地獄派の呪術師


 坑道に横たわる黒い獣。

 マイヤはトゥーラを抱きしめながら、目を丸く見開いていた。


(な、なに今の……あの人、オブスクーラヴォルフを、持ち上げて叩きつけた?)


 自分は夢でも見てるのか。

 いや、手を濡らす血の温かさは本物だ。

 夢なんかじゃない。


「ぅ……」

「っ、お姉ちゃん! しっかりして!」


 傷は深い。


「手当をしないと……っ、死なないで……!」


 ローポーションをかけて、僅かながらに傷を癒した。


「あなたは、何者ですか? 冒険者、じゃありません、よね?」

 現れた謎の男を見やる。

「僕はマーヴィ。マーヴィ・マントです!」

「マーヴィ、マント……あなた、もしかして……」

 喋り方で、知恵遅れだと察した。

 

 マイヤはごくりと唾を飲み込む。


 まともじゃない人だ……。

 

「これは、これは、人が死んでるんですね」


 険しい顔でマーヴィは言う。

 死体を見るのは初めてじゃなかった。

 とはいえ、死体の山は初めてだ。

 心はいささかざわめいた。


 アリスは? 無事なのだろうか?


「あの、アリスは──」

「この際、まともじゃなかてもいい……お願いします! 私のお姉ちゃんを助けてください!」


 被せ気味に言われ、マーヴィは目を丸くする。


 生き残りは女の子が2人。

 片方の半身が血だらけで重症だ。

 助けないと死んでしまう。


 アリスはすごく強いから大丈夫かな。

 名前は忘れたけど、黒いモンスターも倒したし。


 マーヴィはアリスを探したい気持ちをぐっと堪えて「触りますね!」と断ってから、トゥーラとマイヤを抱っこする。こうしないと人に嫌がられるのは経験上知っていた。


 健脚で坑道を駆け抜ける。


 四方八方、真っ暗な世界。

 やがて真ん中に白い点が見えて来る。


 あったいう間に、ロビンじいさんたちがたむろしていた北の入り口にたどり着いた。


「あ、足、はやっ……」

 思わず声が漏れた。


「ぼ、ぼうず?! もう帰ってきたのか! ってなんじゃその怪我人は!?」

「怪我人です!」

「見ればわかるわい! これは酷い、腕が……とにかく、町の治癒院へ運ぶんじゃ!」


 ロビンじいさんは救急箱からローポーションを取り出して、トゥーラの傷に応急処置を重ねて施した。


 傷口から蒸気がジュワーっとあがり、熱い血の匂いが鼻をつく。今はこれで良い。


 トゥーラは担架に乗せられて、屈強な炭鉱夫たちに運ばれていった。マイヤは泣きながら姉の無事を祈った。


「ありがとうございます、マーヴィさん。私たちを助けてくれて」

「困ってる人を助けるのは当然です! 世の情けだってお母さんが言ってました!」

「……透き通ってる……。あなた、すごく良い人なんですね」


 マイヤには特別な才能があった。

 相手の呪力を測れる才能だ。


 マイヤはマーヴィから一片の呪力も感じない異常事態に気がついていた。万人は少なからず呪力を持っている。たとえ聖職者でもだ。


 なのに、マーヴィにはそれが一切ない。

 彼は人間がどうしても抱いてしまう悪意とは無縁に生きてきた。誰にそんな事ができる?


 浅はかな自分を悔いた。

 彼を一瞬でも忌避したことを悔いた。

 

「あの怪我、黒い獣がやったのか? ぼうず、よく人を助けて無事に戻ったな。それだけでも凄いことじゃ」


 黒い獣が討伐されたことを知らないロビンじいさんと、炭鉱夫たちは「大したもんだ!」「やるじゃねえか、兄ちゃん」「怪我人を助けるたぁ、立派だぞ!」と拍手していた。


「エレガント、実にエレガントですね」


「っ」

「?」

「あ、あなたは……」


 声を発したのは背広を着た、長身の男。

 小綺麗に整えられた髪、胸にはポケットチーフ、万年通して家の中にいるかのような色白の肌。


 炭鉱夫たちとはまったく違う人種の紳士が、いつからか、そこには立っていた。


 マイヤはそれを見て背筋を伸ばした。


「せ、先生──」

「エレガントシャラップ、マイヤ」

「は、はい……すみません」

「よろしい。こほん。もしもし、もしやそちらの方は『知恵遅れの祝福』を受けし者ではありませんかな?」

「僕、マーヴィ・マントです!」

「まだ聞いてませんが、自己紹介ありがとう。エレガントな救出劇、実にエレガントでした」

「ありがとうございます! では!」


 マーヴィは踵をかえして、炭鉱に戻ろうとする。


「待ってください! どこへ行こうと言うのですか、ミスター・マント」

「僕の友達がまだ中にいるんです! 彼女に会うためにこの町へ来たんです!」

 

 その言葉を聞いて、炭鉱夫含めた、まわりの人間たちがどよめく。


「この町に来た……? それってつまり……」

「別の町から来たってことだな。どうりで見ない顔だと思った」


 ロビンじいさんは冷や汗をかいて、背の高い紳士を見る。


 マイヤも「え?」といった驚愕の表情だ。


「ふむ。それは一大事ですね。ですが、炭鉱へ戻る必要はないでしょう。もう此度の黒い獣の気配は消えましたからね」


 紳士は「エレガント」と敬具代わりに、語尾に付け加える。


「ミスター・マント、お友達はじきに戻るでしょう。それより、土地勘のない君が迷子になると厄介だ。特に呪監査委員会もそろそろ追跡を開始するころあいです」

「そうなんですか?」

「そうなんです。その様子だと、何も知らずに出てきましたね。うん、それもまたエレガント」


 紳士はマーヴィとマイヤを、連れて行ってしまった。


「おいおい、あれ、呪術師だろ? マーヴィの兄ちゃん大丈夫か?」

「わからん……じゃが、わしらにどうにか出来る相手じゃないわい……」


 ロビンじいさんや炭鉱夫たちは、心配そうな顔でその背中を見つめるばかりだ。


 紳士は二人を彼の大きな屋敷へと案内した。屋敷の客間に倒されて、マーヴィは美味しいお茶菓子や、ティーでもてなされていた。

 

 汚れた服のまま、マイヤは紳士にカーサス炭鉱で何があったのかを説明していた。

 声はわずかに震えていた。


「そうですか、ジャンとフラーレンが。残念です。彼らも実にエレガントだったのに」


 紳士は胸の前で、黒いペンダントに口づけし「ライプン」と祈りの言葉を唱えた。


 『呪術剣士団』のメンバーは、すべて彼の教え子の呪術師で構成されていた。


「とはいえ、彼らの弔いはあとにしましょう。今は彼をこの町から逃がすことが肝要です」

「あ、あの、先生、話が見えないんですが」

「彼は呪術師の希望です。委員会などに渡して良い存在ではない」


 マーヴィは首をかしげる。


「僕、はやくアリスに会わないといけないんですが」

「町を出ることになった経緯を聞かせてくれますか、ミスター・マント」


 マーヴィは紳士にポライトを追い出された経緯を話した。


「浅はかな。利用価値を知らないとはこれほどに恐ろしいのか。まあ、凡人が愚かなおかげで君に会えたのだからよしとしましょう。……む、思ったよりはやく来ましたか」

「なにが来たんですか?」

「君を殺す死神です。いえ、比喩的な表現は避けましょうか。今カーサスの門前にいる黒い馬車の一団は、呪を取り締まるためなら何でもする無法者たちです」


 紳士は窓の外を見ていた。


「彼らに追いつかれると、ミスター・マント、君はそこで死にます」


 包み隠さないまっすぐな言葉だった。

 マーヴィは性格上、人のウソに疎かった。


「ミス・アリスを頼る経緯はわかりました。ですが、炭鉱から戻ってくる彼女を待つ時間はない」

「でも、アリスがいないと僕は生きていけません」

「大丈夫です、私を信じて。悪いようにはしません。私の言うとおりにするんです。必ず逃してあげます」


 マーヴィは同席しているマイヤを見る。

 彼女の顔はこわばり、とても緊張していた。

 

 マイヤは察していた。

 マーヴィにとって不幸なことが起こる、と。


 呪術一派『地獄派』教祖である師が、善人ではない。

 門の前に黒い馬車なんてないのに、嘘を言ってだまそうとしてるのは、つまりバカだから簡単にだませると踏んでいるんだろう。


 お願い、逃げて、マーヴィさん……。


 恩人を見捨てることなどできない。

 でも、師はあまりに恐ろしく逆らうなんて考えられない。


 マイヤは瞳を潤ませる。狭間で激しく揺れていた。


「さあ、この手を握るだけでいいです。それで、エレガントに君をここから逃がしてあげましょう」

「どうやってですか?」

「知らないんですか? 魔術王国では都市間を転移ゲートで繫いでるんですよ?」

「あ! 本で読みました! 知ってます!」

「なら話が早い。超一流の魔術師である、私なら君を転移で逃がすことができます、エレガントにね」

「でも、あれはすごく難しい技術で、大規模な施設が必要だって本に書いてありましたよ!」

「存外、詳しいやつですね」


 マーヴィはポライト町図書館に週5日通いつめるほど読書好きだ。

 バカは無知ではなかった。


「なにか言いましたか!」

「いや、何も? とにかくはやく手を! 奴らがそこまで来てます!」

「うう、やめておきます! 転移はしてみたいですけど、僕はお菓子をくれたあなたを危険にさらしたくないです!」

 

 この人は良い人だ。

 だから、迷惑かけたくない。


 他人の荷を持ちこそすれ、荷物にはなりたくなかった。


 マーヴィはペコリと頭を下げて「ごちそうさまでした!」と屋敷を走って出て行ってしまった。


「ふはは、エレガント。まさか、睡眠薬への対策をしているとは思わなかった」


 紳士は皿に残されたクッキーを見て、怪しく笑った。


「というよりマイヤ、君の動揺があのバカに伝わっていましたよ」


 紳士は眉根をピくつかせ、指をコキコキと鳴らすと、マイヤの首を絞めた。


 身体が宙にふわっと浮いて、気管が締め上げられる。息ができない。

 

「すみま、せん……! ごめ、ん、なさい…!」

「台無しだ! この使えないゴミ虫め! ゴブリンどもの肉袋にされたいのか?!」


 ちいさな体を壁に叩きつけて、顔を殴りつける。

 

「『知恵遅れの祝福』だぞ? どれだけの呪術的価値があるのかわかっているのか? あの『能無し』を10年間探して来た! 向こうからこの町に入ってきてこの好奇逃してたまるものか」

「せ、せんせい、苦し、ぃ……っ! 」

「あれが生まれるメカニズムを解明すれば、私の呪術研究を馬鹿にした貴族どもを見返せるんだッ! あの『怪物』のように新しい魔術組織の開祖として時代をけん引できる力を手に入れられる!」

「あぐ、うぐ、ごめん、な、さい……!」

 

 激昂する紳士はマイヤを床に捨てて、襟を正して、冷静さ取り戻す。


「……ミスター・マーヴィに見事、取り入りなさい。そして、協力的な姿勢を引き出すのです。エレガントにね」

「げほ、げほっ、でも、どうやって……」

「君の体でもなんでもつかえばいい。性の悦びでも知ればバカなど、忘れられなくなる。エレガントでしょう?」

「……で、でも、そんなの知らないです」

「つべこべ言わずはやく行きなさい。それとも、またお仕置きを受けたいんですか?」


 再び師が憤慨しだすまえに、マイヤは急いでマーヴィのあとを追いかけた。


 

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