カーサス治癒院


「マーヴィ、わたしは大丈夫だから」

「でも、アリスをドブネズミって言った!」

「そんなの気にしてないわ」


 アリスは薄く微笑み、マーヴィの体を見る。

 傷だらけだ。右拳にいたっては骨がわずかにみえている。無茶をしすぎだ。


 マーヴィは常人より優れた肉体能力をもってるが、決して鋼鉄の筋肉で覆われているわけではない。


 見た目は、確かにたくましい。

 だが、マーヴィの持つ尋常ではないパワーの裏付けとしては、彼の体格はいささか以上に”平凡”の範疇にとどまっている。


 彼のチカラの多くは、物質的な肉体ではなく、神がかったスキルに保証されてるせいだ。

 そして、彼の保有するスキル群には、特殊な防御系スキルなどは一切ない。


 マーヴィは鍛えすぎてしまったがために、自分のパワーに耐えられず傷ついてしまうのだ。

 

「刺されたらどうするの? 死んじゃうのよ? もう二度と、あんなことしないで」

「わかった!」

「本当に約束できる?」

「約束するよ!」

「絶対だからね?

「うん!」

「……うん、いいわ。信じる。それより、この傷を早くなんとかしないと」


 装備品のローポーションは炭鉱で、気絶していた者たちの治療に使ってしまっていた。


 ここでは応急処置もできやしない。


「治癒院の場所を教えよう! はやく手当てしないと手遅れになる!」

 

 ロビンじいさんが名乗り出て、マーヴィとアリスを町の治癒院へ案内してくれることになった。


 気絶した虫の息のトムボーイは、縄で縛って馬車に放り込んだ。

 馬車をひく馬に合図をだして、まっすぐポライト方面へ歩かせれば、しばらくは戻ってこれないだろう。


 治癒院はとても大きかった。

 4階建ての建物4棟からなる並の貴族の屋敷よりもずっと立派な建物群だ。

 門も大きくしっかりとしている。

 

 マーヴィは見上げてながら、すごい! と感激していた。ポライトの町でも治癒院は並の建物より大きかったが、ここのはもっと大きい。


「ありがとうございます! ロビンおじいさん!」

「良いってことじゃ。ぼうずはわしの為にも、あの魔術師に怒ってくれたしのう」


 受付の女性に「僕は急患です!」とつたえると、治癒魔術師がエントランスに飛んできた。 

 白衣を着たその治癒魔術師がマーヴィを見て、目を丸くする。

 

「彼は……バカ、ですか」

 好意的な声ではなかった。


「頼む、先生、あんただけが頼りなんじゃ!」

「お願いします、マーヴィを助けてください!」


 ロビンじいさんとアリスは頭を下げてお願いする。


「……。わかりました」


 治癒魔術師でさえ、バカには思うところがあるようだった。しかし、わずかな逡巡ののちに怪我を診てもらえることになった。


「で、ここまで歩かせてきたんですか? 怪我人の扱いとして信じられませんね、はやくベッドに寝かせてください」


 ロビンじいさんは「担架はもう使ったんじゃて」と申し訳なさそうに言いつつ、アリスと協力してマーヴィを手術台に乗せた。


「連れてきたということは代金のお支払いの用意は良いといことでいいですね?」

「ええ、もちろんよ」

 

 アリスは懐から革袋を取り出してみせる。

 中には金色の光沢を持つマニー通貨が入っている。全財産であった。


「いいでしょう。深い事情は知りませんが、最善をつくすと約束しましょう」


 治癒院は来院したものに必ず治療を施す。

 だが十分な対価を払えない者には、必要最低限の処置しか施せない。

 治癒の施術ではなく、ローポーションを患部にかけるだけの荒治療ということだ。


 だが、お金があるなら仕事はしてもらえる。


「術式展開」


 治癒魔術師がそう言うと、手術室の四方の壁に刻まれた、幾何学模様が光りだした。


 彼の魔術工房としての側面も持つ手術室において、これらの模様は、彼の施術をサポートする働きがある。


 治癒魔術師は慣れた手つきで、マーヴィの腹部の傷を確かめる。

 

「これは酷い怪我だ」

「治りますか!」

「治します。そのための治癒院です」

「ありがとうございます!」

「喋らないでください。傷口が開きますよ」


 術師は杖をマーヴィの傷口から数センチ離したあたりでゆっくりスライドさせていく。


「練度の高い魔力……魔術師にやられたんですか……」


 残っていた結晶の破片から、魔力の痕跡を感じとり、治癒魔術師は怪訝な顔をした。


 だが、仕事を引き受けたからには最後までやり通す。それが彼のポリシーだった。


 土属性式魔術をつかって、体内に残った結晶のコントロールを奪い、傷口を痛めないように体外へと丁寧に摘出していく。

 傷口を縫合する。魔力で編まれた糸だ。傷が塞がれば消えるので、抜糸の必要はない。

 縫合した傷口にローポーションではない、より効果の高い純ポーションをかけていく。


「飲んだほうが効きそうですね!」

「作用が分散するので意味ないです」


 ポーションは正しいタイミングで、患部に正しく処方してこそ真の効果があらわれる。


 素人がよくやるように傷にぶっかけたり、飲んだりするのは民俗的な療法が根付いた結果であり、学術的な知見から見れば、効果的な方法とは言えない。

 応急処置としての効果は見込める。浅い傷ならそれで十分だろう。しかし、もし体内に異物が混ざっていた場合などは、やっかいだ。今回の場合、下手にポーションを傷口にぶっかけていたら、それこそ体内に結晶が残って、あとあと傷口付近の細胞は壊死していたことだろう。


 そうなっては外科手術で細胞を摘出する必要が出てきて、一気に大事になる。


 約30分の施術を終えて、治癒魔術師は一息ついた。


「マーヴィさん、終わりましたよ」

「ありがとうございます! すごく痛かったです!」

「痛い? 麻酔は打ったはずですが……まさか効いていない? 麻酔の無効化……失礼ですが、それは『知恵遅れの祝福』の能力だったりしますか?」

「森に生えている薬草を食べていたらいつのまにか毒が平気になりました!」

「薬効耐性の一種でしょうかね。ふむ、興味深いですね」


 胴体に包帯をぐるぐる巻きにしたマーヴィが手術室から出てくる。


 手術室の外で、アリスとロビンじいさんが待っていた。

 

「3日は安静にしてください。歩かず、もちろん走らず、馬にも乗らないでください」


「ぼうず! 無事じゃったか!」

「マーヴィ! よかった!」

「僕はもう大丈夫! それじゃはやく逃げよう!」


「マーヴィさん、話聞いてましたか?」

「でも、先生! 僕たち町内会に追われてるからここにはいられないんです!」

 

 治癒魔術師は険しい顔をする。

 アリスはマーヴィに自由に喋らせすぎた、と天を仰いだ。


「ふん、まあ、他所から来たとは思いましたけどね。この町じゃ見ない顔でしたし」


 アリスはマーヴィの手を引いて「行くわよ!」と走りだす。


 もうここにもいられない。

 逃げなければ。


「待ってください」


「はい!」

「マーヴィ?! 止まっちゃだめだってば!」

「あ、そっか! すみません、さようなら!」


 再び走りだすマーヴィ。


「待ってください、マーヴィ・マント」


「はい! マーヴィ・マントです!」

「だから止まっちゃダメぇえ!!」


「私は患者の面倒は最後まで見ます。3日はここに滞在してください。それから出て行けばよろしい。なに、安心を。地下病棟にいればバレませんよ。それに、この治癒院は私の城だ。王だろうと、勝手に歩かせるつもりもないですし。身の安全は保障しましょう」


「え、でも……」

「いいんですか! 先生は優しいですね!」


「いえ、ただ借りを返す機会を逃したくないだけですよ」


 治癒魔術師に案内で、マーヴィは地下の病室に通された。白を基調した空間で、魔力灯がいたるところに灯されているので暗くはない。少しいれば、ここが地下である事を忘れてしまうくらいだ。


「あの先生、僕の頭が悪いのに優しくしてくれる! 良い人だ!」

「なんでだろう……傷もあっさり治療してくれたし……」


 アリスは肘を抱いてうなる。


 彼女の疑問に答えてくれたのは、ロビンじいさんだった。

 

「ぼうずが助けた女の子のおかげじゃろうな」

「女の子? 何の話?」

「そういえば、アリス、僕、炭鉱で女の子、助けたんだった!」

「マイヤとトゥーラと言ったかの。先生に教えてもらったが、彼女らはちいさな頃、孤児だったらしくてな。地獄派の長が拾って以来、呪術の鍛錬でよく怪我するものだから、治癒院の常連だったんじゃて。おぬしが彼女らの命を救ってくれたことに、先生なりに感謝をしようとしているのかもしれん」


 めぐりめぐって返って来たらしい。


 人助けはしてみるものだ。

 マーヴィはそんな事を思いながら、なんだか良い気分になって、深い眠りに落ちた。

 体力をずいぶん消耗していたようだ。


 ロビンじいさんは「それじゃ、わしはこれで。馬を治癒院に届けて置くぞい」と言い残して去っていった。気をつかってくれたらしい。


 アリスはちいさくお礼を言って、マーヴィのベッドの傍らに腰を下ろす。


 穏やかに眠る顔を見つめる。

 思うのはこれからの事。


「ふたり一緒ならなんとかなるよね」


 不安で押しつぶされそうだ。

 国中がマーヴィを排除しようとしている。

 明日の命の保障すらない。


 揺れる蒼い瞳には、寝息をたてるマーヴィの寝顔が映っている。

 マーヴィを枕にして突っ伏す。白いシーツに広がる黄金の髪。大きな手に、白い細い手をそえて、そっと震える指をからませる。


「ふたり一緒なら、大丈夫だよね」


 言い聞かせるように繰り返す。

 アリスは今はただ瞳をとじて、マーヴィの強く手を握りしめた。

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