだが。
そのうちピッチャーが足りなくなって、野手のピッチャー経験者が投げることもあるのではないだろうか。
ちなみにMLBでは珍しいことだが、そこそこ起こることである。
三回の裏、先頭打者は直史のボールをしっかりと見てきた。
ゾーンを二球見逃してツーストライクに追い込まれるが、一番嫌なパターンである。
(カット狙いになるだろうから、これでいこう)
樋口のサインに頷いて投げたボールはスルー。
本日二度目の三振を奪う。
続く二人には二球ずつで内野ゴロを打たせた。
一つは直史が自分で処理し、もう一つはサード真正面へのゴロである。
このレベルだと少ないが、ゴロはイレギュラーもあるし、悪送球もあるので、出来れば簡単なフライを打たせたい。
だが直史のストレートでは伸びがあっても、組み合わせの中でしか三振は取れない。他のボールだとゴロになる。
この回は七球。三回が終わって17球である。
球数が増えたら三回で交代してもらおうと考えていた島野だが、この内容では代える理由がない。
それにしてもバックを信頼して、かなり伸び伸びと投げている気がする。
壮行試合のときのような、限界まで研ぎ澄まされた感覚はない。
やはりあれは、プロを相手ということで、最大限にまで試合に合わせて調整していたのだろう。
今も確かにとんでもないピッチャーであるが、敵として対戦したときほどのプレッシャーは感じられない。
そして四回の表も、日本代表は二点を追加する。
このままだと五回で終わらせるには、一点足りない。
ただこの試合ではまだ大介がホームランを打っていないので、一番効果的なところで狙っていくのだろう。
四回の裏は、オーストラリアは打者が二巡目である。
なんという不気味なピッチャーだろうか。
鋭く曲げたり大きく曲げたり、そして伸びのあるストレートも使ったりと、そのピッチャーの核となる球種が掴めない。
もちろん基本的には、全てのピッチャーはストレートを重視するはずだ。
実際に威力のあるストレートは、フライを打たせてアウトにするのに使っている。
点差もあるが、選手の実力差が大きい。
負けることは避けられないが、せめて最後まで全力でプレイはしたいと思っていても、チームの総合的な完成度が違いすぎる。
アメリカのトップメジャーリーガーが参加していたなら、話は違ったろう。
しかしMLBからあえて、自国のチームに参加しているメジャーリーガーのトップは何人かいるのだ。
そして日本も今回はメジャーリーガーを召集していないので、そのあたりの事情は言い訳にならない。
二巡目に入ったのに、ピッチャーの傾向がつかめない。
投げる割合はカーブが多いと統計が出ているが、この試合ではあまりそのカーブも使ってこない。
ストレートもそれほど多くはなく、かといって他に何があるというわけでもない。
満遍なく使っているため、狙い球を絞れないのである。
落差の大きなカーブは、他の球種と混ぜられては、長打にはしにくい。
スピードのある変化球を使ってくるなど、まさにMLBのピッチャー的なところがある。
だが実のところ、ムービングで打ち取って球数を減らすというのは、少し前のトレンドではある。
小さな変化ならそのままフライを打ってホームランにしてしまうという時代があったが、オーストラリアの技術では、ムービングを強振してヒットにすることは難しい。
三振を奪われたのち、球種の狙いを絞る。
だが得意コースに投げられた初球に手を出すと、それが手元で曲がる。
結局は堅い守備の前に、凡退となってしまうのだ。
追い込まれてからのバッティングでは、思い切り振ることも出来ない。
スピードもあるのに、ゾーン内で変化してくるボールには、とても対応出来ないのだ。
このイニング二つ目の空振りで、スリーアウトだ。
この回は八球か。
四回が終わって25球。
さすがに五回を30球以内で抑えるのは難しかった。
三回を17球で抑えた時点で、既にたいがいおかしいのであるが。
だが五回を50球以内という制限は達成出来そうである。
四回が終わって25球。全打者を三球三振に取るよりも、よほど少ない球数である。
考えていたのは最低三回、それより長くても五回で交代させるつもりであった。
だが上杉よりもずっと、球数は少ないピッチングをしている。
もちろん守備がいいということはあるし、打たせて取るタイプということもある。
しかし肝心のところでは、三振をしっかり奪っている。
意図的に打ち損じの打球を打たせて、追い込んでしまったら三振狙いに切り替え。
ピッチャーの意図としては、確かにそれが一番いいのかもしれない。
だが対戦相手のピッチャーにやられると、どうしようもない屈辱である。
日本代表の島野監督は、何か見てはいけないものを見ている気分になってきた。
上杉は分かるのだ。あれはもう歴史の中で生まれた、突然変異とも言えるピッチャーだ。
ちなみにバッティングも優れていて、二代目二刀流の期待なども二年目までは言われていた。
確かに怪物のような耐久力とスタミナを誇り、パワーも抜群な上杉であれば、出来ないこともないのかもしれない。
神奈川は打線がまだ弱いので、ピッチャー以外の時はファーストあたりで出てくれれば、年間30本ぐらいは打ってくれそうである。
DHのあるパ・リーグであれば、それももっと真剣に考えられていただろう。
だが上杉はピッチャーにこだわっているし、ホームランはそれなりに打っているが、打率は下がってきた。
上杉としては二刀流になぞこだわっていたら、とても打ち取れないバッターがいるという意識がある。
そんな化け物のような上杉と、全く違う方向の化け物。
技巧派の究極とも言える直史は、今日はやや三振が少なめだ。
だが完全にパーフェクトではあるし、何より球数が少ない。
(ほんまに捉えどころがないな)
島野としてはこのピッチャーは、味方にいても敵にいても、存在するだけで恐ろしい。
直史としては、普通に目指すべきピッチングを目指しているだけである。
ただこのままだと五回コールドにはならないかもしれない。
まあ六回までを投げても、50球以内に収まる気はするのだが。
この回、大介に打順が回る。
そして今日はまだ、大介はホームランを打っていない。
「大介、あと三点取ってくれたら、ピッチャーとしては楽になるんだけどな」
「元々そのつもりだった」
そういう大介は、ネクストバッターサークルに向かう。
既に一点を追加して、ランナーは一塁で大介。
打席に入った大介であるが、力を抜いている。
ランナーもいるから、歩かせられる可能性は高い。
そのやる気のなさが、あちらのバッテリーにも伝わったかもしれない。
ただそれでも、大介と正面から対決する愚は冒さない。
初球は外角に外して、本当に気を抜いているかの様子を見よう。
そう考えて投げたボールに、大介の長いバットが届く。
レフト方向に上がったボールはしっかりとスタンドの際に入り、これで15点目。
コールドの要件を満たした。
五回の裏である。ちなみにあの後も点は入り、16点差となっている。容赦がない。
他のピッチャーに代えてもいいのであるが、代える理由としては何かあるのか。
ない。
四回までもパーフェクトで抑えて、球数も少ない。
キューバ戦で上杉を代えたのは、球数が50球に届きそうだったからだ。
ここまでの四回、全てを三球三振にしても、36球が必要な場面。
パーフェクトピッチを行いながら、直史の球数はまだ25球。
何かすごいと言うよりは、ほとんど奇跡のようなものを見ている気分になる。
「あれなんか、妖怪とか悪魔とか、普通の人間ちゃうんちゃうか?」
思わずベンチの中で、そう言ってしまう島野。もちろん誉め言葉である。
そしてこの回の先頭打者に、二球を使ってもアウトに出来なかった直史は、当初の予定は諦めた。
ここからは、確実に三振を奪う。
四番打者には三球目で三振。外のボール球になるスライダーを振らせた。
五番はスプリットとカーブで追い込んでから、もう一球使って目をそちらに向け、最後はストレートの三振である。
最後の打者は、空振りを取るつもりの、大き目のツーシームをカットした。
カットと言うよりは、ほとんど当てただけとも言える。
そしてここからは、ストレートである。
わずかにバットに触れたボールを、樋口がキャッチしてスリーアウト。
ゲームセットである。
佐藤直史、五回を投げて球数36球。奪三振七でもちろん四死球も被安打もなく、パーフェクト達成である。
「……もうあいつ一人でいいんじゃね?」
ちなみに全打者を三球三振で抑えた場合、四回で36球が必要となる。
直史は五回までを投げて、その36球であったのだ。
ひどすぎるピッチング内容に、日本側のベンチでさえもが、表情は硬かった。
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