第22話 手がかりへの手がかり



『____さん! ユウさんっ!』



『うおッ!?』


 突然耳に入ってきたその声に俺は驚いて声を上げ、目を開いた。


 あれ、俺眠っちまってたのか? いつのまに!


 ぼんやりとした視界がだんだんくっきりとしてくる。

 瞳に入ったのは雲ひとつない晴天。そして、横から俺を覗き込んでいるユリンのひどく心配そうな顔だった。


『……あ、ユリン……?』


『あ、じゃありませんよ、もう! よかった……起きてくれて……!』


 彼女の表情がたちまち、深い安堵のものへと変わる。


 俺は地面に仰向けに倒れている。

 まだ頭の中にはうっすらと霧がかかってはいるが、俺は彼女を見て、これまでの出来事をはっきりと思い出した。

 

『エドメラルは、死んだ……よな?』


『はい……もう大丈夫です。あなたが倒したんですよ』


『俺は、生きてるんだよな?』


『あなたがもし死んでいるのなら、こうしてあなたとお話することができている私もまた、死んでいることになりますね』


『……お前、生きているんだよな?』


『またそんなこと言って……なら、確かめてみますか?』


 そう言うとユリンは俺の左手を優しく握った。じんわりとしたものが、そこから全身にゆっくりと広がっていく。ぽかぽかと、ぬくぬくと、安心感で包まれていく。


『……ああいや、分かった。死人の手がこんなにあったかいわけないしな……』


『そうでしょう』


 そして俺はそのまま彼女に手を引かれる形で、上体を起こした。

 

『……あれ』


 そこで気がついた。エドメラルの鎌が突き刺さったはずの腹部の痛みが全く無い。いや痛みどころか、ほんの違和感すらも無い。

 自分の身体を見下ろしてみると、俺は上半身が裸だった。そして鎌が刺さった左脇腹には、わずかな傷跡が残っているだけだった。

 俺はユリンのほうを見て質問する。


『治、してくれたのか?』


『はい。……でも本当に危なかったんですよ。刺さった鎌を引っこ抜いた上にあんなに走り回ったおかげで、傷口はさらに開いて出血も相当でした。内臓は避けていたのが幸運でしたが、もしあと5分でも治療が遅れていたらあなたは死んでいましたよ……』

 

 ユリンは少し俯き気味に話している。


 ……死んでいた、か。いざ言われてみても実感が湧かないな……。……はは。


『……ごめんなさい。ユウさん』


『は?』


 すると突然、ユリンが謝りだした。


『え、あの、なにが?』


『……私の見通しが甘かった。まさかエドメラルがあんな戦い方をするなんて……いえ、そういった不足の事態のことももっと考えておくべきでした。あなたを危険に晒さないと言ったのに……』


『ちょ、ちょっと待て! なんでお前が謝るんだよ! ていうか危険に晒す晒さないって、お前と一緒に戦うことを決めたのは俺の意志なんだぞ!? 俺になにがあっても、それは全部俺の責任だろ!』


『いいえ! 誰が決めただの以前に、私の作戦に穴がありそれがもとであなたに大怪我を負わせた! それは事実です! 私のせいなんです!』


『だったらそもそもこの山に来ようって言い出したのは俺なんだから、エドメラルと遭遇したのも俺のせいだ! 悪いのは俺1人だ! 謝らなきゃならないのはむしろ俺だ!』


『いいえ、私です!』


『いや俺だ!』


『私ですッ!』


『俺だッ!』


 彼らはしばらくそんな下らない口論を続け、お互いにぜーぜーと息を切らした状態となる。


『……じゃあ、こうしよう……!』


『何ですか……!?』


『俺たちは2人とも悪い! 俺が5割悪くて、お前も5割悪い! だからお互いに謝ろう! それで終わり!』


『ええ、いいでしょう! じゃあ私から、ごめんなさいッ!』


『お前はもう謝ったでしょうが! 俺も、ごめんなさいッ!』


 謝っておきながら、2人は互いの顔を近づけてぎりぎりと睨み合っている。まったくとんだ頑固者である。

 ……と、思いきや。



『……ぷっ』


『……ふふ』



 見つめ合っていた彼らは同時に吹き出し、


『あははははははは!』


 そろって大声で笑い出した。屈託の無い、まっさらとした笑顔で。

 戦いの疲れが、笑い声にのって山の空気に消えていく。そんな感覚を、2人は味わっていた。




『……でも、やっぱりおかしいですね』


『? なにが?』


 少し休んでから下山しようというユリンの提案により、俺たちは枯れ葉の上に並んで座っていた。

 治療のために上半身が裸になっていた俺は、今はパーカー1枚だけを着ている状態である。シャツとインナーは鎌に刺されて穴が開いた挙句腹から出た血で真っ赤に染まってしまっているため、もう着られたもんじゃない。

 そんな時、ユリンがふとつぶやいたのだ。それもかなり神妙な面立ちで。

 

『ふたつあります。ひとつはやはり、あのエドメラルの戦い方……知性の一切を持たない怪物にしては、動きがあまりにも不自然だったでしょう?』


『ああ、俺もそう思うけど……それが?』


『これはまだ明確な証明がなされていない説ではあるんですが、魔狂獣ゲブ・ベスディアにはある特性があるとされているんです』


『特性……?』


『奴らは、人を食えば食うほど、少しずつ知能をつけていくと……』


『……なに!?』


 なんだそれは……! ただでさえ手強いあの化け物が、頭まで良くなっちまう可能性があるのかよ!?


『……って! ちょっと待て。それっておかしくないか。あのエドメラルは、俺たちが今日初めて見つけたんだよな……?』


『ええ。ここ3ヶ月の間、この宮都に出現した魔狂獣ゲブ・ベスディアは1体だけ。それもエドメラルとは別の個体で、討伐もアルバノさんが速やかに行っており犠牲者は1人も出なかったと……』


 アルバノさん、か。なるほどね……。やっぱりあの人も十分バケモンだな。


 って違う! そうじゃない! だとすれば、やはりおかしい点がある!


『……仮に、仮にだよ?』


『……はい』


『今俺たちが倒したエドメラルが、仮に人を喰って知能を発達させた個体なんだとしたら……いつ、どこで、誰を喰ったんだ?』

 

『ええ、私も同じことを考えています。……そしておそらく、結論もあなたと一緒です』


『……いや、そんな……そんな馬鹿な……!』


 信じられないし、信じたくもない。だがこの場合、導き出せる結論はひとつしかない。


 今回起きている連続失踪事件は、両親子供の3人家族ばかりが狙われている。そのうち両親が行方知れずとなり、子供だけが取り残されているのだ。その両親たちは、生きているのか死んでいるのかすらも分からない状況だ。

 


 だが、もし。もしも。

 もしあのエドメラルが、その行方不明になっている両親たちを食べていたのだとしたら、辻褄が合う。消えた両親たちの死体すらも見つからないことへの理由、その辻褄が……。



『ですが、それだと別におかしな点があります。なぜ奴らは子供だけは生かしておいたのか、ということです。一件だけならまだしも、20何件も連続で子供のみを捕食しないで残しておく、というのはあまりにも不自然です』


『……まだあるぜ。もし今回起きている事件が全て魔狂獣ゲブ・ベスディアによるものだとしたら、子供たちはなぜ記憶を失っているのか、って話になっちまう』


 訳がさっぱり分からない。いったいなにがどうなっているのやら……!

 俺が頭を抱えていると、ユリンが再び口を開く。

 

『ですがユウさん。おそらく、それらの答えもすぐに出ます』


『え!? な、なんで分かる!?』


『それが、私が気になっていることのうちのふたつめです。ユウさん、さっきのエドメラルは、どこから現れたか覚えていますか?』


『どこからって……地面の中からだ』


『正解。しかしそれもまた、不自然なことなんです』


『不自然? なにがだ?』


『では、また質問です。エドメラルの腕はどんな形をしていましたか?』


『どんな……? そんなの決まっているじゃないか。あいつは両腕に鋭い鎌を____』


 言いかけて、俺はピタリと止まる。……そうだ。よく考えたら、いやよく考えなくたってこれはおかしい。



 そうだ。エドメラルの両手は鎌なのだ。指も無い、掌も無い。単なる鎌なのだ。

 ____あんな手で、地面の中を、土を掘れるわけがない!



『じ、じゃあ! あいつはいったいどうやって地中に潜んでいたっていうんだ!?』


『それを今から確かめます』


『どうやって!?』


『簡単です。見にいきましょう。エドメラルが出てきた地面の穴を。結果によっては、これまでの疑問全ての答えが出るでしょう』




* * *

 

 


『……おい、これは何かの冗談か……!?』


『……そう思いたいですよ、私も……』


 俺たちは、エドメラルが飛び出してきたところにいた。そこには信じられないものがあったのだ。


 昇降機____エレベーターだ。4メートル四方の床をを持った、箱型のエレベーターだったのだ。あのエドメラルは、これに乗って地上に上がってきたのだ。

 箱が上に行くと、地表にあるハッチが開き、そこから出る、という仕組みのものだった。エドメラルが出てくる前までは、そのハッチの上に草や土をかぶせて隠していたのだ。

 

『……なぁ、まさかこのエレベーターを、あのエドメラルが自分で設置した、っていうことは無いよな……』


『……ありえません。これは明らかに人の手によるものです。しかもこのエレベーター、かなり新しい。錆もほぼありませんし……』


 今俺たちが見ている状況。それをまとめるとこうなる。



 あのエドメラルは、誰かに、人に飼われていたのだ。このエレベーターを使って行き来する、地下の中で。

 そしておそらくその飼い主が、今回の連続失踪事件の犯人なのだ。


 犯人は3人家族を襲い、両親だけを誘拐してここに連れてきた。そしてエレベーターを使って地下に降り、その両親たちを地下で飼っていたエドメラルに喰わせていたのだ。

 


『で、でもよ! 人が魔狂獣ゲブ・ベスディアを飼い慣らすことなんてできるのか!?』


『普通は不可能です。ですが今回の犯人は、暗示や催眠といった類の魔術を使うと推測されている。もしそれらが本当だとすれば……』


魔狂獣ゲブ・ベスディアにそれをかければ、ありえなくはない、ってことか……!』

 

 脳が追いつかない。色々なことが繋がり過ぎている。



 問題はまだある。俺たちがこの場に到着してから、このエレベーターは上がってきたのだ。エドメラルを乗せて。

 だが、エドメラルがエレベーターの上昇スイッチを自分で押したわけがない。

 つまり誰かが、別の人が、そのスイッチを押さなければならなかったはずなのだ。



『……ユリン』


『……はい』


『これ、いるよな? いなきゃおかしいよな?』


『ええいますね、この地下に。このエレベーターで降りた先に、誰かがいる。エドメラルを地上に送り込んだ誰かが……!』


 そんなのは犯人をおいて他に無い。いるのだ。この地面の下に。山の中に。連続失踪事件の犯人が……。


 本来なら応援を呼ぶべきなのだろうが、今から山を降りてまた登ってくるなんてことをしているヒマはない。1人を残して片方だけが山を降りるというのも、その残された方が危険に晒される。

 ならば____


『……行くっきゃないよな。2人で!』


『はい……! ここまで来たら、もうそうする以外にないでしょう……!』


 俺たちは互いに顔を見合わせ、うなずきき合う。


 そして一緒にエレベーターの箱の中に飛び降り、そこにあった下降スイッチを押した。

 すると地表の、中にいる俺たちから見ると天井のハッチが閉まり、エレベーターはガコン、と音を立てて下がり始めた。

 そのスピードはなかなかに早いものだった。

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