圧の修得

 

 治癒院のベッドでゴロゴロする。

 白くてふわふわ。実家のベッドよりずっと質が良い気がする。というか良い。


 本で読んだ英雄が、特別に宿泊をさせてもらえるという都の高級ホテルなるものを思い出す。こんな感じなのだろうか。


「こら、マーヴィ、なにゆらゆらしてるの! 動いちゃだめよ!」


 ちょっと物音を立てただけなのに、アリスが飛んできて、マーヴィの身体を押さえた。

 しゅんとして、この日は大人しく寝ることにした。


 1日が経って、院内の散歩を許された。もちろん地下だけだが。

 ロビンじいさんがお見舞いに来てくれた。炭鉱夫たちは無事に仕事を再開できたらしい。


 自分の病室を出て、治癒院地下を散歩する。

 掃除が行き届いていて、廊下にはふかふかの絨毯が敷いてある。地下は治癒院というより、生活空間としての役割が強いのかもしれない。


 そんな、治癒院地下を徘徊するマーヴィは、ふと足を止めた。


「君は!」

「あ、マーヴィさん」

 

 昨日会った彼女。

 マーヴィは必死に記憶を探しながらうなる。名前が出てこなかった。


「そうだ! マイクだ!」

「あはは、マイヤですよ。ちゃんと覚えてくださいね。それにしても、どうしてこんなところに?」

「大けがしちゃって!」

 包帯がぐるぐるに巻かれたお腹を見せた。


「まさか、オブスクーラヴォルフを倒せるマーヴィさんでも怪我なんてするんですね」


 話しながらマイヤの散歩に付き合っていると、やがて病室の札に『トゥーラ』と書かれた部屋にやってきた。


「お姉ちゃん、偶然にもマーヴィさんを捕まえたよ」

「あら!」


 ギプスをした少女がベッドで寝ていた。

 きらきらした視線を向けてくる。

 

「君たちは姉妹なんだね! すごく似てる、そっくり!」

「そうなのよ。昨日は本当に助かっちゃった。改めて感謝を言わせて」

「大丈夫だよ! 人助けをするのは当然のことだから!」

「ふふ、とっても心根が強いんですね。あ、そういえば、黒い獣はマーヴィさんが倒したってマイヤから聞いたのだけど……もうろうとしてて良く覚えなくて」

「やっつけました! 僕、腕力には自信があるんです!」


 握りこぶしを作って見せる。

 ミシミシッ、と骨が軋む音がはっきり聞こえた。

 これ以上握れば、自分の握力で粉砕骨折してしまう。


「あ、これ以上は壊れちゃうからダメだ! アリスに心配されちゃう!」

「手が壊れる……? パワーが肉体を越えるなんて……」


 トゥーラは目を見開く。あるいはスキルの複数所持ならばありえるのかもしれない、と悟った。


 とはいえ、会って間もない人間に所持スキルを聞くことは非常に失礼なので、直接聞いて確かめたりはしないが。

 

「マ、マーヴィさん! それじゃもしかして、オブスクーラヴォルフを倒した時も手加減を?」

「してないよ! 僕は無意識に体のことを考えて力を抜いてるだけ!」


 それは手加減なのでは……とトゥーラとマイヤは顔を見合わせた。


 さては目の前の男、かなりやばい?


 姉妹が正確に、マーヴィという驚異を認識した瞬間だった。


 ──しばらく後


 マイヤは師にマーヴィ取り入り作戦の進捗報告をしたのち、カーサスから脱出するための馬やら、旅の道具やらを揃えてまわり、トゥーラの待つ病室へもどってきた。


「ただいま〜。お姉ちゃんの好きな塩パンケーキ買って──」


「いいですか、マーヴィさん、アリスさん、集中して呼吸するんです。こんな風に、コォォォォォォォォ」

「こおおおおお!」

「こ、こう? こおおお~」


 トゥーラの病室には、細く息を吐き続けるマーヴィとアリスの姿があった。みんな大真面目な顔だった。


 マイヤはアリスにぺこりと頭をさげて、A級冒険者の貫禄に恐縮しつつ、目の間を通り過ぎる。


「お、お姉ちゃん……! なな、なんでアリスさんがここに?!」

 小声で耳打ちする。


「マーヴィさんの目付け役なんですって」

「は、はあ……ところで今はなにしてるの?」

「マーヴィさんの体のために圧を教えてあげてるのよ」


 圧。オーラを体内にとどめて、筋力を底上げできる『剣気圧』と、オーラを纏ってアーマーにする『鎧圧』の二つからなる、求道者たちが開発した戦うための技だ。


 圧は女神からステータスがもらえるグンタネフ王国では、まったく馴染みのない技術だ。


 流れ着いた孤児であるトゥーラとマイヤは、国外出身の背景を持っている。この土地で生まれた者とは違うのだ。


 ステータスは持っていない。

 もちろん、祝福も、スキルもなにもない。


 あるのは後天的に手に入れた呪術と、剣術の練習で身に着けた2種類の圧だけ。


「私も人に教えられるほど優れた圧を使えないけど、それでも鎧圧が使えれば、マーヴィさんも怪我することが少なくなると思うの」


 トゥーラは恩返しがしたかったのだ。


「全身の波動の流れを感じてくてください! マーヴィもアリスさんも、もっと柔らかく呼吸をするんです!」

 怪我してる姉に代わって、マイヤが指導に参戦することになった。


「あ、あれ、結構キツイ」

「こぉぉぉ、ぉお、げほっ、げほっ」


「10分間息を吸い続けて、10分間吐き続けられないと、圧の習得は難しいですよ! さっ、もう一度です!」


 トゥーラより、よほど鬼畜なマイヤの指導は入院してる間ずっと続いた。



 ───────



 結晶の魔術師との邂逅から3日が経過した。


 まだ多少傷が痛むマーヴィだったが、もうすっかり元気になっていた。


 地下病棟から這い出て、久しぶりの青空を見上げる。白い雲が泳いでる。良い天気だ。


 すぐかたわらには、マーヴィの馬クラリスと、アリスの馬シュガーライクが大人しく待っている。


 治癒院の病棟から、ギプスをしたトゥーラと、マイヤが出てくる。見送りに来てくれたのか。

 

「さようなら、師匠たち! 僕、マイヤさんとトゥーラさんのこと忘れません!」


「ふふ、それは嬉しいことね」

「圧の習得はポッとできるものじゃないですよ。体を傷つけず、超パワーを使いこなすためには、頑張って鍛錬しつづけないとダメです! いいですね、マーヴィさん」


「うん! わかりました師匠、こおおおおお!」

「マーヴィったら、もう」


 アリスは笑いながら、呪術師の姉妹に向き直る。


「わたしたち二人と関わることは迷惑だったろうに、仲良くしてくれて本当に嬉しかったわ」

「い、いえ、まさか! A級冒険者様がなにをおっしゃいますか!」

「そんな畏まらないで良いって言ってるのに。わたしはもうその肩書にふさわしくないし」


 アリスは苦笑いをうかべる。


「二人はこれからもこの町にいるの?」


「うーん、まだ未定です」

「未定?」

「ここだけの話、私の腕が治ったら、妹と私は旅に出ようと思っているのですよ」


「旅、いいわね。またどこかで会えるかもしれないわ」


「そうですね!」

「ですね、再会を楽しみにしてます!」

 

 呪術師姉妹より少しだけ早く旅立つふたりは、その朝、カーサスを発った。


 ──3日後


 カーサスから北へ、まっすぐに離れてきた。


「目指すのは国外よ。このまま谷と山を越えて2週間まっすぐ進めば、そこは獣人たちの国、北方獣人連邦にたどり着くはず……そこなら、きっと安全だわ」

「うん! 獣人たちはとても素直で、優しい人が多い種族って本で読んだよ! もふもふした人たちに会えるの楽しみだ!」


 道すがら、ふたりは小川のほとりで休憩をすることにしていた。


 アリスは水筒は空っぽの水を入れて、その重さに満足そうにする。


「それじゃちょっと今晩の獲物探してくるから、ちゃんとここで待っててね」

 そう言い残して、森の中へ入っていった。


 しばらくのち。


「こおおおおおお!」

「あ、やってるやってる。どう? 圧は習得できそう?」


 木剣と手に、野兎を狩ってきたアリスは、川の浅瀬で、膝丈ほどの小岩を相手に集中しているマーヴィを見つけた。

 アリスは腰をおろして、木剣の手入れをしながら、マーヴィを見守る。

 彼女が木剣をつかっているのは、結晶の魔術師との戦いで武器を失ったせいだ。マーヴィの治癒のために財産を使い果たしたので、カーサスで武器をそろえる余裕はなかった。また仕事をしなければならない。


「こおおおおお」

「純グンタネフ人には難しいと思うけど……マーヴィならいけるわ!」


 初めて圧の呼吸を教わってから5日。

 マーヴィは隙あらば、こぉおぉお、とトゥーラに教わった呼吸を練習している。


 アリスは思う。

 本音を述べると、圧は修得できないだろう。


 ただ、自分にできることに全力を費やす。

 目の前のことに全力を尽くす。

 そのひたむきな姿勢が好きで、マーヴィを止めたくはない。


 ちなみにアリスは、圧の修得を諦めていた。

 剣の天才ゆえ、自分には向いていない技術体系だと悟ったからだ。

 

「こおおおおお。はっ!」


 それまで長く息を吐いていたマーヴィが、ふも、ずっとにらみ合っていた小岩を、直上から殴りつけた。


 小岩が4つに均等に割れ、花のように咲く。


 彼の拳は半透明な青紫色の”オーラ”に覆われており、手は無傷であった。

 アリスは口を開きっぱなしで、木剣をつい取り落とす。


「これが圧! やった! やったよアリス!」

「嘘ぉ……」


 難関だと思われていた圧を、規格外の早さで修得してみせたマーヴィに、アリスは茫然とするしかなかった。

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