第4話 雑

 直史のピッチングは、コンビネーションである。

 パワーピッチャーではない。完璧なコントロールを武器とした、テクニカルなピッチャーだ。

 いやお前、魔球なんか投げておいて技術もクソもないだろうと言われるかもしれないが、直史は自分を、技巧派だと認識している。

 単なる技巧派が、パーフェクトを連発できるわけもないのだが。


 そんな直史であるが、珍しくもマウンドの上で苛立っている。

 キャッチャーは樋口ではないが、それに苛立っているわけではない。

 合宿の宿舎の中を、全裸で歩いていたような変態であっても、山下のリードには不満はない。

 そんなことよりも問題なのは、このボールである。


 MLBで使われている標準球が、WBCでは使われている。

 主催がMLBなので自然とそうなるのだが、このボールがとにかく違う。

 直史のような変化球投手には特に苛立つのだが、ボールの表面が乾燥していてツルツル滑るのだ。

 一応それなりのコントロールで、どの変化球も投げることが出来る。

 だが人間がストレスを感じるのは、それまで完全に出来ていたことが、急に出来なくなってしまうことである。


 バリバリ働いていた、精神的にも強いと思われていた人間が、鬱になって自殺するという現象。

 これは脳の機能低下によって、最高の自分と現在の自分が、大きく変化するからである。

 このギャップに耐えられずに、人は自殺する。

 そこまで極端ではないにしても、直史は間違いなくストレスを溜めている。


 直史が自信をもってコントロール出来るという球種は、このボールではストレートの他に、カーブ、スプリット、シンカー、チェンジアップぐらいしかない。

 スライダー系とシュート系、あとはカットボールなどのスライダーに近いボールも、変化量が調整できない。

 だが生まれて初めてというほどの経験ではない。

 軟球から硬球へ変わった時も、ある程度の違和感はあった。

 それと同じレベルであるが、既に直史の体は日本の硬式球を投げることに、最適化されているのだ。


 こんなクソザコ雑な仕事をしていて、アメリカのボール制作会社は恥ずかしくないのか。

 少なくとも日本のグラブやバットなどを制作している人間は、こんな中途半端な仕事はしない。

 実際はしているところもあるのだが、直史の周囲にはなかっただけである。

 ちなみに日本人は物を制作するのかもしれないが、アメリカ人は製作する。

 作り出すものに対する丁寧さが違うのだ。




 最初の一人を打ち取ったが、カットボールが上手く曲げられなかった。

 ただ曲がりすぎたというのは、悪くはないであろう。

 しかし微妙に球も重い。

 雑なピッチャーなら気付かないだろうが、直史は繊細である。

 同時に適応力も高いために、ちゃんとしたピッチングが出来るが。


(なんつー雑な大会だ)

 直史としてはそう思うしかない。

 MLBの標準球も、一社独占なそうだから、独占禁止法違反で潰れてほしいものである。

 そして二人目のバッターに対しては、練習では曲がりすぎたボールを試してみる。


 基本的にはストレートと同じ腕の振り。

 ただ握りだけが違うツーシーム。

 甘いところに来たと思ったバッターの手前で、鋭く変化する。そして空振り。

 カットボールに似ているが、これはアメリカで使われているタイプのツーシームだ。

 だがこの速度で曲がるのか、こんなにキレもよく?


 空振りで尻餅をついたバッターを見ても、直史は眉をしかめる。

 曲がりすぎたせいで、やはり山下が捕球出来なかったのだ。

(これは封印します)

(了解だ)

 山下の捕球技術は高いのだが、このツーシームは曲がりすぎる。というか、一つ一つのボールにばらつきがありすぎではなかろうか。


 実のところこのボールの品質のばらつきというのは確かに問題で、手に合わないボールが回ってきた場合、さっさと何度かバウンドさせて傷を付け、違うボールに変えるということも行われる。

 直史としてはそんなもったいないことは出来ないので、ボールごとに使える球種を考えていかないといけない。

 指先で投げる種類のボールは、やはり問題がある。

 ただそういう球種を使っていかないと、コンビネーションのパターンが減ってしまう。


 スプリットを上手く抜いて投げると、普段よりも落差がある。

 だがこれは制御できる程度だ。

 出来れば内野ゴロが良かったのだが、ファールとしてカットされた。

 そういえばこいつはメジャーリーガーかと、改めて思い出す直史である。

 二球で追い込んでしまったが、ボール球を振らせてみようか。

(ああ、ここでか)

 山下の要求したボールに、素直に頷く直史である。


 ストレート。インハイ。

 振ったバットの上をボールが通り過ぎ、空振り三振である。




 ボール全体はツルツルとしていてすっぽ抜けるのだが、縫い目は高いので最後の一押しで引っ掛けることが出来る。

 球速表示では150kmと出ていたが、おそらく回転数は普段よりも高い。

 練習でもこの球を使って投げてはいるのだが、やはり実戦でないと分からないことが多い。


 三人目のバッターも、ストレートとスプリットで追い込み、スローカーブで内野ゴロを打たせた。

 使った球数は10球で、充分に余裕はある。

 三者凡退で終わらせた直史であるが、大いに不機嫌である。

 どっかりとベンチに座ると、樋口もいないので上杉に語りかける。

「あのボール、雑に作りすぎじゃないですか?」

 上杉はほぼ全てを三振でアウトにしたので、ボールはさほど換えていない。

「握りで動かすボールが、動きすぎたという感じはするな」

 よく言われるのは、メジャーのボールはツーシームが曲がりすぎるということである。

 だが実際のところは、ボールの品質にバラツキがある。


 不安定であることの面白さ。

 たとえばラグビーなどは、あの楕円形の形状であることが、ゲームの不確定要素となり面白くなっているのだろう。

 だがサッカーではそんなボールは使わないし、多くの球技では品質が保証されていた方が公平であると考える。

 このボールを使うのは、パワーピッチャーに有利すぎる。


 そんなことを直史が愚痴っている間に、大介の打席が回ってきた。

 ワンナウト満塁である。

 裏の攻撃なので、ホームランが出ればコールド成立でサヨナラだ。

 打ちたいなという視線を大介は送ってくるが、直史は指でバツを作る。

 ただ問題はなかった。満塁であるのに、大介は敬遠されたからだ。


 まあここまで三打数三安打で、前の塁も詰まっているので足も使いにくいとなれば、この選択もあるのか。

 いや、ねーよ。WBCで満塁なのに敬遠されるとは、もうどこまで恐れられているのやら。

 球場の一角を占めるライガースファンからはブーイングである。


 ここで点が取れなくても、七回まで無失点で過ごせば、七回10点差のコールドが成立する。

 直史はそこまで、どれだけの球数を使うかを計算する。

 五回の裏には10球を使ったが、50球までは届かないだろう。

 明日の二日目に日本の試合はないので、50球までなら投げても、中一日の休みは成立する。

 40球以内で残り二回を抑えるというのは、直史基準では楽なことである。


 大介が歩かされて、12点目が入った。

 キューバにしてもここまで圧倒されていれば、さっさと負けてピッチャーの球数を節約したらいいだろうに。

 そんなことを思う直史であるが、自分だったら絶対に打たれたくないな、と思うのも確かである。


 そしてまたピッチャーが替わる。

 これで五人目であるが、それこそ球数の計算だろう。

 明日も試合のあるキューバは、明後日が休みなので、50球以内でピッチャーを回していくはずだ。

 相手がオーストラリアなので、そちらでは勝てると踏んだのだろうか。

 確かに世界ランキング的に見ても、メジャーの選手がいないオーストラリアには、勝てる可能性の方が高いだろう。

 ただもう20年以上も前になるが、オーストラリアはアマチュアばかりのチームで、オリンピック準優勝をしたことがある。

 そしてその時、準決勝で日本に勝っており、キューバに決勝で負けた。


 そんなことを考えていたが、どうやら試合は終わりそうである。

 四番南波の打った打球は、一塁線を破った。

 ライトの追いつかない長打であり、これはランナー全員が帰って来れそうだ。

 ここでかつてはクロスプレイなどで、無駄な負傷者が出ていたものである。

 コリジョンルールは野球における、数少ない改善の一つであったろう。


 15-0でサヨナラ。

 全世界に今回の日本の強さを知らしめる一戦であった。




 野球大国キューバを相手に、完全に圧勝である。

 初回の攻防で一気に流れを掴んだというのもあるが、キューバも途中からは次の試合のことを考えていたように思う。

 日本としては上杉が、一日の間が空くので、次の中国戦でも投げることは可能だ。

 ただ中国のランキングと、その翌日にオーストラリアと対戦することを考えると、上杉は温存しておいた方がいいだろう。


 四日目にオーストラリア、六日目にイタリアという日程を考えると、開催地国ということもあるが、日本は恵まれている。

 ある程度の時間があったとはいえ、キューバは時差があるので、選手のコンディションが最高であったとは言いがたい。

 日本の気候にも慣れていなかったかもしれない。それでも圧勝は圧勝であったが。


 勝って兜の緒を締めよという諺があるが、試合が終わる前からではなく、試合の組み合わせが決まった時点から、首脳陣はおおよそピッチャーの起用については考えている。

 問題はやはり決勝トーナメントだ。

 決勝トーナメントは制限上限の100球以内でも、50球以上を投げたら中四日空けなければいけない。

 事実上決勝戦以外は、50球以上を投げるのは難しい。

 それこそキューバが相手だっただけに、上杉にも80球以内の限界で投げてもらって、リーグ戦は他のピッチャーで戦うつもりだった。

 リーグ戦からトーナメントの間には、アメリカに移動する時間も考えて、八日間もの空白がある。

 この間に回復し、登板間隔も空くために、準々決勝には確実に投げられる。

 だが調子に乗って100球近くまで投げると、中三日で決勝となるために、やはりここでも50球以内でどうにかしないといけないのだ。


 


 国際大会であっても、普通にヒーローインタビューは存在する。

 もちろんこの試合の最大の殊勲者は、四回を投げてパーフェクトピッチ、そして11奪三振の上杉である。

 大介もホームランをはじめ六打点を上げているのだが、この試合はピッチャーへの注目度の方が高い。

 やはり四回パーフェクトというのは凄いのだ。その内容も、ほとんどが奪三振というのが凄い。

 九回に換算したら、24個の奪三振とでも考えれば、それも納得出来るだろうか。


 そんな上杉以外にも、活躍した選手へのインタビューはある。

 事実上の一セーブを上げた直史にも、少ないながらもマスコミは寄って来る。

 プロじゃないんだからご機嫌を取る必要のない直史としては、適当な応対にしたい。

 ただ質問の仕方によっては、答えなくもないのだ。

「これで国際試合のパーフェクト記録をさらに伸ばしましたが」

 そう言われて、少し首を傾げる。

「日米大学野球でエラーがついてましたけど、あれは違うんですか?」

 質問した側も、あれ?と首を捻ったりする。

 まあ国際試合ではあっても国際大会とは言わないのかもしれないが。


「世間ではどこまでノーヒットが続くのか注目していると思いますが」

「あまり期待しないでください。今日のピッチングも、あまりいいものではありませんでしたし」

 どこがだよ? と言いたくなったかもしれないが、直史は昔からずっとこんな感じである。

「個人的な感想ですけど、MLBで使ってるボールは日本人には合わないんじゃないですかね」

 逆にMLBのピッチャーでも、日本のボールは合わないことがある。


 たとえばよくマンガなどではいるナックルボーラーが、日本では生まれないし、日本に来てもあまり活躍できない理由。

 ボールの縫い目が高いというのが、その一つではないのだろうか。

 ただ重い球ほど動きにくいと考えるなら、日本のボールの方が揺れるはずでもある。


 そこまで考えて、直史は思った。

 こんな明らかに日米で違うものなら、セイバーがデータを持っているのではないか。

 そして上手くすれば、日本でも、ナックルを実用的に使えるのではないか。

 高校時代に坂本が使っていたのがナックルであったが、あれはあくまでも秘密兵器。普段使いするようなものではなかった。

 しかしこのWBCにおいては、決勝トーナメントはドームではないアメリカの球場で行われる。


 風の方向や、大気中の湿度によっても、変化が変わるというナックル。

 WBCに限って言えば、有効なのかもしれない。

(少し試してみるか)

 別にナックルに限ったわけではなく、直史はMLBのボールに慣れるために、もう少し投げ込みはしておきたかった。

 キューバ戦はそれなりの苦戦が予想されたため、体力も充分な状態で待機していたのだが、はっきり言って拍子抜けである。


 明日は休みだ。おそらく他の人間は、ホテルで他の試合を見るのだろう。

 だが東京が現在の地元になっている直史は、練習場所にはいくらでもアテがある。

 さすがに樋口を付き合わせるのはどうかなとも思ったが、直史がMLBのボールでしっかりと投げられるようになれば、一番早く適応できるのは樋口であろう。

(今はスルーが怖くて使えないからなあ)

 所謂抜けスラになりそうなことが多いため、使うのには躊躇するのだ。


 ジャイロボール自体は、投げるピッチャーはいる。

 なのでどうにか、MLBのボールでも投げられる方法はあるはずなのだ。

 それが完成したとき、直史のピッチングは、また一つ上の段階に到達するだろう。

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