第3話 THE パワー
三振の記録が続く。
初球はアウトローの厳しいところに投げて、バッターには手を出させない。
そして二球目からは少し変えていくが、ゾーン内で勝負するのは同じである。
100マイル前後のスピードでムービングするボール。
これを当てるだけで凄いのであるが、最後のストレートは、振ることが出来るだけでも充分というものだ。
「すんげ~バットとボールの間があったわ。全然見えてねーな」
大介が笑って戻ってくるが、正直横のベンチから見ていても、ボールの軌道を見失うことがある。
上杉の試合の映像ぐらいは見ているだろうと思ったのだが、試合の中継しか映像がなかったのかもしれない。
打者六人連続三振。
キャッチャーの山下は、ムービングで引っ掛けさせて球数を減らそうとしているらしいが、そもそもそのムービング系のボールすらも、マトモには当てられていない。
一球だけ粘ったバッターもいたが、この回も10球しか投げていない。
「ストレートか……」
「お前は上杉さんとは全く違いピッチャーだからな」
「分かってるけど、あと5kmも球速が上がればな、とは思う」
「お前のコントロール用の筋肉は、今で限界だろ」
壮行試合で出したストレートの球速は、154kmだった。
しかしあれはとりあえず高めという程度で、ほとんどコントロールはつけられていない。
樋口の言う通り、直史の肉体的な限界は、152kmなのだろう。これでも充分速い。
二回の裏、日本代表の攻撃は、また一番の織田からである。
パワーだけではない、コントロールと変化球にも優れたピッチャーであったが、これを軽くバットを合わせて、レフト前に流し打ちのヒットを決める織田である。
さすがはヒットメーカー。……いや、意味が違うか。
咲坂がヒットを打って、織田は三塁まで到達する。
ノーアウト一三塁で、打席には大介。
ダースベイダーのテーマが響いて、キューバのピッチャーは思わずその方向を見てしまう。
バットをライトセイバーのように振るう姿は、まさに暗黒卿……と言うよりは、ピッチャーに裁きを下す死神か。
一三塁という状況は、終盤に一点でも取られたら終わりという状況なら、満塁にして埋める。
だがまだ二回であるのに、ランナーを増やしていく意味はあるのか。
ある。
なぜならバッターが白石大介であるからだ。
キューバの監督はバッテリーに対して、外の微妙な球で対決して、なんなら歩かせればいいという指示は出してある。
だがやはり、大介に対する研究が足りなかった。
大介はボール一個分ほど外に外れても、平気でヒットにはしてしまうのだ。
一球目は明確に外し、二球目は際どいところ。
そこへヘッドを走らせたバットが来襲し、ボールをサードの頭の上へ弾き返した。
三塁ランナーの織田は難なく生還。
着地した後ファウルグラウンドに切れていったボールに、レフトは追いつく。
だが、これは行けるだろう。
そう判断した俊足の咲坂であるが、レフトからの送球はまさにレーザービーム。
キューバの外野手の肩は、キャッチャーへのストライクを投げることに特化している。
惜しいところでアウトになっていた咲坂だが、おかげで大介は二塁まで進んでいた。
「う~ん、素材はさすがなんだなあ」
ベースの上でのんきに呟く大介である。
スコアは5-0となり、さらにまだワンナウトでランナーは二塁。
チャンスを続けるという意味では、ワンナウトであることはありがたい。
だがワンヒットで一点が入るというなら、打ったと同時にスタートが切れるツーアウトの方がいいのだが。
外野はやや前にいる。
先ほどの肩を見たら、大介の足であっても、ワンヒットでホームに帰ることは難しそうだ。
そう判断した大介は、走った。
行けると思ったら行けと、セの盗塁王でもある大介に許されたグリーンライト。
キューバのキャッチャーは鬼のような肩であるが、ピッチャーのクイックは微妙に遅いし、キャッチャーの送球までの動作も最適化されていない。
雑だな、と大介は三塁ベースに滑り込みながら思うが、野球大国キューバの野球が雑なわけはない。
単純に日本の野球が細かすぎるのと、あとは大介の走塁に関する嗅覚が鋭すぎるだけである。
ホームランを打ったバッターが、三塁へスチールするのか。
正直ノーマークであったバッテリーだし、大介もシーズン中は、三盗はあまりしない。
ただし左ピッチャーからは、二塁へよりも三塁への方が、盗塁は楽だなという意識はある。
あと左ピッチャーは一塁ランナーはともかく、二塁ランナーを背負うと、落ち着きがなくなるタイプは多いと思う。
さて、これでワンヒットで一点。内野ゴロやあるいは――。
「お」
大介が考えていた通り、外野フライを南波が打ってくれた。
期待通りに深く打ってはくれたのだが、ライトはレフト以上の強肩だ。
それでも大介の足の方が早い。
六点目。
ランナーはいなくなってしまったが、これでもう六点のリードである。
見事なスライディングの後にベンチに戻ってくる大介を見て、島野はちょっとした欲を出してくる。
「これ、コールドいけるんちゃうか?」
五回で15点差、あるいは七回で10点差と、高校野球などよりは基準は厳しい。
だがこの調子で点を取っていけば、七回までにはどうにかなるのではないだろうか。
もしそうなら上杉を温存できる。
80球ではなく50球までに抑えれば、明後日の試合も投げられるのだ。
次の対戦相手である中国は、別にそこまで深刻な相手でもないが、そもそも上杉に疲労を溜めないことが、この大会で優勝する鍵となるのだ。
さらにもう一本ヒットが出て、日本のバッターは完全に、キューバのピッチャーをカモにしている。
悪いピッチングではないのだが、どうも事前の分析どおりに試合が進んでいる。
三回の表、絶望がマウンドに降臨する。
タイミングを合わせてどうにか当ててきた選手に対し、上杉が投げたのは高速チェンジアップ。
試合の序盤に使えば案外打たれるが、タイミングをとにかく上杉のストレートに合わせれば、いくらでも空振りが取れる変化球である。
握りはスプリットに近く、そこから抜いて投げる。
ベースの手前で落ちる変化もあるため、ただ絞れば確実に打てる球でもない。
三球三振。
ムービングであっても、まともにフェアグラウンドに飛ばない。
追い込んだら、あの浮かぶストーレートがくる。
分かっていても打てないし、その前に打とうとしても、まともに前には飛ばない。
この回もわずか10球で三者三振。
つまり九人連続三振である。
加えて球数はわずかに30球。
スタンドの応援も、テレビの前の観戦も、そしてネットの海も、上杉のパワーが席巻する。
高校時代から既に化け物とは言われていた。
だがプロで四年を過ごしたその姿は、化け物よりも上の怪獣である。
「なんであれで甲子園優勝できなかったんだ?」
「打線が一点も取れなかったからな」
「一点取るまで投げ続ければいいだろうに」
「お前、あの当時の新聞読んでないのか? 球数制限でマウンドを降りないといけなかったんだよ」
「そういえばそうだったか」
そうである。
だから直史は二年の夏はともかく、三年の夏は完全に、他のピッチャーに任せてどうやっても球数の制限に引っかからないようにしたのだ。
SS世代の最後の夏は、直史、岩崎、武史、アレク、淳、トニーと、甲子園強豪のエースレベルのピッチャーが六人もいた。
今から言えば、そりゃあまあ優勝も出来るだろうな、というものだ。
逆にドラ一競合レベルと、ドラ二のピッチャーが抜けたのに、翌年もよく優勝できたものである。
単純にドラ一競合レベルのピッチャーが、まだ残っていただけではあるが。
三回の裏、日本は下位打線からとは言え、三割を打っていたり、30本を打っていたりする化け物どもが揃っている。
ただヒットは出たものの、ようやくスコアボードには0が表示される。
四回の表の攻撃がやってくるわけだが、打席に向かうキューバ選手の足取りは重い。
ここまでストレートが一球も、102マイルを下回っていない。
ムービングのボールでも、99マイルほどで細かく動くのだ。
もう狙いを絞って打つしかないのだが、その狙いが絞れない。
かろうじて当たったとしても、前にはまともに飛ばないのだ。
それでもさすがは二巡目の先頭打者といったところか。
この日初めての三振以外のアウトは、キャッチャーフライであった。
だが二番と三番を連続三振。
この回も数えたように10球でスリーアウトである。
「山下これ、わざとやってるんか?」
「いや、さすがにたまたまです」
山下としても上杉をリードするのは、ものすごく楽である。
究極のところはチェンジアップを投げさせて、次のストレートで決めれば、それで三振が取れるのだ。
ただ、問題はやはり球数制限になる。
抜いて投げた一球も、全力の一球も、同じ一球。
なら他にどう計算するのかという話になるので、球数で制限するしかないのだろう。
首脳陣としては、どこまで上杉を引っ張るかが問題となっている。
五回コールドならば、上杉の球数を50球以内に抑えて、中一日空く次の試合もちゃんと使うことが出来る。
中国は野球においてはまだまだ日本に及ばないので、別に上杉でなくても勝てるとは思う。
そもそも上杉に頼りすぎなのが良くない。
しかし依存しているかは別にしても、球数を減らすことは絶対的な正義である。
五回コールド、あるいは七回コールドを狙えるか、それはこの四回の攻撃を見てから決めよう。
それはそれとして、リリーフ陣にはアップしてもらわないといけないが。
「海野と福島に、肩を作れと言ってくれ。状況によっては次の回の頭から行く」
元々リリーフ候補としていた二人以外にも、何人かはブルペンにいる。
役割分担もそうだが、そもそも全員がベンチにいるのは狭いので。
あとは、と島野は考え至る。
「佐藤も展開によってはいくからな」
意外ではあるが特に反抗もせず、ブルペンへ向かう直史である。
当然おまけのように、樋口もそれに付き合うことになる。
本人としては上杉が、どんどんと三振を奪っていくのを、見ていたい気分ではあったが。
四回の裏、先頭打者の大介は、ここまでホームランを含む二打数二安打。
下手に打って単打よりはと、ボールを見極めてフォアボールで塁に出た。
さて、今度は相手もスチールを警戒している。
大介も今回は、バッターの援護的に、リードは大きく取るが走るつもりはない。
走らないよサインを見て、南波はバッティングに集中する。
明らかにランナーに気を取られている三球目を狙い打ち。
フェンス直撃の打球であったが、勢いがありすぎて大介は三塁でストップ。
スモールベースボールの日本であるが、今大会は強打者が多い。
スタメン九人の中、ホームランを20本打っていないのは二人だけである。
ここでも深めの外野フライさえ打ってくれれば、またタッチアップで三度目のホームを踏むことになる。
打席の尾崎もDHのため、打撃に集中できている。
最低でも外野フライと思って打った打球は、外野の頭を越えた。
大介はもちろんホームを踏んで、南波も余裕で帰ってくる。
尾崎も二塁へ到達と、チャンスは全く終わらない。
ここからは進塁打とクリーンヒットでまたも一点。
下位打線も止まらずさらに二点追加。
織田の打った打球がサードライナーになり、ようやくスリーアウトチェンジである。
追加点は五点。スコアは11-0にまでなった。
キューバは強いチームのはずであった。
だが初回からエースが崩れて、上杉には圧倒的に制圧されている。
エースが崩れて打線も打てなければ、それは一方的になるのは当たり前である。
キューバにはメジャーリーガーも複数存在する。
メジャーでなくてもマイナーの3Aぐらいで燻っている選手は、さらに多い。
NPBのレベルは、MLBと3Aの間。
よくそんなことが言われるが、ここまでの結果を見るに、ほとんどMLBと近似の位置にあると言っていいだろう。
さて、四回は終わった。
11-0と追加点が入り、コールドの可能性は高い。
ただし上杉を降ろすのであれば、同じ速球派のピッチャーは使いたくない。
あと一人か二人、三振を奪ってもらうというのも、球数以内で抑えるのはいい。
しかしピッチャーとしては、回の頭からマウンドに行くのが、心理的な負担は少ないと聞いている。
試すべきはここだ。
「佐藤で行くで」
そしてブルペンの直史が呼ばれる。
ただしキャッチャーは山下のままである。
これが直史が先発であれば、樋口も使って山下を念のために残しておくのだが。
酔っ払いの二ノ宮は、実際には酒で試合に負けたことはないのだが、それでも不安には思ってしまう。
このマウンドの感覚は違うな、と直史は思った。
甲子園のような狂乱の熱狂とも違い、神宮の規律の取れた調和とも違う。
ワールドカップの時のような猥雑感もない。
これが本物の、日本代表のマウンドか。
感慨深い直史であるが、山下がしっかりと声をかけてくる。
「どうだ調子は。もう慣れたか?」
「慣れましたけど、こんなクソのようなボールを使わせるMLBは、死んだほうがいいですね」
大きいのも、重いのも、縫い目が高いのも仕方ない。
ただ重心がおかしいのだけはどうにかしてほしい。
直史の生命線はコントロールだ。
変化量を一定にするためには、ボールもちゃんとした物を用意して欲しい。
とりあえず投球練習だ。
力のないストレートに、曲げるつもりのないカーブ。
そして最近のMy流行である、左右に小さくずれるスプリット。
このボールで投げたら、基本的には変化は大きくなるはずだ。
(アメリカ人は手がでかいってことなんだろうな)
ちなみに直史は、手もそこそこ大きいのだが、それ以上に指が長い。
試してみたが、まあ日本のマウンドならば、問題なく投げられるだろう。
いきなり相手が、キューバの四番打者というのは、けっこうハードなタイミングだが。
(そんじゃま、カーブから投げてみようか)
(う~ん、思ったより曲がりすぎるような気が)
その初球カーブは曲がりすぎ、バットを振った左打者の、足元にまで激突した。
どれだけ曲がりすぎているのやら。
(俺はMLBじゃあんまり活躍出来ないタイプだな)
直史としては別にそれでも問題なく、ピッチングを始めた。
二球目は外に外したストレート。
そして次にはチェンジアップを投げて見逃しのストライクを取る。
出来ればスルーの具合も試してみたかったが、ツーストライクからでは後逸が怖い。
(じゃあこれで行くか?)
(そうっすね)
カットボールがベルトの高さで変化する。
思ったよりもキレのあったその球を、打ったはいいがファーストゴロ。
まずはワンナウトと、珍しくほっとする直史であった。
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