結晶の魔術師、トムボーイ・エラストテレス


 マイヤは困惑していた。


 どこへいったのだろう。

 急いで屋敷を出たのに見失ってしまった。

 足が速すぎる。


「あーもう! どうしよう! 先生に殺されちゃうよ!」


 確かアリスって女の子を探してるとか?

 でも、それってあのA級冒険者の子だよね?


 それじゃ、今はカーサス炭鉱のなか? 


「とほほ、わたしじゃ追えないよ……」


 パーティ全滅しかけて、地獄派でともに修業した同期たちが死んだばかりだというのに、こんな任務をさせるなんて。


 マイヤはつねづね思っていた。

 このまま呪術師を続けていたらいつかひどい目に遭う。

 先生に数ある駒のひとつとして使い捨てられるだろうし。


 今日のオブスクーラヴォルフ討伐に参加してこい、という無茶な任務と、その後の死んだ同期への対応で、完全に見切りをつけた。


 あるいは決心できたのは、間接的にあのマーヴィという男の子のおかげかな……?


「ん? それじゃ、今って逃亡のラストチャンスなのかな?」


 そうだ。

 これを機に逃げてしまおう。

 というか、今しかない。


 先生には孤児だった自分と、姉を拾ってもらった恩義がある。


 だけど、今までみんなに後ろ指をさされながら、犯罪者集団と言われながらも、地獄派の門弟として頑張ってきたんだ。

 そろそろ、生き方を選ばせてもらってもいいはずだ。


「進言する勇気はないけど、黙って逃げる勇気ならあるんですよ!」


 そうと決まれば、まずは姉のトゥーラを迎えに行こう。

 今頃、治癒院で頑張っているはずだ。


 ──マーヴィの視点


 一方その頃、マーヴィはロビンじいさんたちのもとへ戻ってきた。

 炭鉱夫たちが交代で、炭鉱の入り口を見張るの横目に、ロビンじいさんの制止を振り切って、炭鉱に再突入する。


「まったくせわしないぼうずじゃの」


「また怪我人を助けるために……なんて立派な兄ちゃんなんだ!」

「俺たちよりよっぽど肝が据わってやがる……」

「バカだからじゃないか?」


 炭鉱夫たちの声を置き去りにして走り、先ほどオブスクーラヴォルフを倒した場所へ戻ってきた。


「死体は必ず持ち帰るわ。ひとり残らずね」


 アリスの声が聞こえた。


「アリス! やっと見つけたよ!」

「え、マーヴィ……? なんでこんなところに……って!」

 気が付いた。ポライトから出てきてるじゃん。


 アリスは慌ててマーヴィに近寄り「アリス、僕、馬に乗って追いかけてきたんだ!」と自慢げに話す口をふさいだ。


「何してるのアリス?」

「被害の確認! って違う! それどころじゃないわ、なんでこんなところいるの?! 着いてきちゃったらダメだってあんなに言ったのに?!」


 マーヴィは事の経緯をアリスに説明した。

 

「ちょっとギルド長なぐってくるから待ってて」

「でも、アリス、呪検査町内会が僕を追ってるんだ! 親切な男の人が教えてくれたよ」

「呪監査委員会ね。町を出たから取り締まりに来たの?」


 アリスは険しい顔をする。

 

 どうするのが正解か。

 法に従い、善良な市民でいるためには委員会の指示に従うのが正しい。

 だが、今更ポライトに戻ったら、マーヴィが心配だ。

 それに役人が『知恵遅れの祝福』に対して消極的なのは周知の事実。

 マーヴィを助けてくれるかは不透明だ。


「はあ、いつかは考えないといけないと思ってたけど……マーヴィはわたしが守らないと」


 アリスは壮絶な被害の現場を、B級冒険者パーティ『蒼い棘』の任せて、さっそくカーサスを離れることにした。否、マーヴィのためを考えるなら、あるいはもっと遠く。国外逃亡も視野に入れる必要があるかもしれない。


「ごめんなさい。とても大事な用ができたの。今回のクエストはここで離脱させてもらうわ」

「あ、アリスさん?」

「そんな急に言われても……途中離脱はギルドからの信頼をガクッと失っちゃいますよ?」

「冒険者の身分よりよほど大切なことなの。本当にごめんなさい」


 マーヴィとアリスは炭鉱をあとにした。

 三度、ロビンじいさんたちのもとへ戻ってくる。


 すっかり親しげな雰囲気になった炭鉱夫たちに迎えられる。

 炭鉱北入り口には、先ほどまでなかった黒い馬車が止まっていた。


「見つけたぞ、バカめ」

 

 立派な口ひげを携えた文官風の格好をした男がいた。

 

「待て待て、勝手に入ってこられちゃこまるぞい」

「あなたは?」

「わしはロビンじゃ。この炭鉱の責任者。得体のしれん者にここをどうにかされちゃ困るんじゃ」

「得体のしれん者、ですか……身の程をわきまえろ、下民」


 男はロビンの顔を斬りつけた。

 いつのまにか男の手には青く鋭い結晶が握られていた。先端を鮮血が滴っている。


「私はトムボーイ・エラストテレス。エラストテレス家が3代目当主にして、魔術協会の呪監査委員であるぞ」


 トムボーイはつばをロビンじいさんに吐きかける。

 そして、足で彼の背中を踏みつけ、苦しむ顔をまじまじと見下ろした。

 優越感に浸る悪趣味な笑顔が、隠しけれず浮き上がってた。


「委員会は王政府の承認のもとで公務に当たっているのだ。二度と邪魔をするんじゃない。いいな、もぐら野郎」

「うぐ、ぅ……っ!」


 マーヴィは全身の毛がゾわっと立つ感覚を得た。

 瞳孔が開き、拳を握る手は強く締められ、血が滴る。震えるほどの怒りだった。


 マーヴィは思わず飛びかかり、ロビンを虐げるトムボーイを殴ろうとした。──だが、彼よりもはやく、アリスが飛びかかっていた。


「マーヴィは下がってて! こういうクズはわたしがぶん殴ってあげるから!」

「ほう、この私をクズだと?」


 トムボーイはロビンから離れて、アリスと距離を置く。

 

「あなたですか。噂に聞く馬鹿の面倒をみているという冒険者は」

「その口を塞いで、ここから立ち去りなさい」

「断ります。呪いの拡散を防ぐ仕事がありますから」

「マーヴィは女神からの祝福こそ持っていても、呪いなんか受けてないわ」

「ははは、なにを。世界から呪われているじゃないですか」


 トムボーイは腹を抱えて笑った。


「いいですか。あのバカは、もう死ぬしかないんです。呪術師にとって崇拝に等しい強力な呪いの痕跡をくっつけている。あれが奴らの手に渡れば、呪いがばらまかれることになる。わかりますか?」

「わかるわけないじゃない」

「わかってください」

「それじゃ、呪術師のいない国にいくわ。それで解決でしょ?」

「秩序の維持を担当する者としてリスクはおかせない。ここで殺す、決定事項です。故郷にいるうちは、我々が魔の手から守り、幸せに生きさせてあげることも出来ました。ですが、自由に動かれてはそれもままなりません」

「今までマーヴィのこと何にも助けてくれなかったくせに、なにを今更……。それじゃあ、ポライトに戻れば見逃してくれるわけ?」

「前科持ちは信用できないです。はあ……そろそろ、楽にしてあげましょう。この世界は彼にとって生きづらいでしょうに。殺すのは、彼のためなんです」


 話し合いは無駄なようだ。

 この男はマーヴィを殺すことしか頭にない。

 死ぬ事が、マーヴィのためなんて天地がひっくり返っても、否定してやる。


 覚悟を決めたアリス。

 トムボーイは呆れた顔をして、片手間に結晶の剣をマーヴィへ投げつけた。


 鋼の剣で叩き斬る。

 アリスの殺気が膨れあがる。


「怖いですね。すごい迫力だ」


 もう決心した。

 こんな国にいちゃだめだ。

 目の前のクズが安全保障をうたう場所じゃマーヴィは生きられない。


「魔術師を怒らせない方が良いですよ。後悔することになります」

「そっちこそ、さっさとしっぽ巻いて逃げてれば見逃してあげたのに。先に手出したんだから、うっかり斬られても文句言えないわよ」


 緊張感が高まっていく。

 

 マーヴィは逃げてくるロビンじいさんや、炭坑夫たちを庇うように立つ。


「術式展開──結晶装式」

「先手必勝っ! その腐った考え叩き直してあげる!」


 アリスは剣の腹で、トムボーイの頭を思いきり殴りつけた。


 鋼の剣身が宙をくるくると舞う。


「…………え?」


 何が起きたのか理解するのに時間がかかった。


 アリスの剣は半ばでパッキリ折れていた。


「安っぽいつるぎだ。田舎の冒険者の収入ではそれでも上物なのでしょうか? まあどうでも良いですけど」


 アリスの頬を青い一条の光がかすめる。


 トムボーイの身体の周りを覆うようにして現れた、青い結晶壁。それがアリスの斬撃から彼を守り、同時に尖った結晶で攻撃をしていた。


 アリスは後退し、頬の傷を手でさわる。

 血がついていた。目を白黒させて、想像を上回る魔術師の実力に、嫌な汗がでてきた。


 まさか武器を失うなんて。

 E級冒険者時代から剣を買い替えず、使い古してきたツケがまわってきた。


「くだらん。私に楯突くのだから期待したが……ふん、高位冒険者と言えど、所詮は魔術の教えを持たないドブネズミか」

「アリスはドブネズミなんかじゃない!」

 高飛車な罵倒を否定するバカでかい大声。


 アリスはハッとする。

 そして、彼を止めようとする。

 だが、遅かった。


 マーヴィはすでにトムボーイへ突っ込んでしまっていた。


 トムボーイは薄ら笑いをしながら、腕を組んで結晶に守られながら迎え撃つ。マーヴィは結晶の隙間から、小洒落たひげ男の顔を殴らんとする。


 だが、結晶は意志を持ったように動き、隙間を一瞬で埋めてしまう。

 マーヴィの拳は結晶にとめられ、代わりに鋭利なトゲトゲによって血だらけにされてしまった。


「バカが。無策で私を殴れると思ってるのか? 高等魔術師も舐められたものですね、まったく」


「ぼうず、無茶するじゃないわい!」

「マーヴィ! やめて、死んじゃうわ!」

  

 無数の結晶の先端が、マーヴィの身体に突き刺さる。


 トムボーイは「やはり、ただのバカだったか」と溢す。


「ロビンおじいさん、もぐらじゃない! なにより、アリスはドブネズミじゃない!」


 激昂して声を荒げるマーヴィはもう一度、拳を振りあげた。

 

「バカめが。何度同じことをしようと無駄に決まって──」


 今度は結晶を思いきり殴った。

 

「あ」


 皮と肉が裂ける。

 マーヴィは結晶の壁ごしに、トムボーイの顔をぶん殴ったのだ。壁があるのなら、あると踏まえた上で殴れば良い。実に簡単な摂理にのっとって行われた、マーヴィなりの”策”だった。


「ごァアアあああ!?」


 トムボーイは結晶の砦が飛び出して、土のうえに転がった。


 血だらけのマーヴィが駆け足で近づく。


「ばかかッ?! 貴様、イカれてるのか……?! 尖った結晶を殴るんなんて!」

「ぁあああああぉああああ!」

「く、来るな……っ、やめろ、やめろ、うぁあああああああああ!」


 アリスに謝れ!


 大切な人を侮辱された怒りのままに、マーヴィは馬乗りになって何度も拳を振り下ろす。

 

 すぐにアリスが止めに入ったが、トムボーイの顔の形はもう変わり果ててしまっていた。

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