第21話 戦闘開始 〜雄弥&ユリン〜


『ゲルオオオオオオオオォオ!!』


 周囲の地面に落ちている枯葉を宙に巻き上げるほどの野太い雄叫びを上げ、2メートル半の身長を持つカエル頭の怪物はよだれを垂らしながら走り出した。雄弥ゆうやとユリン、2人との距離を一瞬で詰めにかかる。


『ユウさん、いいですね! 今言った通りに!』


『ああ!』


 そしてエドメラルの鎌が迫る直前。彼らは、右と左の二手に分かれて走り出した。鎌は空振り、地面に深々と突き刺さる。


『ゲルル……!』


 エドメラルはすぐさま鎌腕を引き抜き、その巨大な目玉を左側に向けてぎょろりと動かす。視界に入ったのは____ユリンだった。

 そのまま身体ごと左へ向き直り、突進。彼女を仕留めにかかる。


 脚を動かす速度も、歩幅も、人のそれとは比較にならない。一瞬のうちにユリンに追いつき、彼女に向けて両腕の鋭い鎌をやたらめったらに振り回す。

 0.1秒でも動きを止めれば、あっという間に細切れにされる。それほどに振る速度はとんでもないものだった。2本しかないはずのエドメラルの腕が、10本以上あるかのように見えてしまうほどだ。


 だがユリンとて伊達だてではない。


慈䜌盾しらんじゅんしん」!』


 彼女は両てのひらに直径30センチほどの小さな円形の盾を生み出し、それを用いて鎌の猛連撃を華麗かれいにさばいている。

 ユリンは決してパワーがあるわけではない。身長は160かそれ以下の、細身かつ小柄な女の子である。ゆえに盾で真っ向から受け止めていては、確実にその衝撃によって腕が弾き飛ばされてしまっていただろう。しかしそうはなっていない。

 なぜか? 受け止めているのではないからだ。盾の表面に鎌が触れたのと同時に掌の角度を調節し、すべらせるようにして受け流しているのである。その一連の動作に重さは全く感じられない。極めてかろやかであり、そしてしなやかであった。


『ゲガアアアアアァァアアアアアァァッ!!』


 ちょこまかと動き回る獲物に対し、怪物は激しく苛立っている。



 一方、右側に走った雄弥は。



『……』


 額に浮かべた汗を頬をつたらせてぽたりと落としながら、じっと立ち止まっている。ユリンとエドメラルまでの距離はおよそ20メートルだった。

 何をしているのか。別に彼は、安全圏でほうけているわけではない。その証拠に彼はエドメラルから少しも視線を外しておらず、まばたきをすることすらも忘れていた。

 

 戦闘開始直前に、ユリンから作戦を指示されたのだ。

 まず二手に分かれ、エドメラルの注意をどちらか片方だけに向けさせる。するとここで分岐が発生する。エドメラルが雄弥とユリン、どちらに食いつくかということだ。

 雄弥を追いかけた場合は、ユリンが離れた位置から魔術による盾で彼を守りつつエドメラルの動きを止め、その隙に彼が至近距離から魔術を撃ち込む。

 逆にユリンを狙った場合は、彼女がそのままエドメラルを引きつける。そして、彼女がエドメラルから一定の距離を取った瞬間に、雄弥が遠距離から魔術を放ってそれを倒す。

 そして今、後者の状況になっているわけである。


 この作戦の本質は、雄弥を守ることにある。いくら戦闘許可を下したとはいえ、彼がまだペーペーの素人であることに変わりはない。彼とエドメラルの接触を最小限に抑えるために、ユリンはこの作戦を決めたのだった。

 そしてここで幸いだったのが、エドメラルの戦闘方法だ。現時点で判明している限りでは、エドメラルの攻撃手段は両腕の鎌と口から吐き出す強酸のみ。そう、遠距離の敵を狙い撃つ、ということができないのだ。敵を殺すには必然的に接近しなければならない。つまり二手に分かれてしまいさえすれば、片方は絶対に安全なのだ。

 安全なのがユリンならば雄弥を守ることに専念できるし、逆に雄弥ならばそのままでいい。……と、いうわけである。どっちにしろユリンに負担が集中してしまうという欠点はあるが……。



『……波動はどう!』


 雄弥がそう呟くと、彼の右手が青白く光り始める。そして彼は、その掌をエドメラルに向けて静止する。あとはユリンが離れるのを待つだけである。


『……』


 気がつけば彼の背中は緊張の汗でぐしゃぐしゃになり、インナーが背中にぴったりとくっついていた。

 雄弥の頭に様々な雑念が舞い込む。狙いを外したらどうしよう。ユリンを巻き込んだらどうしよう。制御を誤って、反動で腕を折ったらどうしよう。

 だが。その不安感こそが集中を乱す何よりの原因であることも、彼は理解していた。


『……余計なことは考えるな……成功をイメージしろ……だが自分の力を過信はするな……!』


 彼は自分にそう言い聞かせ続けた。


 そしてついに、その瞬間がやってきた。


慈䜌盾しらんじゅんッ!』


 ユリンが自身とエドメラルの間にいつもの巨大な盾を生み出した。勢い余ってそれに激突したエドメラルは後ろによろめき、彼女から離れた。

 距離はできた。エドメラルとユリンの間には、5メートルほどの空間ができた。


 今だ。今しかねぇ!


『ユウさん!』


『おう!』


 雄弥は自身の手の前に青白い光弾を生み出す。狙いはぴったりと定まっている。このまま撃てば、当たるのはほぼ確実!



 ____の、はずだったのだ。間違いなく、そのはずだったのだ。



『ゲル……』


 ユリンの盾に弾かれた直後。エドメラルの目玉は、雄弥の方へと向いていた。見ていたのだ、彼のことをしっかりと。

 見ているだけだ、何も問題はない。20メートルも離れている雄弥には、どうせ何もできやしない。

 ……ただしそれはあくまで、ユリンの思惑通りにいけば、の話であった。


 あまりにも突然、かつ一瞬のうちの出来事だった。


 エドメラルは左手の鎌で自身の右腕を肘の部分で斬り落とすと、それを雄弥に向けて蹴り飛ばしたのだ。


『な!?』


『え!?』


 彼らは同時に驚愕の声を上げる。だが、そんなことをしている場合ではなかった。

 エドメラルの右前腕、すなわち右腕の鎌の部分が回転して風を切りながら、雄弥に真っ直ぐ向かっていく。


『うわああッ!!』


 突発的かつ予想外の事態に、雄弥の焦りは一気に頂点まで駆け上がる。そして彼は飛来するその鎌を破壊しようと、慌てて右手から光弾を放った。


 だがそんな精神状態で乱れない集中などありはしない。


『ぐうッ!!』


 光弾は撃ち出された。しかし威力の調整を誤り、彼の右腕がぼきりと音を立てる。それだけではない。彼は自分に向けて飛んでくる鎌を狙ったはずが、反動の痛みで腕をぶれさせてしまい、標的にはかすりもしなかったのだ。

 では、彼の放った光弾はどこに飛んで行ったのか。結論から言えば、考えうる限りで1番最悪のところだった。


『きゃあッ!!』


 そう。エドメラルから少し離れた位置にいた、ユリンのいる場所に向かっていったのだ。

 彼女は飛んでいく鎌から雄弥を守るために防壁を展開しようとしていたのだが、ちょうどそこに彼が暴発させた光弾が飛来してしまい、術を発動させることができなかった。


 幸いにも、彼女はギリギリでそれを回避した。だがその光弾の威力はダイナマイト数十発を遥かに凌ぐ。ユリンが避けたことで光弾は地面に直撃し、凄まじい爆風と衝撃波が発生。

 彼女はそれに吹き飛ばされ、近くにあった木に身体を強く打ち付けてしまった。


『う……』


 うつ伏せで地に倒れた彼女は、全身の痛みにうめき声を上げる。


『ユ、ウさん……』


 しかし彼女が気にしているのは、あくまでも雄弥のことであった。正規兵としての責任ゆえか、彼女自身の心優しい性格ゆえか……ともかくユリンはなんとか顔を上げ、雄弥がいる方向に目を向けた。



『ッ!?』



 彼女は、その光景に目を疑ったであろう。いや、信じたくない、という表現の方が正しいかもしれない。


 雄弥はいた。立っていた。立ってはいたのだが____



 その左脇腹には、迎撃しそこねたエドメラルの鎌が突き刺さっていた。

 



* * *




『うぐああああぁ……ッ!!』

 

 俺は脇腹を押さえながら、崩れるように地面に座り込んだ。 

 これまで腕や肩に大怪我を負ったことは何度もあるが、腹に穴が開いたのは初めてなんだ。痛みのこらえ方がまるで分からない。

 傷の部分が一気に熱を帯びる。だが、そこ以外の全身はどんどん冷え切っていく。極めて混沌とした実体の無い感覚だった。

 

 それだけじゃない。右腕も上腕骨がやられた。あっちもこっちも神経が悲鳴を上げている。

 

『ちっ……くしょう……!』


 いったいどうなっているんだ。魔狂獣ゲブ・ベスディアってのは知能の一切を持たない生命体じゃなかったのか!? それが、あんな曲芸じみた動きをするなんて……!



『ゲルルルルルル……!』



 痛みにもだえる最中、前方からの怪物のうなり声に気がつき、その方向を見る。


『!? ユリン! ……っぐぁ』


 エドメラルは、倒れているユリンに向かって歩き出していた。自分の近くにいる彼女からとどめを刺すつもりだ。

 ユリンは脚を痛めたのか、動けないでいる。エドメラルはどんどん近づいていく。あと7メートル、6メートル……!


『……くそッ!』

 

 俺は姿勢はそのままに、残った左手をエドメラルに向ける。ここから魔術を撃ち、エドメラルを倒す。奴は今背中を見せている。叩くなら今しかない。

 だが。その射線上には、ユリンもいるのだ。つまり俺から見て、俺、エドメラル、ユリンの順番に一直線に並んでいる状態なのだ。


 もしエドメラルに当たった魔術が、そのまま勢い余ってそのすぐ先にいる彼女を巻き込んだらどうする。このまま撃つのはまずい。少しでも身体を動かして、位置をずらして撃たなければ。


 ……いや、そもそも当たるのか。こんなフラフラの状態で。さっきから脳みそが痛みにかまけてばっかりで全然働いていないんだぞ。わずかでも集中が乱れれば制御はすぐに崩れ去る。さっきのように。そうしたらまた腕がぶれて、狙いが外れてしまうだろう。


 ならば出来る限り近づいて____ダメだ。脚が震えている。それにこんな傷で動き回ったら、出血がもっとひどくなるかもしれない____



 ……は?



 俺はこの時、自分の思考がおかしいことに気がついた。



『何……言ってやがるんだ俺は……!? そうじゃねぇだろうが……!!』


 

 今するべきは自分の心配じゃねぇよ! んなのどうだっていいだろうが! 


 一緒に戦うと言ったのは俺! そもそもこの山に来ることを提案したのも俺! 怪我しても、痛い思いをしても、死んでも! それは俺の自己責任!


 頭が働かねぇなら身体を動かせ! 怪我!? 痛み!? 関係ねぇ! どうせ働いてたって、俺の脳みそじゃ大した考えは浮かばないんだから!

 

 それを俺は何をしてやがる。何を考えていやがる。何のためにここにいるんだよ! またユリンの、他人の足を引っ張るのか!? 


 落ちこぼれと役立たずとでは意味が違う! 落ちこぼれには、落ちこぼれなりの足掻あがき方ってものがあるはずじゃないか……! 役立たずになってはならないんだ!


 いつまでも! 足手まといなままでいられるかよ! いてたまるものかよッ! いてはならないんだよ!!



 俺は腹に刺さった鎌を、左手でがしりと掴む。そしてそれを引き抜こうとする。


『あぎ……いぎああああ……!!』


 腹の中の繊維が鎌にからみついており、引っ張るとそれらが次々に千切れていく。痛みのショックだけで気が飛びそうだった。


『ぐぎぎぎぎぎぎ……!!』


 だが手は止めない。傷はぐじゅぐじゅと音を立てる。血もどんどん溢れてくる。


 それ、でも____



『ぬが……ああああぁあぁァァァァッ!!』



 ずぼり、と、化物の前腕を腹から抜く。そして俺は即座に、前に向かって走り出した。

 



『ゲルル……』


 涎をぼたぼたと垂らしながらゆっくりと迫ってくるエドメラルに、ユリンは地面を後ろ向きに這う形で必死に距離を取ろうとする。雄弥の予想通り、彼女は脚をくじいてしまっており、立つことは叶わなかった。


『く……!』


 ユリンは自身の失態を恥じていた。エドメラルがあのような知的な攻撃をすることなど、彼女にとっても予想外だったのだ。

 だがそもそも魔狂獣ゲブ・ベスディアとは未知の生命体。予想外などあって当たり前のはずだった。彼女はそれを失念していたのだ。


 彼女は考える。この場を乗り切る方法を。……しかし現実は無情かな、エドメラルがすぐ目前に迫る。手を伸ばせば届く距離だ。


『ゲルアァッ!』


 エドメラルが口を開き、彼女を飲み込まんとする。


 ユリンが覚悟を決めた、その時____



『うおおおおおおおおぉぉっ!!』



 彼女を捕食しようと身をかがませていたエドメラルの頭に、後ろから来た雄弥が飛びついたのである。


『ゲル!?』


 エドメラルはユリンに気を取られていたせいで彼の接近を察知することができておらず、驚いて声を上げる。

 そしてその瞬間、エドメラルの頭にしがみついた雄弥は、先ほどまで自身の脇腹に刺さっていた鎌をエドメラルの巨大な右目に向けて思いっきり突き刺したのである。



『ゲギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!』



 おぞましい悲鳴が山中にこだまする。エドメラルは自身に突然襲い掛かってきた激痛に悶え狂い、めちゃくちゃに暴れ始めた。


『ぐああッ!!』


 無論雄弥もあっという間に振り落とされ、地面に激突した。


『や……ったぜ……! ざまぁみろ……げほッ』


 彼は吐血しながらにやりと笑う。

 腹の傷からはさっきの倍以上の血が流れており、全身の筋肉が震えている。


『これで終わりだ……!』


 雄弥は倒れた状態のまま左手をエドメラルに向けようとする。

 しかし、力が入らない。それどころか貧血で視界も霞みがかってきており、狙いが思うようにつけられない。


『くっそ……! ……え?』


 その時。彼は自分の腕がふわりと軽くなったのを感じた。遅れて気づいたのは、すぐ隣にある人の気配。


『そのままですよ……! そのまま腕を前に……!』


 ユリンだった。雄弥が振り落とされたのは、ユリンのすぐ隣だったのだ。

 彼女は雄弥の腕を掴んで動かし、眼球に自分自身の腕を突き立たせてのたうちまわるエドメラルに照準を合わせる。


 ぴたり。腕が固定された。標的までの距離は10メートル足らず。


『今です! ユウさん!』


 その言葉を合図に、雄弥は魔力を解放。自身の左掌を青白く染め上げる。


 やがて、光弾をつくり上げ____


『はあああぁぁーッ!!』


 猛スピードでそれを放った。


 ごうごうと音を立てて周囲の空気を揺らし、周囲に猛烈な衝撃波と閃光を散らす。10メートルの距離など軽々と飛び越える。


 そのまま、見事に命中した。



『ゲギャギャギャギャアアアアアアァァァ____』



 直撃を受けたエドメラルはものの一瞬で爆散、消滅した。聞くに耐えない、きたならしい断末魔と共に……。


 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る